トリャンバカム・ヨーガ・センターについて ヨーガ クラススケジュール 料金について よくあるご質問と体験者の声 アクセス/コンタクト 講師プロフィール
news/blog
お知らせ
YOGA生活
支援活動
レッスン前の話
クラスの様子

live-life-yoga


本の紹介 『シヴァーナンダ・ヨーガ』善本社 成瀬貴良氏編訳

2014.01.24

Category { サット・サンガ }
Comments  { 0 }

本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』では、わたしたちをいつもあたたかく導きくださる成瀬貴良先生著、『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしお伝えしております。 月2回、8日と24日に配信。 著者よりご許可をいただいての配信。 多くの方の目に触れ、心に触れ、奉仕慈愛の心「SERVE」「LOVE」「GIVE」からはじまる愛のヨーガがひろまりますように!今回は2部の17章〈エゴの発見〉の項をお伝えします。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
17 エゴの発見

ヨーガをしている、と思う「心の罠」
解脱や自由は、どのヨーガによっても達成されることはありません。ヨーガに対する態度や姿勢がどのようなものであっても、そこにはすべて罠があります。自己実現というのは、*サーダナとは関係のないものなのです。
グルデーヴはかつて、ご自身の教えのエッセンスを、短い歌にして表されたことがありました。

その歌の最初の行は、
Serve, Love, Give, Purify, Meditate, Realize.
あなたのできる限りの力でカルマ・ヨーガを行いなさい。
神(大いなる存在)を愛しなさい。
チャリティ(布施)をしなさい。
ジャパや瞑想など、あらゆるヨーガの実践によって、あなた自身が純粋になりなさい。瞑想をして、ウパニシャッドの教えを悟りなさい。
次の行は、
Be Good, Do good, Be Compassionate.
善い人になりなさい。善いことをしなさい。
憐み深い人になりなさい。
3行目は、
Enquire who am I, know the self and be free.
自分とは何かを問い、真実の自己を悟りなさい。
そして自由になりなさい。
そして、次の行が非常に重要なのですが、それは
Adapt, adjust, accommodate, bear insult, bear injury, highest Sadhana.
適合しなさい。順応しなさい。適応しなさい。
無礼なことに耐えなさい。侮辱的なことに耐えなさい。
これが最高のサーダナです。
というものです。

はたして、わたしは日常生活の中で、本当にこれらを行うことができるのでしょうか。
たとえば、最初の行に〝Serve, Love, Give, Purify, Meditate, Realize.″とありますが、わたしたちはカルマ・ヨーガを行っていると思うことによって、バクティ・ヨーガを行っていると思うことによって、少し上手にアーサナをやってハタ・ヨーガを行っていると思うことによって、あるいは、1つのポーズで長い時間坐って深いサマーディに入っているということを自分自身や他の人に言うことによって、自己を欺いて満足させてしまうことができます。

エゴと直接向かい合う「適応」というサーダナ
その点、「適応」や「順応」はエゴを直接破壊しますが、そう簡単にできることではありません。
たとえば、シャツ、本、お金、果物など私たちが今所有しているもの捨てることは簡単にできるでしょう。なぜならば、心やエゴは、「後でまたたくさん手に入れればよい」と思うからです。
しかし、イデオロギーは物質を捨てるようなわけにはいきません。自分と意見の合わない人に対して、偽善的な気持からではなく、「あなたが正しいかもしれません」などということができるでしょうか。
実は、そういうときこそ、あなたの中で何が起こっているかを観察する良い機会なのです。そこには、地震、火事、竜巻、津波など、すべてが一緒になったかのような、激しい心の動きがあることに気づくと思います。それがエゴなのです。それをしっかりと見つめるのです。それに縛られてはいけません。それは私たちに害を与えるものです。いつもあなたの中で何が起こっているかを見つめてください。そこには必ずエゴがあります。
いつでも、どんなときでも、このことに注意を払っていてください。誰かと議論をしたとしても、この「適応」や「順応」という言葉を思い出してください。しかし、それは相手を喜ばせるためでもなければあなた自身が不愉快な思いをするためでもありません。それではかえってエゴを大きくしてしまいます。
「わたしは、とても適応することが上手な人間である。謙虚な人間である」と。
だからといって、たとえあなたが周りの人たちに適応したとしても、誰も褒めてはくれません。あなたの幸せだとか、あなたが救われるかなどということは、絶対といってよいほど、だれも興味などもってはいないのです。だから、他人を喜ばせることなどに気を使わなくてもよいのです。周りの人たちに、あなたが偉大なヨーギーやサードゥや聖者であることを納得させようと一所懸命になる必要などないのです。そんなことは時間の浪費です。
グルデーヴ・スヴァーミー・シヴァーナンダがわたしたちに奉仕の心を語られるときこの「適応性」「順応性」を特に大切なものとして取り上げられていました。
グルデーヴはしばしば強調されていました、「強すぎる積極性や自己主張、*ラジャスティック・エゴはあなたの敵です」と。
これらは弱めていかなくてはなりません。それには、カルマ・ヨーガがあなたを助けてくれるかもしれません(あるいは、カルマ・ヨーガというのは自己主張の強いエゴを破壊した後にできるようになるのかもしれませんが)。人に対して施すほんのわずかな奉仕であっても、自分自身をほかの人に適応させることを学ぶよい機会になるでしょう。バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、ハタ・ヨーガもあなたの助けになるでしょう。しかし、それはあくまで助けになるだけで、解決の鍵になるわけではありません。
解決の鍵は「適合」「順応」「適応」です。

エゴが全くなかったグルデーヴ
わたしは、グルデーヴほどエゴのない聖者を見たことがありません。アーシュラム全体がグルデーヴの存在に依っていました。すべてのレンガがグルデーヴによって積まれていたのです。
1940年代、グルデーヴはよく、グルは弟子よりも下位にあるということを伝えようとされていました。
わたしは、グルデーヴが弟子に対して独断的に物事を言ったり尊大な態度で命令したりするところを1度も見たことがありません。
グルデーヴが望まれたことを、わたしたちが上手にできなかったときでも、単に「では、これこれをしてみましょうか」と言われるだけでした。
反対に、グルデーヴにあなたの意見をよい考えだと思わせることができたならば、グルデーヴはこう言われるでしょう、「それはいい。そうしてください」と。
しかし、もしあなたが何か大事な問題を指摘したときなどは、フルーツやミルクを持ってこさせて褒めるのです。
「お前はたいしたやつだよ! お前のようなアイディアを持った者はだれもいないよ」
それから30分後に戻ってきてこう言います。
「さっき、お前はこの方法でやるとよいと言ったけど、わたしは、どうもそれほど良い方法だとは思わないんだ。こんな考えはどうかね」
このようにグルデーヴは、まず褒めておいてあなたのエゴを満足させてから、反対の意見があることや、反対する人がいることを教えられたのです。
実はこういうときこそ、エゴとは何かを知る良い機会なのです。どうか、しっかりと自分のエゴと直面してください。

「適応」は最高のサーダナ
Adapt, adjust, accommodate, bear insult, bear injury.
適合しなさい。順応しなさい。適応しなさい。
無礼なことに耐えなさい。侮辱的なことに耐えなさい。
周りの人やものごとへの「適応」や「順応」は最高のサーダナであり、自己実現へのもっとも直接的な方法でもあります。なぜならば、エゴをまさに断ち切るからです。
だからといって、世間から批判されたり、侮辱されたりしながら生きなければならない、と言っているわけではありません。最善を尽くすこと、正しい方法で、正しいときに、正しい場所で、正しく行うことは私たちの義務ですし、このことについて妥協すべきことは何もありません。
しかし実際には、わたしたちのあらゆる行為に対して、いろいろと問題を感じている人がいるものです。そんなとき、わたしたちはどんな態度をとるでしょうか。
その最初の衝動は、そういう人を周りから除外しようとすることではないでしょうか。あるいは、そういう人から離れようとすることではないでしょうか。そのような状況をなくしてしまいたいと思ったり、逃げ出そうとしたり、避けることではないでしょうか。
でも、そんなことをすれば、エゴを発見するという最高のサーダナを実践する絶好の機会を逃してしまうことになります。

グルデーヴはスヴァーミー・パラマーナンダジーへ宛てた手紙の中でこう言っています。
「わたしは、わたしのことを批判したり、そしったり、中傷したりする人が周りにいてほしいと思っています。傷つけ、侮辱する人がいてほしいと思っています」と。
これはマゾヒズムなどではありません。グルデーヴだって悩むことなど好きではありませんし、殉教者の苦しみを好んでいるわけでもありません。批判されたいわけでも、批判されるのを見たいわけでもありません。むしろ、グルデーヴはその意味では、自分の振る舞いに大変な注意を払われていましたし、できる限り会社の規範に従われていました。グルデーヴのなされることすべてにおいて、周りから異議を唱えられるような振る舞いなどひとつもありませんでした。しかし、それにもかかわらず、グルデーヴはいつも決まってほかの人たちから批判されていました。グルデーヴのユニークな面がみられるのもそんな状況のときでした。
また、ときには直弟子に大っぴらにばかにされるようなことを言われたり、コソコソと批判されたりすることがありました――グルデーヴは陰で批判されていることをちゃんと知っていました――。しかし、わたしたちはそのようなときにさえ、グルデーヴの表情に不満や不愉快な感情をほんのわずかも見出すことはできませんでした。グルデーヴの愛はいつも変わることがありません。
批判家たちは時折、グルデーヴに対し特別な扱いをすることがありました。しかし、それは本当に時折で、しかも重大なことではないときだけでした。そんなとき、グルデーヴは、それを嬉しがることも、喜ぶこともありませんでした―― そんな時には別の罠があるということを知っていたのでしょう。
もし、あなたが正しいと思ったことをベストを尽くして行ったのに批判されたとしたら、おそらく楽しい気持ちになどなれないでしょう。
しかし、そういうときこそエゴを発見するためのよい機会でもあるのです。「わたしはだれなのか」ということを自問するよい機会なのです。そして、感情を害するとはどういうことなのか、「だれ」が傷つけられるのか、侮辱とはなんなのかを考える良い機会なのです。
グルデーヴはよく、「侮辱や批判は、たんなる風や空気の流れにすぎないんだよ」と指摘されていました。これは、侮辱や批判に対する一つの見方です。
ヨーガを行っている人は、侮辱を単なる呼吸や空気とみなすべきです。自分に投げかけられた言葉を楽しんだり排除したりするのではなく、“I”を、つまり「わたし」を発見するのに役立てるべきです。
精神的な苦悩は、「いま苦しんでいる」という経験の真の意味を理解するために、うまく役立たせるべきです。その経験とともに、その苦しみの原因であるエゴを発見すべきです。そのときエゴは取り除かれ、真に自由になるのですから。グルデーヴはこのことを強調されたのです。
あなたにエゴとは何かを悟ろうとする強い熱意があれば、やがてはその熱意によって、エゴというものは本当は存在しないものだと悟ることができるでしょう。
そのとき、「徳」と呼ばれるものが努力なしにあなたの中に生じるのです。*ヤマ、*ニヤマのすべてがあなたの中に生じるのです。今までずっと語ってきたような修行の成果が、努力なしにあなたのものになるのです。
あなたは無私の人になります――解説は「無私の自己」が導いてくれるものではありません。無私となったときにはすでに解脱しているのです。すでに自己から解放されているのです。だから無私なのです。
自由で完全な境地に到達したい、解放されたい、解脱したいという強い願望があれば、やがては、エゴというのは、注意深い自己観察に欠けた結果、現れるのだということがわかると思います。もし、注意深さや用心深さに欠けるならば、エゴは再び生じるでしょう――ですから絶え間ない注意と用心とが必要なのです。

エゴの潜在性を注意深くしっかりと見つめること自体が瞑想なのです。他に瞑想はありません。エゴが生じるのを防ぐのが瞑想です。用心深くみつめること自体が光であり、洞察力なのです。そして、その光が輝いている限り、エゴという悪魔は目覚めることはないでしょう。それが瞑想なのです。あなたがなんという言葉で呼ぼうと、これが自己実現であり、神の実現であり、解脱なのです。

◇◇◇用語解説◇◇◇
*サーダナ:修行。
*ラジャスティック:ラジャス的。ラジャスとは、3つのグナ(サットヴァ・ラジャヤス・タ
マス)の1つ。活動・興奮・落ち着きのなさなどの性質。
*ヤマ:禁戒。『ヨーガ・スートラ』のアシュタンガ・ヨーガの最初の学習。5つの戒(非暴力・真実・禁欲・不貪)からなる。
*ニヤマ:観戒。『ヨーガ・スートラ』におけるアシュタンガ・ヨーガの1つで、5つの戒(清浄・満足・苦行・朗誦・自在神祈念)から成り立っている。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
コメント:心にザワザワとなにか感情が行き交うとき、そこにはいつもエゴが存在しています。エゴに振り回され続けている時間が長ければ長いほど苦しさは増してゆくもの。「これはエゴなのだ」と早い段階で気づくことが理想ですが、現実はなかなかうまくいかないものです。教室等でヨーガのアーサナに取り組んでいる時間、わたしたちは一瞬一瞬の身体の変化に気づくことができます。こうしたことに慣れてくると日常の生活の中で起こる様々な身体や心の変化、エゴに気づくことへつながるのかなと感じています。ヨーガと触れ合う時間がわたしたちに訪れ続けますように^^

コメント:人間は、「人と人との間で役割を見つけること。」と聞いたことがあります。人と人との狭間で悩みや争い、問題が生じるものです。どの場面においても「適合」「順応」「適応」すること、させることが人として正しく生きてゆくことに欠かせないことだと、こうして教えていただきます。行為自体がエゴ、考えること自体がエゴに満ちていることをしっかりと据え、「今なにをすべきか」、「正しい時に正しい方法で正しく行う」どの場面でも冷静に判断できるように、この最高のサーダナを継続・実践していきたいですね。ハタ・ヨーガの助けを借りて、注意深く見つめる目を養っていきましょう。

シヴァーナンダ本

前のページへ戻る

コメントをどうぞ