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2018.10.21

Category { 教室トーク }
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親切で愛情のあることはチャリティーです。
苦しんでいる人へ言われた親切なことばはチャリティーです。

Charity
チャリティーにどのような訳当てましょう。
親切にしよう、愛情を注ごうと思ったとしても、それで良い。しなければ惰性でしかないと言った人がスヴァーミー・シヴァーナンダです。
『ギーター』でも「行為しないで、心の感覚の対象を覚えて坐っている人は愚かな人だ、偽善者だ。」
「心の意識(マナス)によって感覚器官を抑制して、行為する人(カルマ・ヨーガ)は感覚制御して坐っている人より優れている。」
といっています。

一口でスヴァーミー・シヴァーナンダという方を表すとしたら、「奉仕の人」といえるのではないでしょうか。
もちろん、偉大なヨーギーであり、近年まれに見る聖者であることは間違いありません。
スヴァーミー・グルデーヴ・シヴァーナンダは精神世界に入る前はマレーシアで医師として働いていました。しかし、そのから彼の奉仕の心は大きなものでした。治療費を払えない患者には無料で治療をし、貧しい人にはポケットマネーさえ与えていたということです。
後にリシケーシに来てからも、彼は年老いた修行者や病気のヨーギーのために尽くしました。サンタクロースのように大きな袋を担いでは彼らのところに行って薬や栄養のあるものを与えました。
一方で、自分にはたいへんな苦行を課していました。早朝に、凍るようなガンガーに入っては太陽が昇るまでマントラを唱えていたということです。奉仕と修行は並行して行なわなくてはなりません。
シヴァーナンダ・アーシュラムのスローガンともいえる「Serve, Love, Give」の筆頭にあげられているのがServe(奉仕しなさい)です。
シヴァーナンダ・アーシュラムはヨーガを学ぶためのアーシュラムです。しかし、グルデーヴ・シヴァーナンダは、ここリシケーシのシヴァーナンダ・アーシュラにヨーガを学びに来た人たちに第一に伝えたかったのがServe(奉仕しなさい)なのです。
アーサナや瞑想や哲学よりもまず学んで欲しかったのが他人へのServe(奉仕しなさい)だったのです。そして、これはスローガンなどではなく、グルデーヴ・シヴァーナンダの生き方そのものでもあったのです。グルデーヴの生涯を見ますと、人のための奉仕についてのエピソードがたくさん伝えられています。
金言と呼ばれるこうしたシヴァーナンダの言葉にもあるように、グルデーヴは、「奉仕というのは積極的でなくてはならない。常に他人に奉仕する機会を見つけるばかりか、自分で人々に奉仕する機会をつくらなければならない。」と語っています。
リシケーシのシヴァーナンダ・アーシュラムはそのような精神で満ちあふれています。

kind and loving
物語を紹介します。

あるとき母のヤショーダー女中たちが忙しそうにしているので、自分でバターをかき混ぜていました。かき混ぜながらクリシュナのことを考えていました。主クリシュナが子供の姿でお現れになっています。
主はお腹をすかせていらっしゃいます。主は母親への愛情のために、撹拌を止めて欲しいと思っていらっしゃいました。まず第一にお乳を吸わせて、それからバターを撹拌するべきだと母親にお示しになりました。
ヤショーダーはクリシュナを膝に乗せお乳を飲ませ、乳を吸うのにほほ笑みました。突然、火に掛けていたミルクが沸騰して溢れ、ヤショーダーはクリシュナを降ろしてミルクのところに行きました。母が自分を置いていったので主はとてもお怒りになり、唇と目を赤くして石を拾ってバターとの鍋を割ってしまわれました。主は泣きながら、バターを隠れてお食べになりました。
ヤショーダーがかえってくるとすっかり鍋は壊わされています。クリシュナの姿がないので、クリシュナの仕業に違いないと思うと頬には笑みが浮かびました。「ずる賢い子ね。鍋を割っておしおきがこわくなって逃げたのね」
見回すとクリシュナが大きな木臼を逆さまにした上に坐っていらっしゃいました。上から吊るしてある容器からバターを盗んでは猿に食べさせていらっしゃいます。自分が悪戯をしているとご存知なので、主がアチラコチラ落ち着きなく周りを見回していらっしゃるのが見えました。
ヤショーダーは後ろから忍び足で近づきました。クリシュナは母親の手に棒があることに目敏く気付き、逃げました。ヤショーダーは追いかけました。
クリシュナは決してヨーギーや思索家には近づくことのできない御方です。しかし主はヤショーダーのような偉大な検診車の喜びのために小さな子供の姿で遊んでいらっしゃるのです。
素早く逃げ回るクリシュナを捕まえることが出来ません。それでも息の続く限り早く走って、髪は解け、髪飾りの花も地に落ち、やっとクリシュナに追いつくことが出来ました。今にも泣き出しそうにしていらっしゃるクリシュナをヤショーダーは見下ろします。クリシュナも母の顔をご覧になっています。クリシュナの目は恐れで落ち着きなく動いています。ヤショーダーはクリシュナがあまりに怖がっているので恐れを和らげてあげなくてはと思いました。
ヤショーダーはクリシュナのことを最も思っている人でした。「あまり怖がらせるとおかしくなってしまうわ」と、棒を捨てました。そしておしおきとして手を綱で縛ることにしたのです。
彼女は知らなかったのです。バガヴァーンを縛ることは実際には不可能なのです。クリシュナには内も外も、始まりも終わりもありません。クリシュナは無限の御方であらゆる場所に偏在していらっしゃいます。実際にはクリシュナご自身が全物質宇宙の現れでいらっしゃるのです。けれども母のヤショーダーはクリシュナを自分の小さな子だと思っているのです。
それでもヤショーダーはクリシュナを臼に縛ろうと懸命です。縛ると5センチ足りませんでした。ヤショーダーは家からまた綱を持ってきて継ぎ足しました。でもまた5センチ足りません。ヤショーダーは家中から綱という綱を集めてつなぎ合わせてみますが、また5センチ足りません。ヤショーダーは微笑んでいますが驚いてもいます。一体何がおこっているのでしょうか。
クリシュナを縛ろうとしてヤショーダーは疲れてきました。主、クリシュナはヤショーダーが一生懸命に縛ろうとしているのがお分かりになると、それを哀れとお感じになり、母に縛られてあげようとお思いになりました。クリユナはヤショーダーの家で人間の子供のように遊んでいらっしゃいながらも素晴らしい遊戯をお示しになりました。
もちろんバガヴァーンを支配することは誰も出来ません。純粋な献身者はクリシュナの蓮華の御足に服従するのです。献身者は保護していただくのも、滅ぼされるのも主のご意志にお任せします。どんな状況にあっても、自分はバガヴァーンに服従するべき立場にあるということを献身者は決して忘れることがありません。そして主も献身者の保護の下に従属することに超越的な喜びをお感じになります。ですからクリシュナがここで母ヤショーダーに服していらっしゃるのです。
クリシュナの物語『母のヤショーダー、主クリシュナを縛る』より

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