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トピックvol.4 『ヨーガは秘密にされるべきである。』

2014.05.21

Category { 教室トーク }
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え?!ナイショ?…ヨーガは秘密なんですか?

 「ハタ・ヨーガの知識は 秘密 にされるべきものである」と教典に記されています。少しビックリです。ナイショの行なのでしょうか?そんなにもったいぶることなのでしょうか(笑)?トピック3で、次回に書きましょう…と記しましたので、今回はこの話題を取り上げたいと思います。長いです。スミマセン(^_^;)

“「秘密にすべきだ」と言いながら、教典を通して教えを公に説いていることは矛盾していますよね…”とY.L.S.の成瀬貴良先生はおっしゃいます。わたくしも教室やスタジオを通じてヨーガを伝えさせていただいています。…秘密にもナイショにもしていませんっ(笑)。

 ヨーガはお手軽で、充実感があります。畳一枚のスペースさえあれば、何も準備する道具もいらない、誰でもできる、貧乏でも大富豪でも、もっともチープでもっとも贅沢なものを手にできる!インドのスヴァーミージー(僧侶)はそう言い笑わせてくださいます。難なく身近であることは、生活する上でとても重要なことです。準備に手間がかかれば、どんな秘宝であろうとなかなか伝承されません。あれれ…やはり秘密ではない…?
 加えてマッハの情報時代。知りたい欲望に何でも応えてくれます。人から人へ…これまた全然「秘密に」ではありません。

 ヨーガは極めて実践的なものとして人類の共に生きている道程です。
ヨーガはシステムで伝えることはできません。科学でもありません。
 
 『ハタ・ヨーガの知識は秘密にされるべきものである』とはその辺りのことでしょう。
 実際には教室に通い、先生から教わるという形があるわけですが、実際にどうなのかという目に見えない感覚的な気付きの実践、継続が大切です。
 継続すること。ヨーガではアビャーサ(継続・修習)は心の安定においてたいせつなひとつと説かれます。言葉にできてもそう達成できないことです(^_^;)。
継続が淘汰されることは黄金の卵を産むようなもの。輝く宝を手にすることができるといいます。よし、ならばその黄金を手にするぞぉ〜ε=┏(; ̄▽ ̄)┛挑むように手に入れることを目的とすると、その道程は、けたたましくも荒々しくも…いつしか黄金は輝きを失せてしまうでしょう。ちょっと痛々しくかなしい道程です。

 道程に道案内のランプ(灯火)が灯っています。心の灯となって励まされながら歩むことができます。プラディーピカー(灯火)です。これがハタ・ヨーガです。
ランプは何も語りません。ただ黙って静かに灯っているだけなので、歩むわたしたちはだんだん心配になったりします。「本当にこの道をゆけばいいのか?」「まちがっていないか?」灯火に尋ねても、煌々と小さく炎を揺らしているだけです。人の心は不思議です。信頼しきれない性分なのでしょうか。疑いの心。心配の心。周りを見て比較したりして、結局自分がこしらえているその疑心、乱心なのですが、ちょっとあっちの賑やかで楽しそうな道が、いい匂いのする道が、別の道の方がよく見えてきたりして行きたくなってしまいます。

 師匠に技術を教わるとき、まあ、ある程度段階はあるでしょうが、「よし、じゃあ、やってみるか!」と言われ「(ああ、とうとうこの時がきたか!と胸熱くし)ハイ!」挑むのですが…実際には「あれ?」師匠とおなじようにはいかんのです。灯された通りに歩いていても、道程というのは…そういうものだから継続は神秘の領域です。

 「教典には細かくは書かれていないんですよ……」と、何気なくつぶやくように先生がおっしゃられるのを何度も耳にしました。教典をお読みになったことがある方は想像がつくでしょう。まるでおっ師匠さんから弟子への公案のようなもので、何か言葉の影に、あるいは前後に暗示的な気配のみするものの、ちょっとわからーんのです。

 現代は何でもシステム化されています。システムは細かな部分までマニュアルがあります。経験生を修了者といい、資格取得者といい、それを信頼と言い、値する報酬が支払われ、責務が生まれ個人は励みます。マニュアルはできたかできないかであり、正しい とはちがいます。なぜなら振り込め詐欺マニュアルというものがあるのですから。

 一つのことを貫き研究し、立証し悟ること、すばらしいことです。大変な道程でしょう。カルマ・ヨーガです。
ただし、
自己流は本流ではありません。
自己流にして成就し本流と合体できたならカルマ・ヨーギーです。

 細かいところの識別、細かいところの質を感じる心の育みがたいせつ。
煩わしい部分を削除し便利(?)が追求され、失ってはならないものまで欠落してはいないでしょうか。自ら気づこうとしている力作用とは別の、秘密につたえられている自然という師匠の声に、気配に気づきあえるような…時(とき)のころあい、また備えが整ったころあい…与えられた能力という花が咲けば、実りになり、種となって次世代へ繋がっていくのでしょう。このあたりの目に見えないレスポンスは、『秘密』に伝えられているのでしょう。

 最初に書いたように、簡単でわかりやすいヨーガですから、私たちは自分の得た効果を人に話したいものです。またその効果やヨーガについて他人と話し合うことで勇気づけられたり、問題が解決されたりすることも確かにあります。しかし、多くの場合、その道の途中にあるものの意見交換は、参考よりも混乱を生じさせる可能性の方が強いのです。思い込みサングラスをかけた者同志だからです。繊細な気づきというものは(ヨーガは)たいへん個人的なものです。受け止められた感覚はひとそれぞれ、言葉にしてしまっては、相手を影響させてしまうのです。

秘密にできない時代ですが、秘密の伝導が自然にはあります。気付き和(あ)える交感がある世の中となりますように!そのきっかけにヨーガの道を散歩されるといいなあ〜

合掌
Hari Om tat sat

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