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「伝承」という実感の毎日

2021.06.20

Category { 月刊新聞 }
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 常に、常に…湧き立つように、震える振動のように感じること。
「伝承(伝統)」に関してー。

 国際YOGA DAYで高野山からのライブ中継がありました。多くの人が日本の聖地高野山の景観、その気配、また行われる対談やヨーガをご覧になったと思います。
自分にとって、思いを留めてみる良い機会なので「伝承(伝統)」に関して書いておこうと思います。
 日本人だからというひいき目はなく、日本はほんとうに素晴らしく美しい、神の生きる国、生きて存続する聖なる地を持つ国だと思って誇っています。
高野山や伊勢神宮などにある実在を崇拝します。現在も生きて継承される生命への礼拝が今も毎朝あるのですから、日に一度の食事が早朝に運ばれ、今もそこで瞑想を続けているバガヴァーンが居られます。
地球レベルという視野に広げて見ても、このような生きた杜がある日本のような国は他にあるでしょうか?
パルテノン神殿にはありません。遺跡は世界中にありますが、生きていません。空っぽの保存です。
インド、ヒマラヤ自体が聖地と言われますが……
 数珠の聖典『バガヴァッド・ギーター』も人間に与えられた祭祀のための行為と知識に関してこう悟りを告げています。
「不滅のヨーガをまず太陽神に説いたが、久しい時を経て伝承はしだいに失われた」と。
そして、神の化身として現れているクリシュナは、世界の維持のために最高の秘説である古(いにしえ)の智慧のヨーガを、いまあなた(熱意ある者であり、友であり、息子であり、自分自身であるあなた)にだけ教えようと告げます。(こうして語られて伝えられている会話がヨーガの教典でもある『バガヴァッド・ギーター』です。)

 伝承される崇拝が今も生きていると証明できるのは、それは実在です。観念論ではありません。実在論です。
継承は<信じる><真似る>だけでもなんとか伝わるかもしれませんが、やはりいずれ変化するのではないでしょうか。
実際が実在する振動するような点の連続によってのみ、真の伝承は起こり得ないと。
共に同じ経験が連続するということは<信じる>も<真似る>も超えていくものだろうと。

日々の行為の瞬間、瞬間に生きていなくてはなりません。
つなぐとか結合という意味だとよく説明される「ヨーガ」の字義ですが、字義的に学術的に説明すると、ヨーガの言葉自体にはその意味はなく、
馬と馬車を、あるいは牛と牛車をつなぐくびき(つなぐ道具)がヨーガであると説明されるのです。
すると、こっちとそっちを繋ぐという意味という解釈ではなくて、
こっちとそっちを繋ぎたいのだという強い意志によって工夫をしてもたらされるもの、それがヨーガだと、こういうことになるのが本当の説明になると思います。
この説明は、私は先生(成瀬貴良先生)からしつこいほどに説明を受けたので、はじめははっきり違いがわからなかったけれど、あまりに説明されるのでよほど何か大事な意味があるのだろうと調べ直して(東洋哲学、宗教学者、博士、文学者、ヨーギーの佐保田鶴治博士の講話集や著書などから)はっきりわかったことです。ヨーガという言葉の意味が繋ぐ、結合と単に言っていいのだろうかと、大きく異なる意味になるという考えを持ちます。
ちなみに、ヨガというのも、ヨガというのは字義的、学術的にみるとあり得ません。梵語の「O」は長音でヨーガというルビになるはずです。もちろん、発音上はどちらでも良いですが、書くときはヨーガとなります。

 伝統に話を戻すと、何を伝えているのかと関心を持ち、心を寄せ、愛おしいほどに渇望した時、その伝承を意味するところが聞こえてくるのでしょう。
強い寄り合いの心が必要ですし、また、そのための筋道だった礼節(儀礼)は熱意を示す礼儀であり、揺るぎない決意の現れでもあり、実直さや誠実さを示すものとして正しく対面されるべき日々の行為です。
 日々のヨーガは行為でもあります。また導きたいと強く寄り合うための道具なのですから、日々の【サーダナ(修行、修習、到達)】にこそなのです。
 個人的ではありますが、ヨーガ・サーダナには生きた振動が常々与えられます。実直に、正確に、それでいて素直にまっすぐと向かう時、震える振動の伝承は生きて与えられるのではないでしょうか。かつてから、古代のヨーガ行者はその伝承を日々のサーダナに感じて、日々連続することなので、終わりのない、常に幸せを与えられるからこそ尽くす修行をしたのでしょう。
 サーダナにこそ「伝承」という実感が生きています。が、それを選ぶ(する)かは人に任されています。だから人間なのでしょう。

Tryambakam Yoga Center
tomoko


2021.06.20

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コメント / トラックバック1件

  1. 大貫美智子 より:

    伝統・伝承というものは、そこにあるだけで尊く何物でもない。ひたすら祈ること尊ぶべきもの。生物、自然、テクノロジーの共存?になっても変わらないものに人は惹かれてゆくのであるが、人たる所以、心定まらずあてにならない生き物でもある。ゆえに、常日頃根幹となる心棒を整えなければならない。つまり(自身)でなくともよいので向き合う。坐る黙して。巡り合わせ良きヨーガの一年生となり、先生のお導きで唱和をしながら、「ツボを結ぶ経絡にプラーナ―を通す」吐く息で伸びますよ。幾度と繰り言先生のお言葉。
    言うは易し行うは難し。万川集海。
    もっともな話:インドの寓話にもあるように、当たり前のことが一番難しくそのことに日々きづき心新たにする。ヨーガとは、、、?
    ヨーガはその鍛錬所だぞー!  

    [国際ヨガday]実技を観て
    身・口・意 指導者様が立っているだけで「刀」のようでした。
    呼吸がもたらすものなのか、、、。悟りの精神の現れ。教えるものは「神」に等しい。正に人に教えるものは神なのである。雑感。

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