無辺の内の実感
意識が集中して来たら、
その集中を大いなる、無限の、限りなき壮大な宇宙の無辺なものへ結ぼう。
これは、
実に不思議なもので、幸せな気持ちをいただく。
幸せな気持ちは、またまた不思議なもので、攻撃的な心や文句が無くなってしまうのだから
ありがたや。
今日はチャーンドギア・ウパニシャッドの、最初の最初をご紹介した、クラスの始まりでしたね。
昨日は心地よい雨が注いだ一日だったので。。。
森羅万象にとって地はその精(ラサ=生命力を鼓舞し伸ばす液で崇拝するもの)である。
地にとって水はその精である。水にとって草木はその精である。
草木にとって人間はその精である。
人間にとって語(ヴァーチ)はその精である。
語にとって讃歌(リッチ)はその精である。
讃歌にとって讃唱(サーマン)はその精である。
讃唱にとっては高唱がすなわちその精である。
かの如く、高唱なるものは精中の最精なるもの、至高、至尊なる精である。
しからば、讃歌とはつまるところ何か?
讃唱とはつまるところ何か?
高唱とはつまるところ何かという問題が生ずる。
讃歌は要するに語である。
讃唱は要するに気(プラーナ)である。
高唱は要するに「オーム」の一音(アクシャラ)である。
語と気、讃歌と讃唱とはそれぞれ配偶をなしている(夫婦みたいなものだ)。
この配偶は「オーム」という一音の内において結成されるのである。そして、二人の配偶者が合体する時には互いにその欲望を満たし合うことができる。
故に、以上の如くに知ってこの一音を高唱として崇信するものは必ずや百般の願望を達成することができるのである。
また、この一音は応諾である。すべて、人が何事かを応諾するときには「オーム」(応!)と応えるものである。
そして、応諾は成功にほかならない。
以上の如くに知ってこの一音を高唱として崇信するものは必ずや百般の願望を成就することができるのである。
Tryambakam Yoga Center
ॐ
Tomoko