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《ヨーガ》と《ヨガ》

2014.05.09

Category { 教室トーク }
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畑のいちご 「ヨーガなんですか?」
 「ヨガではなくヨーガですか?」
と聞かれることがあります。
すぐに応えることができます。正解はヨーガです。

 先日も、オーガニックライフ東京というイベントの中で成瀬貴良先生はこの「ヨーガと書くのが正しいです」と話しをされていました。随所で語られ、何度も語られ、それでも語られますので、きっとどうでもよいことではない…ということなのではないでしょうか。

 ヨーガを実践していくと、深く知りたいと思うことが出てきています。いま、街にはヨーガに関する本や雑誌はたくさん売られていますし、本屋に行かなくてもインターネットで情報を検索することができます。しかし読んでみるとどれもいまひとつ断片的で統一感がなく、まさに垣根の隙間から垣間見ているだけのような気がします。
 ヨーガ実習を終えた時の爽快感や充実感に比べるとずいぶん平ったく感じます。ですから私たちY.L.S.(ザ・ヨーガ・ライフ・ソサエティ)はヨーガを深く理解するために定期的に勉強会をしています。実際に成瀬貴良先生の著書である『インドの叡智』や『ヨーガ事典』は、1987年に松戸で初まったヨーガ・サンガティという勉強会の資料をまとめたものなのです。以来先生はヨーガ・サンガティを継続されるわけですが、実践と哲学をひとつにしたものでヨーガを理解し伝えていらしているように、わたしたちも同じようにしようと考えます。身近にお手本があるからです。
 勉強はヨーガの用語の意味を調べることにはじまり、言葉が生まれたインドという国土、民族、歴史、ヨーガの起源、時代背景と勉強の枠に限りがありません。また、考えてみますと、私たちが実践するヨーガ実習は、背景があって生まれた結論的テクニックであり、古代の先人が実体験を通じて後世へと残してくれた産物です。それらについて今さら工夫したりすることは無意味にも感じます。現代の私たちには到底、不可能ではないかしらと感じる微細な感覚や繊細で正確な記憶と記録です。長く脈々とした伝統というのは、先人を尊敬し、讃える行為ともいえます。
 そうした作業、学習、理解の日々によってヨーガと触れ合っていますと、わたしたちはどうも「ヨガ」とは使えないのです。

 さて、「ヨーガ」と「ヨガ」。なぜヨガが誤った記述かということですが、発声される音を耳で聞く分にはヨーガでもヨガでもよい気がします。その意味が変わることはありません。
 しかし前述したように、ヨーガの伝統とは繊細であり極めて正確なものでした。細かいところが大切なのです。「だいたいそんな感じ」では、悩みを増やしてしまったのでしょう。父から息子へ語り継ぐように、師から弟子へ、波長を同じにした者が語り継ぎ伝承されてきました。
 時代が下がると、広く人々へ伝える教典が残されました。文字にされたのです。
 教典は「サンスクリット」語という古代インドの言語で書かれました。サンスクリット語は日本や中国では「梵語」と呼ばれる、伝説ではブラフマー神(梵天)によって作られたという伝説があります。また「完成された言語」という意味です。
 音を文字として記述するときにヨガという記述はサンスクリット語には存在しません。
 サンスクリット語を訳すとき、発音に沿ってつくられたローマナイズというある一定の規則で書かれるつくられた文字があります。ローマ字の上や下に「ー」や「・」「~」を付けてサンスクリット語に近い音を表記しています。
 ヨーガは「yoga」と書きます。「o」は「オー」と発音される長母音です。「オ」という音はありません。したがってどうしたって「yoga」と書いてあれば「ヨーガ」となります。「ヨガ」は表記上存在しませんし、音としてもサンスクリット語にはありません。
 
 お分かりいただけたでしょうか。

 ヨーガのポーズで腕や手はカラダのどこに添えるとか、このポーズの時はどこを見るとか、足の角度はどうだとか、ずいぶん細かなことまで教えてくれる先生がいらっしゃいます。きっと大切なのでしょう。それを一所懸命にメモする若い方々もみられます。熱心です。
 細かいことがたいせつになってくるのは、実践していくと壁にぶちあたるからです。すぐに解決しないから教典があり、伝承があったわけです。細かいことは角度をかえれば済むようなことではありません。
 ヨーガの指導者でありながら、根幹であるハタ・ヨーガの教典すら読んだことのないインストラクターも多くいるようです。ちなみに、わたくしも当初はそうした一人でしたが。根幹を学ぶといっても、前述のようにY.L.S.でこうして定期的に行ってもおわらず、むしろ限りなくひろがっていくヨーガの深さです。すぐに理解できるわけはありません。経験豊かな指導者に恵まれたなら、数ヶ月、数年間の継続した実践とともに理解する時間が必要です。たいへんなことです。システム的なヨーガが増えているように思います。開催される数回の講座やワークショップなどで聞いたことを受け、個人が感じるままに工夫し研究したテクニックをされている、伝統とはまったく逆の、方向転換のような気がします。

 微細な音も含めてヨーガでありますので補足です。
 ヨーガをする人をyogI「ヨーギー」と言います。男性のヨーガ行者のことで、ヨーギではありません。女性は yoginI ヨギニーでもヨギーニでもありません。yoginI「ヨーギニー」です。

 わたしたちY.L.S.では、ヨーガという学問と誠実に向き合って勉強しながら実践もしているので、普段から発声音でも、記述でも「ヨーガ」と使います。
 しかし、「ヨーガ」を使っている団体だから正しくて、ヨガを使っている団体は正しくないということに通じているわけではないことを補足させていただきます。「ヨガ」と使っていても伝統ある姿勢でヨーガを伝え広める活動をされているグループもたくさんあります。「ヨーガ」と使っていても、まったく理解されていない場合もあります。
ちなみにオーム真理教は「ヨーガ」と使っていました。
 また、ヨーガの実践者であり東洋哲学者で博士号の称号をお持ちになられている佐保田鶴治先生は、かならず「ヨーガ」と書かれます。
 沖先生も深くヨーガに精通され、ヨーガを広める活動にご貢献された先生ですが、「ヨガ」と書かれます。成瀬貴良先生のお話ですと、沖先生は佐保田先生のような学問からヨーガに入ったのではなく、直接インドで修行され学ばれてきた先生なので、耳で聞いたままに書かれたのでしょう。と。確かにインド人はヨーガと言っているのかヨガと言っているのか、発音を聞いた限りではわかりません。
 
 この話を聞いて、みなさまの印象が{とちおとめスムージー}と{のいちごスムージー}をどちらにするか悩むようにお選び使い分けくださいませ。

Hari Om tat sat
Tryambakam Yoga Center
 

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