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「スーリヤ・ナマスカーラ」はハタ・ヨーガの行ではないの?

2014.06.23

Category { サット・サンガ }
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クンジャプリの朝陽

クンジャプリの朝陽

トピック10.
「スーリヤ・ナマスカーラはハタ・ヨーガの行ではありません」
 
 成瀬貴良先生にヨーガをご指導されたヨーガ・マイトリー 藤田鳳子先生(※1)の言葉からお伝えします。

 掲載致します文章は、1976年7月に発行された佐保田鶴治先生の喜寿記念号に寄せられた原稿より一部を掲載させていただきます。佐簿田鶴治先生は大阪大学名誉教授であり、インド哲学の大家でありながら日本を代表する卓越したヨーガ指導者の一人です。驚いたことに大学退官後、つまり60をとうに過ぎてからヨーガに出会われたと聞きました。佐保田先生に「ハタ・ヨーガを伝えてください」とお手紙をいただいた成瀬貴良先生からヨーガ禅友会の季刊誌をお借りしました。
 原稿は既に今から30年前に書かれたものです。日本はこの30年で急成長したと言いますが、これを読みますとまったく成長していないことに、精神的な思索の面では全く止まっていたあるいは退化していきたかのように思わされます。(記載者)

*****
 ご承知のようにスーリヤはサンスクリット語で「太陽」、ナマスカーラは「敬礼。礼拝。」を意味します。スーリヤ・ナマスカーラは動的な行ですが、アーサナ(※2)でもなく、伝統的なヨーガ(※2)の一部でもありません。しかし、その人体に及ぼすすばらしい効果により、現代では広くヨーガの行の中に取り入れられております。実習上のテクニックは充分御習熟と思いますので、ここでは少し変わった方面を取り上げてみましょう。

 今日ほどわれわれの日常生活が「自然」から遠ざかってしまった時代が、人類の今までの歴史にあるでしょうか?ことに二十世紀後半の文明国の大都市に生活しているわたしたちは太陽のふるまい(※3)など至極当たりまえのこととして、とり立てて考えてみることもなく、その存在の意味には全く無感覚になっております。現代人は自分らの構築した物質文明と科学の力を信じるあまりに「自然」は自分らが利用するために制服すべきものだとした考えていないようです。
 しかし、事実はどうでしょうか?一例として世界的な異常気象を挙げてみましょう。今夏欧米を襲った猛暑、ソ連の冷夏、そして身近な東北の以上ともいえる冷害は、早速食料需給に影響してくることになり「自然」の光と熱の源である太陽に対しても、私たちは無関心でいられなくなります。北半球の異常気性の原因は世界中の学者によって種々の節がたてられていますが、公害汚染のなかでも「核実験の影響」説には慄然とさせられます。氷河期がどんなに遠いさきの出来事であるとしても、その景色を想像すると太陽へのありがたさに思い当たります。
 測り知れない昔から人類は太陽を礼拝してきました。燃える火の球のような天体が天空を支配し、その熱と光とエネルギーで凡ての生物を養っている事実を彼らは感じないではいられなかったのでしょう。天体に対する畏敬から、多くの神話や祭式が生まれ偉大な文明、マヤ、ギリシャ等は太陽の周りに深い哲学的な宗教を発展させました。
 人類は昔から太陽の力を物質的な事実としてのみ尊崇したのではないのです。精神的な象徴としても太陽は拝まれてきました。死の暗いよると冬から、数朝と。春ごとに生命を復活する太陽は、不死、永生のシンボルでもありました。無明の闇の中に眠っているこを目覚めさせる光明と智慧の象徴でもありましたし、精神的な事実として師超越的実在のシンボルでもありました。この意味で太陽礼拝は古代インドで発展したのです。インドの古典ヴェーダ(※4)には早朝の礼拝についてその方法が多く記載されています。その時代には未だ動きびある形式はありませんでした。それらはマントラ(※5)と組み合わさった、さまざまな静的ポーズ(※6)でした。
 そののち、すぐれたリシ(※7)たちによって、凡ての人がその実社会の生活の中で毎日実行できる太陽礼拝として顕されたものがこのスーリヤ・ナマスカーラであります。スーリア・ナマスカーラは何百年来、今日に至るまでずっとインドの人々の中で行われ、伝えられてきました。この行は健康の為の運動ではなく、民衆の実際生活の中に生き続ける太陽礼拝の姿であります。字義通り太陽への敬礼という意味を失ってはいないのです。

Hari Om tat sat

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