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間で繋ぐもの ー会員Oさんー

2020.09.19

Category { 月刊新聞 }
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夜ヨーガの帰り道で…会員Oさんと。

「やっぱりリモートは駄目ですね〜」と会員のOさん。
先日まで「リモートはやっぱり助かる!」ともおっしゃられていました(笑)。

この間のリモートで、バラドヴァージャ・アーサナしていたら、途中で切れちゃったのに気づかないでずーっとしていて、
「いつも長いけど、これはあまりにも長だろ?!」って思って画面を見たら(切れていることに)気づいたとか。
このエピソードから二つのことを思ったとか。
・ 間にあるものが多すぎる
・ 雰囲気とか、そこに居る人達の集中力いうものに引っ張られている心地よさ

その通りの同感。と深く頷き・・・
ちょこっとトピックス💞

馬と馬車を繋ぐ軛(くびき)がヨーガだと、すでに紀元前の古代ウパニシャッドの中でヨーガがそう説明されています。
間にあって繋ぐ道具がヨーガだ、と。軛で繋いだ馬車に乗って神が人間の傍に来てくださると。
その後で、繋ぐの意味から、合一、結ぶ、サマーディ(三昧)思想が加わります。

現代では、情報と人を繋ぐ間の道具に通信ネットがあり、その情報を間に置いて人が繋がる情報ネットもあります。
もともとコンピューターは大切な機密な記憶やデーターを各組織や会社で持って置くためのものだったと聞きました。
つまり、人の記憶や継承していきたい祈りのような部分を 特別な道具、コンピューターが担っていたのです。

情報について考え直したくなります。情報の役割、担っているものはなんだろうか?情報はほんとうのことで、必要だというものをを取り込んでいるのかしら?と。
森本哲郎氏の著作で「情報について」書いてあることろ、私は幾度かと読み返すところ。
「情報とは何なのでしょう。最近ではやたらと反乱しているが、少し前は別に大した言葉でなく、むしろ格の低い言葉とさえ見られていました。情報という日本語には あやふやな という感じが込められていて「これは確実な情報だが」と確実なという形容詞を付け加えない限り、信用されないのが普通でしたから。
げんにわたしが新聞社へ入った頃は「いいかね、新聞記者が情報屋になったらおしまいだぞ。くれぐれも気をつけろ。」とよく言われたものでした。情報屋とは、不確実なニュースでも何でも片っ端から流す記者のこと。情報とはむしろ信用のおけないものの代名詞でさえあったわけです。
ところが今では信用を回復し、それどころか、時代を説くキー・ワードのようになってしまいました。新聞社も情報産業と自称し、社会そのものも情報社会と言われるようになってしまいました。情報に関する書物もたくさん出版されます。そうなればなるほど「情報」という言葉についての情報が多過ぎるため、タがつけられない体のものになってしまったのです。」

会員Oさんの「間にあるものが多すぎる」に話を戻すと
例えば発信源は一つでも、間にあるヨーガの先に繋がって、Sカンのように繋がっているものは、いろいろの方向…それぞれの意図でヨーガと繋がっています。
次のOさんの言葉にも通じますが、実際にその場により合って坐っているときは、好き勝手な意図で受け止めたりするバラバラの方向は案外となくなって来るものです。
マントラをバイカリーと呼ばれる大きな声で唱える方法で 皆で集まって高唱するバジャンがヨーガにはあり、初心者にはたいへん有益な行法ですが、それと同じだと思います。

ヨーガへ通っているみなさんがどんなシステムで受講されてもよいと思います。
間にあるものが楽でありますように💞

TryambakamYoga Center
早野智子

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