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18.11.20

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神と共にあるあなたの人生を保証します。
他のすべての保険会社は失敗するかもしれませんが神の保険会社は決して失敗することはありません。

 シヴァーナンダらしいユーモラスな言葉です。
積立て、それを何か大事のときに使う。保険金とは…確かにそういうものが保険ですが、日々の行為こそ、そうした保険だと言っています。
 「ヨーガはどれだけ支払いをするかだ」とあるヨーガの先生が言っていましたことが思い返されます。

 他者と他者の間。関係性。ほほ笑みの平穏なかかわり、平和や愛、つまり理解し合おうと気持ちを向け合うことへ自らの行為(言葉や思考も)力を使って尽力することが「月々の支払い」なのでしょう。そして、それを積み立てる、つまり毎日ひとつでもしていくなら、あなたは何の心配もいりませんよ、神様は手を差し伸べてくださる「保険金」が下りますよ、ということでしょう。
 …そんな保険会社はいかがでしょうか。

 定期的に積立、チャリティーという支払いをするための具体的な方法に、「Spiritual Diary」(こころの日記)があります。

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18.11.07

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ラクシュミー

 富と幸運と豊穣の女神さま。インドの各家庭で広く親しまれています。ヴィシュヌの妃です。しばしば大地の女神とも同一視されます。また姉のアラクシュミーは不運・不幸の女神です。ヴィシュヌとの結婚に至った話や、大地の女神と呼ばれる理由、姉妹の関係などの物語はまた、この次のお話で致しましょう。
 さて、ラクシュミーといえばインド最大のお祭りディーワーリーです。日本のお正月のようなものだと教わりました。ラクシュミーはとくに北インドではこの祭と密接な関係があるといいます。
 ディーワーリーはインド歴カールティカ月(西暦10〜11月)に行われます。光の祭として有名です。この起源は叙事詩『ラーマーヤナ』の中に。魔王ラーヴァナを滅ぼしたラーマをアヨーディヤの人びとが出迎えたときのこと。ディーワーリーはサンスクリット語でディーパワリー(光の列)。
 夜には家々に明かりが灯され、小さな素焼きのランプがあちらこちらに置かれます。これは何よりラクシュミーを家に招き入れるためです。扉は開け放たれ戸口には灯と菓子が供えられ、家の中にも暗い場所ができないようにくまなく照らされるのです。地方によってはさらに念を入れて入口のま絵に吉祥の文様を描き、ラクシュミーの小さな足跡も描いて、それを家の中に導き入れたりします。
大衆宗教画に、ラクシュミーを真ん中にして、左にガネーシャ、右にサラスヴァティーを配したディーワーリー・ラクシュミー(写真)と呼ばれる画像がありますが、これは富と幸運と智慧の三位一体です。

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18.10.31

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神とともにある人生にある二つのことば。
デタッチ — リタッチ
世界から切り離して — 主に着いて

Divine Life
「ディヴァイン・ライフ・ソサエティ」として広く知られるシヴァーナンダ・アーシュラムは1936年に設立されました。グルデーヴ49歳のときです。医師だったクップスワミが無一文で、神聖な輝きに満ちた「家」のビジョンをという神の導きだけを頼りにパリブラージャガ(遊行の旅)に出てから13年が経過していました。
驚くべき速さで発展したアーシュラムには世界中から信者や求道者がやってきました。求道者が「ここでどれくらい修行すればよいのか」と尋ねます。シヴァーナンダは一生が修行であると言ってアーシュラムの日々を伝えます。
「あなたはここで他への奉仕を、愛することを、与えることを、純粋になることを、瞑想を、そして悟りを学びなさい。良くなりなさい、そして善いことをしなさい。あらゆるものに同情しなさい。すべては一生涯を通して実践されなければなりません。」
これは、今日シヴァーナンダ・アーシュラムのスローガンになっています。

何かをし続けようとするのがエゴです。寺院に行くこと。坐ること。瞑想すること。アーサナやジャパ、プラーナーヤーマを行うこと。私たちは、これらのサーダナに関してはとてもエゴイスティックです。そして、もし「そんな規則など従わなくてもよい」と思うならば、それもエゴです。もちろんサーダナがを続けることがエゴを大きくすることもあるでしょう。「私は1日たりとも欠かさない」「わたしは毎朝3時間も瞑想している」という風に。
サーダナ・エゴを捨てるためにサーダナを放棄したとしても、エゴイズム以外何も残りません。
「エゴイズム」プラス「サーダナ」方が、「エゴイズム」マイナス「サーダナ」よりもましなのです。

Detach – attach
ヨーギーならば、あらゆるものの中に神を見るように努力しなくてはなりません。あらゆるものの中に神を観たいと願いながら、名のあるもの、形あるものの中に神を見いだすことを拒絶するならば、それは放漫です。それがあなたのエゴです。あらゆるものの中に神を見いだそうとすると、何度も何度もわたしたちは自分のエゴに突き当たることになるかもしれません。
しかし、エゴと直面することの価値を認め、エゴを見つめるためにヨーガを行なっているのだ、ということを忘れなければ、日常はすばらしい学校です。すべての人が、できごとが先生です。日々はすばらしい修行の日々です!

この世に取り除いてよいものだと何一つありません

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18.10.30

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仕事は良い精神でなされるとき瞑想です。

雨や水は熱い夏の時期、雲の中に閉じ込められていますが、やがてあちこちで新しい生命の到来を告げるためにたくさんの雨として再びこの地上に降り注ぎます。
同様に、一所懸命に学んで蓄えてきた理論や哲学のすべてを活動的、行動的なものへ。今この瞬間、この日から実践的、精神的なサーダナ(修習)として始めます。心の中に新しい波長があるです。生み出しましょう。
あなたが今までに学んでヨーガの勉強を通して読んだり、聞いたり、見たり、習ったりしてきたものを、途切れることなくほとばしり出る宇宙的な愛に変えていくこと。絶えることのない愛や奉仕や祈りに変えていくこと。そうやって、あらゆるものの中に存在する神を礼拝しましょう。

Work
スヴァーミ・シヴァーナンダの弟子のスヴァーミー・サティヤナンダは私たちは二つの仕事をすると言います。生きるための稼得としての仕事と、もうひとつは、あなたが求めることへ向かっていく仕事と。
そして仕事は毎日すべきで、与えられたものに対するあなたの姿勢だと、スヴァーミ・シヴァーナンダは思考は人生を左右するから、与えられたものに対するあなたの肉体(行為)を軽率に扱ってはいけないと言います。心は肉体の目に見えない形です。肉体(行為も)は心の思考が外側に表れた姿です。
グルデーヴ師は日々の教えの最初に信仰心を挙げています。

1.信仰心
大いなる神を完全に信じなさい。聖典や聖者の言葉を信じ、自分自身を信じなさい。純粋に信じる心はすばらしい働きをする。
ひとつの石を池に放り込むと落ちた場所から同心円の波紋が起き、周りに広がっていくように、ろうそくの火も、ろうそくの炎から全方向に同心円の波動が広がり平等に照らす。これらと同様に、良い考えであろうと、悪い考えであろうと、心の中に思考が生じると、それは精神的な身体の心(マナス)に振動を引き起こし、すべての方向にあまねく広がるのです。
ゆえに、ひとつの何を放り込むか、なのです。

素直さ が日々の教えの次に続きます。寛容さ、受け入れるということでもあります。

2.素直さ
あなたの両親、導師の教えに従いなさい。兄弟姉妹に従いなさい。敬意よりも素直で従順な方がさらによい。素直であれば偉大な人として輝きを発揮でき、成すべき物事に成功できる。
と。
たとえ面白くなくても他人の話をよく聞き、イライラしたりプリプリしないようにして聞いていれば、あなたの意志は強くなる。他人の心の動きが分かってくる。
すべてが大いなる神からのメッセンジャー(お使い)だ。

meditation
瞑想に入る準備や段階、方法というのは瞑想ではなく準備や方法なのです。瞑想はあるひとつに没入して、我という思いなく集中された状態です。ひとつの対象と一体となっている状態であり、姿です。
ヨーガは瞑想へ道のりを事細かに説いていますし、ハタ・ヨーガは健康面のことも扱いながら、瞑想への道を事細かに説いています。

集中状態にゆだねることができるように、すべてを神にゆだねられるように、これまで自分に起こってきたことはすべて神の意志によって起こったことだと理解されていくこと。心配なく、怖がらず、神経質にならず信じられたとき、ゆだねられることは最高の祈りとなって、あなたには平静な静けさが広がるのです。平和が訪れ、神の恩寵がシャワーのように降りそそがれるのです。

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