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18.11.21

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親切で愛情のあることはチャリティーです。
苦しんでいる人へ言われた親切なことばはチャリティーです。

Charity
親切にしよう、愛情を注ごうと心がけて行なうチャリティーでも良い。しなければ惰性でしかないと言った人がスヴァーミー・シヴァーナンダです。
『バガヴァッド・ギーター』でも
「行為しないで、心の感覚の対象を覚えて坐っている人は愚かな人だ、偽善者だ。」
「心の意識(マナス)によって感覚器官を抑制して、行為する人(カルマ・ヨーガ)は感覚制御して坐っている人より優れている。」

といっています。

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18.11.20

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神と共にあるあなたの人生を保証します。
他のすべての保険会社は失敗するかもしれませんが神の保険会社は決して失敗することはありません。

 シヴァーナンダらしいユーモラスな言葉です。
積立て、それを何か大事のときに使う。保険金とは…確かにそういうものが保険ですが、日々の行為こそ、そうした保険だと言っています。
 「ヨーガはどれだけ支払いをするかだ」とあるヨーガの先生が言っていましたことが思い返されます。

 他者と他者の間。関係性。ほほ笑みの平穏なかかわり、平和や愛、つまり理解し合おうと気持ちを向け合うことへ自らの行為(言葉や思考も)力を使って尽力することが「月々の支払い」なのでしょう。そして、それを積み立てる、つまり毎日ひとつでもしていくなら、あなたは何の心配もいりませんよ、神様は手を差し伸べてくださる「保険金」が下りますよ、ということでしょう。
 …そんな保険会社はいかがでしょうか。

 定期的に積立、チャリティーという支払いをするための具体的な方法に、「Spiritual Diary」(こころの日記)があります。

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18.11.07

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ラクシュミー

 富と幸運と豊穣の女神さま。インドの各家庭で広く親しまれています。ヴィシュヌの妃です。しばしば大地の女神とも同一視されます。また姉のアラクシュミーは不運・不幸の女神です。ヴィシュヌとの結婚に至った話や、大地の女神と呼ばれる理由、姉妹の関係などの物語はまた、この次のお話で致しましょう。
 さて、ラクシュミーといえばインド最大のお祭りディーワーリーです。日本のお正月のようなものだと教わりました。ラクシュミーはとくに北インドではこの祭と密接な関係があるといいます。
 ディーワーリーはインド歴カールティカ月(西暦10〜11月)に行われます。光の祭として有名です。この起源は叙事詩『ラーマーヤナ』の中に。魔王ラーヴァナを滅ぼしたラーマをアヨーディヤの人びとが出迎えたときのこと。ディーワーリーはサンスクリット語でディーパワリー(光の列)。
 夜には家々に明かりが灯され、小さな素焼きのランプがあちらこちらに置かれます。これは何よりラクシュミーを家に招き入れるためです。扉は開け放たれ戸口には灯と菓子が供えられ、家の中にも暗い場所ができないようにくまなく照らされるのです。地方によってはさらに念を入れて入口のま絵に吉祥の文様を描き、ラクシュミーの小さな足跡も描いて、それを家の中に導き入れたりします。
大衆宗教画に、ラクシュミーを真ん中にして、左にガネーシャ、右にサラスヴァティーを配したディーワーリー・ラクシュミー(写真)と呼ばれる画像がありますが、これは富と幸運と智慧の三位一体です。

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18.10.31

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神とともにある人生にある二つのことば。
デタッチ — リタッチ
世界から切り離して — 主に着いて

Divine Life
「ディヴァイン・ライフ・ソサエティ」として広く知られるシヴァーナンダ・アーシュラムは1936年に設立されました。グルデーヴ49歳のときです。医師だったクップスワミが無一文で、神聖な輝きに満ちた「家」のビジョンをという神の導きだけを頼りにパリブラージャガ(遊行の旅)に出てから13年が経過していました。
驚くべき速さで発展したアーシュラムには世界中から信者や求道者がやってきました。求道者が「ここでどれくらい修行すればよいのか」と尋ねます。シヴァーナンダは一生が修行であると言ってアーシュラムの日々を伝えます。
「あなたはここで他への奉仕を、愛することを、与えることを、純粋になることを、瞑想を、そして悟りを学びなさい。良くなりなさい、そして善いことをしなさい。あらゆるものに同情しなさい。すべては一生涯を通して実践されなければなりません。」
これは、今日シヴァーナンダ・アーシュラムのスローガンになっています。

何かをし続けようとするのがエゴです。寺院に行くこと。坐ること。瞑想すること。アーサナやジャパ、プラーナーヤーマを行うこと。私たちは、これらのサーダナに関してはとてもエゴイスティックです。そして、もし「そんな規則など従わなくてもよい」と思うならば、それもエゴです。もちろんサーダナがを続けることがエゴを大きくすることもあるでしょう。「私は1日たりとも欠かさない」「わたしは毎朝3時間も瞑想している」という風に。
サーダナ・エゴを捨てるためにサーダナを放棄したとしても、エゴイズム以外何も残りません。
「エゴイズム」プラス「サーダナ」方が、「エゴイズム」マイナス「サーダナ」よりもましなのです。

Detach – attach
ヨーギーならば、あらゆるものの中に神を見るように努力しなくてはなりません。あらゆるものの中に神を観たいと願いながら、名のあるもの、形あるものの中に神を見いだすことを拒絶するならば、それは放漫です。それがあなたのエゴです。あらゆるものの中に神を見いだそうとすると、何度も何度もわたしたちは自分のエゴに突き当たることになるかもしれません。
しかし、エゴと直面することの価値を認め、エゴを見つめるためにヨーガを行なっているのだ、ということを忘れなければ、日常はすばらしい学校です。すべての人が、できごとが先生です。日々はすばらしい修行の日々です!

この世に取り除いてよいものだと何一つありません

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