本日 4/2(金)成瀬先生と読み解く『B.G』ご報告
月に一日の教典学習。
本日はヨーガの教典でヒンドゥー教が誇る数珠の聖典『バガヴァッド・ギーター』
成瀬貴良先生の梵語からの訳とその解説で、先生をお招きしています。
2008年から先生との学習会
本日は先生が不調のためご欠席とのことで、
トリャンバカムはスヴァーディヤーヤに切り替えたサット・サンガになりました。
<内容のご報告>
● 始まりに 10分
始まりの賞賛「ジャヤガネーシャ・キールタン」
グルへの礼拝 グル・バンダナ
ギーガーのお祈り ギーターの始まりのマントラ
始まりのお祈り シャーンティ・マントラ
● 本時の内容 90分
10章28節〜10章37節
● 質疑応答・感想
(10章は『B.G』の特徴でもあるバクティー・ヨーガを協調するためにとも言える、クリシュナ(ヴィシュヌ神がクリシュナの姿となって現れている)がこの世に現れている自身の顕現をアルジュナ王子に述べ続け、続け、続ける章。この世に現れる最高の力や繁栄、名誉や清らか、美しさ、あらゆる最高を自分だと言い続けてゆきます。)
感想H.Tさん:「〇〇の中の⬜︎⬜︎だ!」が続きましたが、〇の世界のことや⬜︎のこと、またその関係性を理解するのに「ピン!」とこないものが多くて正直、その理解に時間がかかり疲労っ。でも分かるならどれも面白い。この世に隙間ができないほどクリシュナの力の権限を余すことなく言っているのだろうなあ。
質問O.Sさん:私も混乱気味です。
私たちと違ってインド、ヒンドゥー教徒では「命」に対する考え方は、日常一般では少し違うわけですが、このギータが書かれた時代から、やはり輪廻転生や輪廻からの解脱が最高だとしているのだなあ、とここを読んで感じました。最高のものが不死と言っている「私は始まりで中間で終わりで、不死である」とか言う箇所などは顕著にそれを感じました。
言葉のことが書かれていました(私は文字の中の「あ」だとか)。関心が寄りました。
女性のことが上がっていましたが、どうして女性のことをあげるのかな、と思いました。男性に対する女性…、何を言わんとしてるのかしらと感じました。
質問T.Tさん:ずっと読んでいると、クリシュナ(神)はすべての現れなのですが、例えば「私は月々の中の11〜12月だ」と言っていますが、ほかの月々にも神の現れはあるわけで、あえて11〜12月とか、ほかの説でも最高のものをあげている理由は何だろうな〜と思い先生はなんとご応答してくださるかな、と聞いてみたいです。
こうして、今日も楽しく、私たち互いの間に『バガヴァッド・ギーター』にあって、ヨーガ談義を交感しました。
今日の報告おしまい。
Tryambakam Yoga Center