「彼岸のあとさき」
彼岸にまつわるお話 vol.3
トリャンバカム サット・サンガ(盛岡 2015.3.22)
昨日の春分の日、お彼岸を中日に
そのあとさき三日づつ、中日を含むと七日間がお彼岸。
今日は後半三日間の一日目です。
彼岸へ至るには六つの波羅蜜がある。
これをブッタは六波羅蜜といった教えで説いておりますが(別資料)、
彼岸のあとさき六日を一日づつ其の教えを実践する。
ハタ・ヨーガの教典にも
ヨーガを破壊する
ヨーガの成功をもたらす それぞれ六つがあります。
ヨーガは解脱への道、その道程のことでしたから、まったく同じです。
サンガではご紹介しました。
ここで説明なしに項目だけ列挙いたしますと、誤解なども起こるでしょうから
それは・・・
また次の機会にお話しましょう♫
或いは!
今度出版される書籍『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』(ハタ・ヨーガの教典)に
解説されていますので、是非お読みください。
「彼岸」
彼岸にまつわるお話 vol.2
トリャンバカム サット・サンガ(盛岡 2015.3.22)
昨日は春分の日。お彼岸の中日。
今日はそのあとさき後半三日間の一日目です。
実は秋分の日や春分の日のあとさき六日間がお彼岸です。
ところでお彼岸て?
彼岸とは?
と。(ア。レレ?…)
彼岸へ彼岸へ
(キールタン…)
♪オン シヴァ オン シヴァ パラン パラン♫
のパーラムです。
パーラム(彼岸)
川向うに涅槃(ニルヴァーナ)があります。
ヨーガは解脱への道のり。
人は誰もが還る涅槃への道、解脱への道。
彼岸はすべてのものが共に分かち合って暮らしている邦です。
岩手県の昔話を思い出します。
「むかし、むかしのそのまたむかし今でいえば岩手県がまだできあがっていなかった頃の遠いむかしのお話じゃ。この土地の人間といやぁ正直で働き者の男と女がほんのひとにぎりほどいるばかり、それにクマやオオカミ、シカやサル、ウサギにネズミ、みんな寄り合って、助けあって生きとったんじゃ。
人間と獣たちはな、朝早くから野山に出て一日食べ物を採り集めるのじゃった。そうして夕方にはみんなで集まって分けあって、みんなで賑やかに食べたんじゃ。そうじゃ、その頃はみんなひとつことばをは話していたんじゃ。みんなこんな日がいつまでも続くと思っておった。…」
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=527
互いが助けあって支えあって分かり合っているから平和で理解に満ちている
愛そのものがある邦をニルヴァーナ、涅槃、彼岸。
川の向こうにあるといいますが、その川と三途の川は全く関係ありません。
川とは、道。
わたくしたちは、道を歩んでいます。
だから、歩んで先に逝った川向うの岸の先祖さまらを想う日ということに。
つづく。
春分の日。彼岸の頃。
彼岸にまつわるお話vol.1 「再び」
トリャンバカム サット・サンガ(狛江 2015.3.21)
一年以上ぶりの再会でしょうか。
トリャンバカム sat-sangahにやってきてくださったMさま
「たいへんでした。」
再開したいと思います。と。涙ぐんでいらっしゃいました。
Mさんを蘇生させた力とは
そして、再びはじめよう。ようこそ!
見渡せば、
トリャンバカムの歩みと共に11年目になる生徒
5年以上続けていらっしゃる生徒の姿が多く見えます。
かつて尊敬するヨーガの先生が何気なくおっしゃられた言葉が蘇り
再びその言の葉が
まさに落ち葉のように一面に広がり、
サンガの景色を見つめていました。
「ポーズが上手にできるようになることや、身体が柔軟になることが目的だったらある一定の期間で達成されればもう良いことになりますが、いつも静かに、ただ同じことを続けていてもいらしてくださるのです。
これは、ポーズが出来るようになったり、健康への有益が理由だとしても、それ以外にもっとたいせつなものがあると思っていらっしゃるのです。継続の時間は、クラスはたいせつです。」
今日も森へゆこう
泉の森会館に!トリャンバカム・ヨーガ・センター狛江泉の森にあります。
モリオカも徐々に徐々に
アーサナがゆっくりとご自分の身や心に響くように森となっていくのでしょう。
恵ビルは恵の森に、恵の園になるでしょう。
彼岸の頃、トリャンバカムに在る残像印象が今日のトリャンバカムを蘇生させます。
Tryambakam
Om santih
(^人^)
職場でこう…うわ〜っと(ジェスチャー)ね
仲間がいろいろ言ってたりするのに
前はこう、一応年上だし応じて怒ったり意見したり
この頃なんかこう
「…ん、そうかぁ」って間ができるっけね……
調子がズレって言うかね
短気だったというか
我慢できなかったというか
そいうのがなくなってね
でもちょっとズレちゃって
今、ヨーガしているときと実際の職場でのズレというかあって…
→インド哲学・東洋宗教学の博士、名誉教授佐簿田鶴治先生の本の言葉をお伝えしました。
驚いたことに、本当にまじめにヨーガをやっている人は思想が変わってくるのです。
思想が変わるから健康になるんですね。
精神をつかい、呼吸をつかってやってやるヨーガの体操を通して、
どなたでもそういう体験を得ることができる。
生きているのが楽しくなり、
人間が生まれてくることの意味がはっきりわかってきます。
→続いて、いつもお話される成瀬先生のある言葉が浮かび、それもお伝えしました。
身体を使って身体だけの効果しか得られないならば、なにもヨーガを行なう必要はありません。美容法や健康法で十分です。といつもおっしゃられています。
ハタ・ヨーガが単なる健康法や美容法でないことは明白で、その影響は決して肉体的な効果に限れるものではありません。得られる成果や影響が、心や情緒、精神、そして人間性にも多大の恩恵をもたらしてくれるものです。とも。
また面白い表現をされる言葉だと思うのは、
逆にヨーガが世界中に広まった理由は宗教のとしてではなく、身体を使うヨーガだったから、単なる健康法や美容法くらいにしか扱ってもらえなかったから。表面的には体操にしか見えない行法をもった宗教は世界に類を見ないといいます。
ヨーガの実習を規則正しいリズムで実践されていたMさん。
きっと日常生活や仕事中もご自身の行為、姿をこれまで以上に敏感に、感じやすくなっているときなのかもしれません。
ヨーガをはじめると間もなくそのような状態がやってくるのでしょうか。ときどき生徒さんから聞きます。自分自身の行為や言葉、心の在り方が、ヨーガのポーズをゆっくり進めているような感覚でみつめていくようになるようです。
あまりに日常的すぎて気付かなかった自分自身の実際の行為や心が、ほんとうだろうか?噓や惰性があるようだなあと、気づき直してちょっとびっくりしてしまう時期がやってくるかもしれません。私なんか長〜くヨーガをしていますが、そんなことの連続です。でもそうやってそうやってすこーしずつ、すこーしずつ…驚いたことに、…となってゆくのでしょう。
(^人^)