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毎月第2土曜日はサットサンガ☆善き場が心を清め澄みわたらせます。

2011.02.13

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朝9時〜瞑想(早野誘導)。10時10分〜、朝ヨーガ実習を成瀬先生にご誘導いただきます。なんとも自然な流れの中で、何もしていなかったような・・・いえ、はっきり変わるのは、その穏やかな心の状態に変化していることです。

朝9時〜瞑想(早野誘導)。10時10分〜、朝ヨーガ実習を成瀬先生にご誘導いただきます。なんとも自然な流れの中で、何もしていなかったような・・・いえ、はっきり変わるのは、その穏やかな心の状態に変化していることです。

朝ヨーガの後はそのままスヴァーミージー・サッティヤーナンダさんの講話を訳した資料を使ってのおはなしになりました。可笑しくも真髄にせまる、考えさせられる時間です。ハリオーム。

朝ヨーガの後はそのままスヴァーミージー・サッティヤーナンダさんの講話を訳した資料を使ってのおはなしになりました。可笑しくも真髄にせまる、考えさせられる時間です。ハリオーム。

毎月第2土曜日を予定しています。openクラスですから、どなたでもお気軽にお入りください。
一応人数制限がありますので、外部の方は一報ください。

さて。サットサンガ講話内容です。
お読みください。

<他人を悪く思うことについて>

 この講演で、スヴァーミー・サティヤーナンダは人の心の働きについての基本的な見識を語っています。その中で彼は、否定的な考えというのは、他人に対する態度を変えることで取り除くことができると言っています。
肯定的な明るい態度を発展させない限り、心の安らぎは決して得られません。そればかりか瞑想をしてもきっとうまくいかないでしょう。これは、1980年9月スイスのジナールでの講演のテープです。

わたしたちが自分自身のことを悪く考えるのは心の自然な働きといえます。また、他人のことを悪く語ったり考えたりするのも心の習慣といえるものです。
例えば、もしあなたの身体から変な匂いがするとすれば、それはあなた自身の身体の匂いです。しかし、それは外に発散されて他の人たちもその匂いを嗅ぐことになります。同様に、もしあなたが否定的な暗い考えをしたならば、それは人への批判やアラさがしとなって表面に表れるのです。

パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』の中に「最も重要なことは心の静けさである」という教えがあります。他人のことを悪く思ったり考えたりしているときは、心には静けさも安らかさもありません。心に静けさや安らぎがなかったなら、瞑想をしても決してうまくいきません。たとえ瞑想において心がしっかりと集中できているように思えても、心の奥底では嵐が吹き荒れ、いつなんどき灯りを消してしまうかも知れません。
心の安らぎを得るには、幸福な人たちに対して友情を、不幸な人たちには同情や憐れみの態度で接しなければなりません。
 徳のある人たちと一緒にいるとき、わたしたちはとても楽しい明るい気持ちになります。堕落した不道徳な人たちと接するべきではありません。
四つのさまざまなタイプの人たちと接するときに、ぜひ試してみるとよい四つのポイントがありますので、詳しくお話ししましょう。
わたしたちは、とても幸福そうな人たちや人生においても成功した人たちを見たときには、いつも嫉妬心を覚えます。それ自体は自然な反応といえます。しかし、ヨーガの教えによれば、このような人たちに対しも嫉妬などしないで友達にならなくてはなりません。
 たとえばあなたが、とても裕福であったり、偉大な学者であったり、有名人であったならば、あるいは子供たちや妻や夫などすべての点において幸福であるならば、他人に嫉妬することなどないのではないでしょうか。もし、嫉妬心など起こせばたちまち心の安らぎは壊されてしまいます。その人の幸せが自分の喜びとなるような友達にならなければなりません。これが第一のポイントです。
世界中に不幸せな人たちが大勢います。病気や貧困や苦痛や苦しんでいる人たちを見たとき、わたしたちはうれしく思うことがあります。そしてよくこう言います「あれでいいんだ。彼らはそれに値するのだから」と。このような考えを持ったとき、わたしたちは自分の心の中も乱していることになるのです。そんなときに瞑想をしたとしてもきっと良いことはないでしょう。これが第二のポイントです。
徳のある人たちが大勢います。彼らは慈悲深く、周りの人たちを助け、慈善のために多くのものを寄付します。そのような人たちを見ると、わたしたちはよくこう言います「あれは本物の行為なんかじゃないよ。周りの人たちに自分たちの偽善的な行為を見せつけたり、印象づけたりしているだけさ」と。 
あるいはこう言うかも知れません「何か悪い方法で稼いだお金だから、きっとチャリティに出しているのだ」と。
しかし、このように言ったり、考えたりすることで、わたしたちは心の根底にある大切なものを乱しているのです。これもやはり瞑想に悪い影響を与えます。このような場合の望ましい態度は、人が善い行ないをすることに対して自分の心の中に喜びを見いだすことです。「彼はこの団体や組織や社会を助けているのだ。彼はとても寛大で慈善的な人だ。自分のお金を正しい目的のために使っている」と。このように考えることができればあなた自身も幸せになれるし、その結果瞑想にもよい影響を与えることでしょう。これが第三のポイントです。
さあ、第四のポイントです。堕落した人や批判的な人や悪人などを見たとき、わたしたちはこう言います「彼らは悪い人だ。彼らには近づくな」と。どんな集会や集まりにおいても、必ず人の悪口を言う人がいるものです。こういう人はいつも不幸であり、異常であり、心がある種の危機状態にあるようです。ある人は実際に悪い人かもしれません。しかし、そういう人たちの悪いことだけをしゃべり続けるのであれば、あなた自身の中にも悪いものを作ることになるのです。もしその人が悪い人であったとしてもあなたには関係がないのです。無視すればそれで済むのです。これが正しい態度、姿勢です。

心の安らぎや静けさを得るために、わたしたちの他人に対する態度や姿勢は正しいものでなくてはなりません。そして、生涯を通してこれらの態度を実践し続けたあるすばらしい人の例をあげましょう。わたしはその人と何年もの間一緒に暮らしていました。その人とは、わたしのグル、スヴァーミー・シヴァーナンダです。
彼はいつもだれかに奉仕していました。それはまるで母親が子供に対するようでした。しかも彼を批判したり、害したり、攻撃したりした人たちにさえもそのような態度で接していたのです。そのような人たちを、スヴァーミー・シヴァーナンダは自分の弟子たちにするよりももっと心にかけていました。
彼の弟子のなかにはすばらしい人たちが何人かいて、グルに対してとても献身的ですべてを捧げていましたが、彼はあまりそのような弟子たちに対して気を使うことはありませんでした。
しかし、まだ未熟で、あるレベルにまで達していない出来の悪い弟子たちに対しては特別な気遣いをしていました。自らその弟子たちの部屋までコーヒーを運んで行ってあげるということもありました。フルーツなどがアーシュラムに入ると彼らは真っ先にそれらを受け取っていたし、いつでも新しい衣服の配給を受けることができました。彼らの名前はいつもリストの最初に挙げられていたのです。アーシュラムで会合やサット・サンガがあると、彼らはいつも特別席を与えられました。スヴァーミー・シヴァーナンダはこのようなことをどんなときにでもなさっていました。
しかし、このような特別扱いをされてもまったく変わらない人たちが大勢いたことも事実です。かつてわたしたち弟子は、そのことについてグルであるスヴァーミー・シヴァーナンダに指摘したことがありました。なぜならばグルの親切な振る舞いにもかかわらず、悪い行為を繰り返す弟子がいたからです。わたしたちはグルに言いました「グルジーの彼らへの振る舞いはとてもとてもすばらしいと思いますが、一向に良くなっていませんよ。彼らにきちんと何かを教えたり指導したりはなさらないのですか」と。 
グルは答えました「ノー」と。そして、次のような話をしてくれたのです。

あるとき、とても良い性格の男の人がガンジス川で沐浴をしていました。そこにサソリがやってきました。サソリを踏ん付けてしまわないために、その男はサソリを拾い上げると手の中にいれました。サソリはその男の手を刺しましたが、男はサソリを持ったままでした。サソリはもう一度刺しました。
この様子をずっと見ていた別の男の人が、その優しい男に言いました「なぜサソリを捨てて殺してしまわないのかい」と。
優しい男は何と答えたか分かりますか。彼はこう答えたのです「サソリが(刺すという)自分の性質を放棄しないのに、どうしてわたしが自分の性質を放棄できるかね」と。
そうです。もしあなたが悪い考えや想いを自分の中から取り除きたいと思ったならば、あなたの性質のすべてを変えなければならないのです。
サット・サンガに参加することによってあなたの性質をすばらしいものに改善することができます。 
サット・サンガとは人々の集まりのことをいいますが、そこでは仲間と一緒にキールタンを歌ったり、ヨーガを勉強したり明るい積極的な実践が行なわれるのです。あるいは聖典や教典を読んだり、毎日の生活におけるさまざまな問題について討論したりします。そして、わたしたちはポジティヴな考えを持つようになるのです。
このサット・サンガの反対を「ク・サンガ」といいます。クとは「悪い、否定的、苦」、サンガは「集まり」という意味です。  
もしあなたが悪い考えや否定的な考えを持った人たちの中にいるならば、それはク・サンガです。
わたしたち人間の持っている本質を浄化するためのもっとも大切なサーダナが、サット・サンガなのです。もし、自分たちでサット・サンガを持つことができないならば、魂を高揚させてくれるような良い本を読むようにするとよいでしょう。
わたしが学生だった頃、よく、トマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』 を読みました。そして、読むたびに何か新しい光を得ていました。同様に、スヴァーミー・シヴァーナンダの書かれた作品も、わたしたちの性質を変えるのにたいへん助けになります。
わたしたちは、ヨーガについて、あるいはヨーガの実践についての本を書きますが、スヴァーミー・シヴァーナンダは人間の性質や魂についての本をたくさん書かれました。
その中に『Mind-Its Mysteries and Control 』 というたいへん素晴らしい本があります。もし皆さんがこの本を読まれたならば、鏡を見ているかのように自分の心を見ることができるでしょう。自分自身を見ることができなくて、どうして自分を正しくすることなどできましょう。自分の性質を変えるためには、自分の裸の性質や心を見なくてはなりません。自分自身のすべての性質の絶対的なヴィジョンを持たなければなりません。
この他にも、一定の必要最低限の善行がなされ発展していかなければなりません。これがすべてのことがうまく行くコツなのです。

佐保田鶴治訳『ヨーガ・スートラ』・平河出版社
「慈、悲、喜、捨はそれぞれ他人の幸、不幸、善行、悪行を対象とする情操であるが、これらの情操を念想することからも、心の清澄が生ずる」(Ⅰ-33)

仏教でいう四無量心
慈(マイトリー)…他人の幸福をともに悦ぶ心。
悲(カルナー)…他人の不幸をともに悲しむ心。
喜(ムディター)…他人の善い行為をともに慶賀する心。
捨(ウペークシャー)…他人の悪い行為に対して善悪も共感も抱かない心。

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