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オーム について

2021.06.22

Category { サット・サンガ }
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音は韻、つまり一音(=エーカム)がまず最初に。
神の示現であるクリシュナは言います。「わたしは音声(アクシャラ)の中の一音(エーカム)である。」エーカムとは「ただ一音」ですが、それはオーム のことを指しています。その後で韻律を表す一文字が生まれます。

オーム(上図は「ア」。下がシッダンの「オン」) はシッダン(梵語)の原初音で、種子マントラ。
すべてのマントラ(真言)の中のマントラ、グルのグル、そのグルのグルのグル…とも言える源であり、そこから全てがはじまる。
故に、ヨーガもオーム を唱えて始まる。言葉そのものが持つ意味はない。意味がないのではなくて、すべての意味が帰還し持たない一音。故に聖音。
古代インドのヴェーダ(祭祀主義の宗教)の儀礼では波羅門たちによってまず最初に高唱された。

少し時代が下ると「a・u・m」を、三ヴェーダ(神々について、あるいは祭式についての内容が書かれた古代インド聖典リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ)に当て、またヒンドゥー教三大神ビシュヌ(護持)、シヴァ(破壊)、ブラフマン(創造)に配したりして伝わる。

仏教や日本神道の祝詞の「オン(唵)」はこのオームに由来し、キリスト教の「アーメン」、イースラムの「アミン」の語源も同じである。

「唵」は「梵(ブラフマー)の一字表現(『サーマ・ヴェーダ』)。梵語(ヴェーダ語でシッダン)のオームはシッダン文字で一字表現となる。
文字の話をすると、
ヴェーダ文字(ヴェーダ宗教で使われていた言葉)はその後シッダン文字が生まれるが整頓され消失し、サンスクリット語になる。日本に入った時はシッダン文字であったために、日本にだけ梵字として残ることとなり(インドや中国、韓国ではこのシッダン文字は使われなくなり消失している。)現代でも卒塔婆(ストゥーラ)に使われている。

密教では真言の代表句となって「唵」一字をもって「法・報・應」の三身を表し、瑜伽(ゆが)行(ヨーガ)と結んだ行によってこれを観想(瞑想)すれば彼岸(パラ)に到達(ガテー・羯諦)し得る梵船になると云われた。
行法として(実践法)
・唵字観
釈尊の六年間の修行の中にあるのもこの唵字観。
行:鼻頭に月輪を想い、
月輪の中に唵字を観想する修め。
・ア字観(写真)
同じような観想の修行にア字観もある。
行:梵字「ア」字に対坐して、
自身の胸中にア字を観じ、
漸次拡大して自己とア字が同化し、
宇宙法界にまで広げるもの。

「唵」が「梵(ブラフマー)」の一字表現であるのに対して、「ア」は「真我(アートマン)」であろうか。
ア字は不生不滅であり原初(アーディ、アーディティ)であり原初の支柱・輪・光(アヌトゥパーダ)。

讃えられる「オーム」について書かれている古代のウパニシャッド文献(チャーンドーギア・ウパニシャッド)の訳を紹介することにします。
1−1(第1章1節)、まず最初に記されているのがこのオームについて。

【高唱の崇信】
一 ・ 一

[一] 「オーム」というこの一音を高唱として崇信すべきである。祭官は先ず初めに「オーム」を唱え、しかる後に高唱するのである。この一音に関する解説を述べてみよう。

[二] 曰く、森羅万象にとって地はその精である。地にとって水はその精(ラサ)である。水にとって草木はその精である。草木にとって人間はその精である。人間にとって語はその精である。語にとって讃歌(リッチ)はその精である。讃歌にとって讃唱(サーマン)はその精である。讃唱にとっては高唱がすなわちその精である。

[三] かの如く、高唱なるものは精中の最精なるもの、至高、至尊なる第八の精である。

[四] しからば、讃歌とはつまるところ何か?讃唱とはつまるところ何か?高唱とはつまるところ何かという問題が生ずる。

[五] 讃歌は要するに語(ヴァーチ)である。讃唱は要するに気(プラーナ)である。高唱は要するに「オーム」の一音である。語と気、讃歌と讃唱とはそれぞれ配偶をなしている。

[六] この配偶は「オーム」という一音の内において結成されるのである。そして、二人の配偶者が合体する時には互いにその欲望を満たし合うことができる。

[七] 故に、以上の如くに知ってこの一音を高唱として崇信するものは必ずや百般の願望を達成することができるのである。

[八] また、この一音は応諾である。すべて、人が何事かを応諾するときには「オーム」(応!)と応えるものである。そして、応諾は成功にほかならない。以上の如くに知ってこの一音を高唱として崇信するものは必ずや百般の願望を成就することができるのである。

[九] この一音のちからによってこそ三つの学道(ヴィティヤー)も行なわれるのである。祭儀官はまず「オーム」と唱えて後に助手に呼びかけ、歓請官(ホートリー)はまず「オーム」と唱えて後に参加を誦し、高唱官(ウドガートリー)はまず「オーム」と唱えて後に高唱するのである。かの如きひとえに、この一音が偉力であり、万物の精髄たる故を以ってこれを讃嘆せんがためである。

[十] 以上のことを知るも知らぬもともどもにこの一音によって祭儀を行っている。されで、知ると知らぬとでは相違がある。学道(ヴィディアー)と信仰と奥義(ウパニシャッド)とを以って行う祭儀は一層有効である。

以上がこの一音に関する解説である。『チャーンドーギア・ウパニシャッド』(佐保田鶴治訳)

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