9月に入りました。年の終わりまで4ヶ月。
「今年、何も為したことをまとめられずに終わってしまうぞ」と少し姿勢が正された週末でした。長いこと同じことをしていると、…どんなことでもそうではないでしょうか、萎えてしまうことがあるものです。
みなさんはこの教室でヨーガを知らぬ間に随分と継続されて続けられてきたと思っているでしょう。
今朝は成瀬貴良先生からも、この週末は青森で、10年継続したお礼だと温泉へ連れて行ってもらって来ましたというメールをいただきました。
その日に、その曜日に、その時間までに、共にするための時間をあけられる準備をして向き合え(和え)たのです。少し大げさですが(笑)。
トリャンバカム・ヨーガ・センターが「同じ曜日、同じ時間に、同じマットに坐る」ということを第一歩に掲げているのは、ヨーガというのがあらゆることに対応できる可能性の準備、きっかけを与えてくれるものであるからです。アビャーサ(修習、実習のこと。長きにわたって絶え間なく厳しく行なわれ堅固と成るの意味。)
一生修行という言葉とおり、世界中には今日もヨーガに人生を捧げるべく学ぼうとリシケーシをはじめとする宗教を超える「るつぼ」のインドの聖地に集まっているでしょう。人生の目的到達へ向けて準備する自己を実感し、それで良いかと問い続け、真の理解、真理を為そうと向かっている人びとです。準備の意味を理解し世話をし、理解と修習から難なく継続させる人は目標達成し、ゆくは自分自身や信頼する者への世話などは卒業し、持つ力を他者へ向けているのです。
この日、この曜日、この時間までにみなさんは時間をあけることができているということを自覚されてください。あけるという字は、空とも、明るいとも開くとも充てられるでしょう。自分自身や愛するものたちが今日を気持ち良くはじめていく世話はさらさらとし終えて、安らぎの関係性、心を整頓し正していくステージへと時間を充てられる方々です。
世間には、身の回りの世話である家の掃除やご飯を作ること、洗濯をしてもらえる人も居ます。そういう人達は心を整頓するところから始められます。そうするかは別として。
しかし皆さんはメイドさんの要不要を課題などにはしません。難なくささーっとそれらを終えられるからです。ここに長らく来られていることがその証明です。その恵みをご自覚され、さあ次のステージで舞ましょう。心を整えて見つめてゆきましょう。これはすばらしい、人間らしく生きるというスタートラインであり、美しくてすばらしいことです。
サーダナという言葉と、スカンバの2つを紹介します。
「私のルーティーン」と言って使われる方に、近頃ごろごろ(数名)会ったのでお話です。
「流行語なのかしら?」
サーダナ
「ルーティン」「サーダナ」。ご自分の毎日「する」と決めた事ごとの一貫の流れ。「ヨーガも私のルーティーンの一つ。」と言う声も聴き(*˘人˘*).。.:* 教室に通っていることが生活に流れ込み、うれしいですね〜。
「お決まりの。繰り返される作業」。わたしたちはそれを<ヨーガ・サーダナ><スヴァーディーヤーヤ>と呼びます。サーダナは「修行。修習。達成。」スヴァーディーヤーヤは「自学。学習。読誦。」。ヨーギー、ヨーギニーの持ち物でヨーギニーの一番近くにあるもの。常に触れている。必携はスマホじゃない(笑)。衣食住より手前で触れているし、家族より上。サーダナは双方の調和・愛・平和をもたらすからです。
サーダナは行為や作業に限ったことではないことも含みます。集中を向けることがそれですから、心のをどこかに結ぶこともそのひとつになり得まーす。そんな時間によって一日は清々しくスタートです。
生きること始めのプロローグ。することに縛られては逆回転。そういう体験も含めてサーダナはあって、まんべんなく平等に回すことで開展します。
サーダナはあるときどきで見直すことが求められます。達成、到達に向かうからサーダナで、定期的なサーダナの修習に慣れいつもできると、今度は意識の中に到達点が現れます。サーダナが見せてくれるのです。サーダナの見直し期です。
スカンバ
スカンバは「支柱。柱。支えるもの。」
古い古い紀元前1000年頃から人は天と地とを支える何か大きなひとつの力があると考えられていました。その大いなる力への祈り、歌が『リグ・ヴェーダ』に綴られています。スカンバは世界を支えている中心とされていました。センターで、すべてはそこから展開、発信されています。
ほんとうの自立とは何でしょう。
経済的な安定でしょうか。
立派な家などの環境の安らぎでしょうか。
子孫繁栄でしょうか。
もちろんですが、ほんとうの自立とはいったい何でしょう。
インド リシケーシで研修中のヨーガの仲間の滞在の様子が聴こえてきて、クラスでも紹介しました。
Y.L.S.(成瀬貴良先生にヨーガの実技と哲学を教わっている仲間の集まり)の勉強会を毎月受講されているAkemi さん、Mamikoさんの様子です。リシケーシでアーシュラムを営み、ヨーギー、ヨーギニーの母、川崎あき子さんからの便りでした。その一部をお伝えしました。
Akemiさんはすばらしい!Mamikoさんと一体化して動いています。可能な限りMamikoさんの願いを叶えようと一生懸命です。まさに今日ハムサナンダジのお話にあったカルマ・ヨーガです!と。
そう、今日これからする皆さんのどんな行動、振る舞い、話すことも聞くことも、食べたり見聞きすることも、思うことも、そして呼吸も…どんな行為も全くの他者のために、そこに居られる神へ向けて発信されてください…と。ご受講の皆様へお話するとき、わたしはもっとも自己の心身に話しかけるのでした(笑)。
さて。
「訪れるヨーギー、ヨーギニーが修行に専念できるようにと、なんでも叶えてくれようと世話してくださる方こそあき子さんですよ!」と褒め讃えるあき子さんには思わず微笑んでしまいました。また全盲のMamikoさんの目になっているakemiさんへ敬服合掌。
短い文面でしたがわたくしはたくさんのことでいっぱいになりました。
ひとつはリズムについて。
尊敬するプレーム・ヨーギー、ペールウィンターさんが著書「ヨーガ教室」の中でリズムについて書いています。
呼吸のリズムということで書かれているのですが、わたくしは、呼吸のリズムは時のリズムに通じるとも言えるので、
「行きたい!」と自己の内で行けるとイメージ出来ていたのだろうMamikoさんとリズムと、応じられるリズムだったAkemiさんとの関係性。
すばらしい奇跡の一致。印象深いできごとです。
カルマ・ヨーガについて。
手紙には「神の道に通じなければカルマ・ヨーガではない・・・。」とあったのですが・・・、
そう、まさに「神の道に通じなければ」です。あらゆるものお内に神を見、それのみを見ているということ。まったくの無私です。無私でいられることの自由さで夢中です。讃えられてのこと。日々の恩恵です。それらを享受、楽しんでいられること。すべてを含めて、カルマ・ヨーガになれること。「通じていなければ」のときなのですね!羨ましい限りです。
連鎖して「神」との日々を願う気持ちになりました。神との日々について。
特別な「神」という人がそこに、そっちに、ちょっと離れたところにいるというのではないということ。今、ここに、この心の内に外に触れて居られて、どんな瞬間も触れ合っているのに・・・そのことが認識されなければ忘れてしまうことだし、意識しなくてもいいや、という気持ちになってしまう。
自由で、楽しくてしようがなく、すべきことがあるときというのは、まったく神と一体化しているように自身の心(感情)がいっさい働かないから楽で自由です。
リシケーシという場所について。
リシケーシを想像することができる幸せを思いました。短い数文字でも、思った一瞬で神を思えます。神との戯れに楽しく、また尊び、匂いや味わい(経験)を思い返えして乞うている時になります。
訪れたことのある場所ならば、人は誰でもリシケーシに限らず思いを馳せていかようにもその味わいは広がるものですが、しかし、リシケーシやアーシュラム、ヨーガを教えてくれた先生や師匠、スヴァーミージー方を思うときのみ、広がるそれに一点の濁りもない、濁りを寄せ付ける間もないというところがこの場所の凄いことのように感じます。
最後にヨーガに触れていることについて。
「いつもこうして(電車のつり革を持つように)触れていなさい」と成瀬先生がいったように、触れている今を思いました。毎日さまざまなことがあり、さまざま対応して、まざまざと感じることがあるけれど、触れ続けられていることに合掌。
Tryabakam Yoga Center
ハリオーム!
大いなるものよ
聖なる地よ
ヒマーラヤの聖者よ
ॐ!
そうか!クンバメーラだ!
クンバメーラのクンバはハタ・ヨーガに深く関係するムドラー行で使われるクンバカのクンバ。
水瓶。壺の意味です。メーラは祭祀。
遥か遠い古代、神様たちとアスラ(悪魔)たちは不老不死の甘露の精アムリタを奪い合うとりっこをしたそうな。
その争いは12年続いたとさ。
そのとき落ちた5滴のアムリタのしずくは
クンバの聖地となった。争い続けた12年に一度、聖地でクンバメーラが開催されています。
多くの人達がやってきて沐浴をします。
その集まる人の数たるや3000万人、2ヶ月間で7000万人ともいわれます。
「さて、東京の人口は何人ですか?」と、私も聴かれ、調べて驚いたものでした。
このクンバメーラのときは、サンニャーサとよばれるヒマーラヤでの修行者もヤマから下りてきて沐浴すると聴きました。
そう、初めてマンガンランヨーガピートに訪れたの年、クンバメーラの年でした。
あれから12年の歳月がながれていたのね。
Tryambakam Yoga Center
ॐ