17日の今日へ!
あなたの瞳は親切で見てください。あばたの舌は甘く語り、あなたの手はやわらかく奉仕をします。
eyes
本当にきれいな目をしている聖者ラーマナ・マハーリシ。他の多くの聖者のようにインド各地の聖地を巡礼したり、布教活動、教えや姿勢を説くことはありませんでした。少年時代を過ごした町と沈黙の行をしたティルヴァンナーマライ寺院しか知りません。しかし、次第に彼の周りに集まる人が増え、弟子もでき、世界中から大勢の人がやってきました。
speak with sweetness
昔から偉人と呼ばれる人は悟った知恵を伝えることに関して熟考され、伝えることにも長けていました。文字が読めない人にも、耳が遠い人にも、生きるために働くことで疲労した人にも、奮闘する人にも、幼い子どもにも、わかりやすいものでした。心には安らぎや勇気、明るさや活力が灯のように広がりました。
ブッタはピッパラの樹の下で恐るべき集中力で心と身体と息は完全にひとつとなり、嵐が去った明けの明星とともに大いなる道を見つけました。その後、これから多くのひとたちに大いなる道を伝えるために旅立とうと決意されますが、数日間滞在します。悟りの種をうまくまく方法を考えたり、喜びに満ちた時間を悟った土地で味わうために。
シヴァーナンダさんの周りには何千という人が集まり、そのやさしく穏やかな口調で話すスピーチに聴き入りました。集まった人の中には英語がわからない人もいましたが、そのやさしい眼差しに寄り添って集まるのでした。
ベンガル地方の聖者ラーマクリシュナは、独特のユーモアと地方のなまり口調で、精神世界の不二一元論をさらりと解き明かす現代にひときわ光り輝く宗教的偉人です。
hand
シヴァーナンダという名前をギヴァーナンダ(give)と呼んだらいいという冗談が飛び交っていたように、姿勢で示す聖者シヴァーナンダのその手はどんな瞬間もやさしく温かなものでした。対人だけではありません。どんなものにも礼拝があったと逸話はたくさんあります。「ペンをこんなにも丁寧に扱う人をみたことがありません。」(『シヴァーナンダ・ヨーガ』)
二つの手。片手じゃなくて、双手で添える二つの手。
今日へ!5日にも挙げたこの言葉を再度つづりたいと思います。
神様はわたしたちに二つの眼と二つの耳を与えてくださいました。
しかし、舌はたった一つしかお与えになりませんでした。
ですから、わたしたちはおしゃべりをする以上に
もっとよく見たり聞いたりすべきです。