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18.10.30

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仕事は良い精神でなされるとき瞑想です。

雨や水は熱い夏の時期、雲の中に閉じ込められていますが、やがてあちこちで新しい生命の到来を告げるためにたくさんの雨として再びこの地上に降り注ぎます。
同様に、一所懸命に学んで蓄えてきた理論や哲学のすべてを活動的、行動的なものへ。今この瞬間、この日から実践的、精神的なサーダナ(修習)として始めます。心の中に新しい波長があるです。生み出しましょう。
あなたが今までに学んでヨーガの勉強を通して読んだり、聞いたり、見たり、習ったりしてきたものを、途切れることなくほとばしり出る宇宙的な愛に変えていくこと。絶えることのない愛や奉仕や祈りに変えていくこと。そうやって、あらゆるものの中に存在する神を礼拝しましょう。

Work
スヴァーミ・シヴァーナンダの弟子のスヴァーミー・サティヤナンダは私たちは二つの仕事をすると言います。生きるための稼得としての仕事と、もうひとつは、あなたが求めることへ向かっていく仕事と。
そして仕事は毎日すべきで、与えられたものに対するあなたの姿勢だと、スヴァーミ・シヴァーナンダは思考は人生を左右するから、与えられたものに対するあなたの肉体(行為)を軽率に扱ってはいけないと言います。心は肉体の目に見えない形です。肉体(行為も)は心の思考が外側に表れた姿です。
グルデーヴ師は日々の教えの最初に信仰心を挙げています。

1.信仰心
大いなる神を完全に信じなさい。聖典や聖者の言葉を信じ、自分自身を信じなさい。純粋に信じる心はすばらしい働きをする。
ひとつの石を池に放り込むと落ちた場所から同心円の波紋が起き、周りに広がっていくように、ろうそくの火も、ろうそくの炎から全方向に同心円の波動が広がり平等に照らす。これらと同様に、良い考えであろうと、悪い考えであろうと、心の中に思考が生じると、それは精神的な身体の心(マナス)に振動を引き起こし、すべての方向にあまねく広がるのです。
ゆえに、ひとつの何を放り込むか、なのです。

素直さ が日々の教えの次に続きます。寛容さ、受け入れるということでもあります。

2.素直さ
あなたの両親、導師の教えに従いなさい。兄弟姉妹に従いなさい。敬意よりも素直で従順な方がさらによい。素直であれば偉大な人として輝きを発揮でき、成すべき物事に成功できる。
と。
たとえ面白くなくても他人の話をよく聞き、イライラしたりプリプリしないようにして聞いていれば、あなたの意志は強くなる。他人の心の動きが分かってくる。
すべてが大いなる神からのメッセンジャー(お使い)だ。

meditation
瞑想に入る準備や段階、方法というのは瞑想ではなく準備や方法なのです。瞑想はあるひとつに没入して、我という思いなく集中された状態です。ひとつの対象と一体となっている状態であり、姿です。
ヨーガは瞑想へ道のりを事細かに説いていますし、ハタ・ヨーガは健康面のことも扱いながら、瞑想への道を事細かに説いています。

集中状態にゆだねることができるように、すべてを神にゆだねられるように、これまで自分に起こってきたことはすべて神の意志によって起こったことだと理解されていくこと。心配なく、怖がらず、神経質にならず信じられたとき、ゆだねられることは最高の祈りとなって、あなたには平静な静けさが広がるのです。平和が訪れ、神の恩寵がシャワーのように降りそそがれるのです。

Tryambakam Yoga Center


18.10.29

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欲望がなく、憎しみや妬みから解放されている人はハッピーです。

happy
幸福な生き方を説く『バガヴァッド・ギーター』に、人間は何に駆り立てられて罪を行うのか。望まないのに。いわば力で強いられたように(3-36)
「罪」は行なわないとしても、何かに駆り立てられるように忙しい毎日です。いったい何に忙しいのでしょう。また「罪」とはいったいどんなことを指しているのでしょう。
罪はパーパと言います。「悪いなぁ〜」と思いながら、またいやいやする、不吉なことを心配して口にするだけではなく、思うこともこのパーパ。
良いことだと思っていてもできない。悪いと思っていても止められない。

free
がんじがらめに強いられているものからフリーになりたいものです。がんじがらめに私たちを覆うものを、大食漢で敵だと『ギーター』は説きます。
・怒りはラジャスグナから生まれたもので、大食漢で大きな罪である。それが敵であると知れ。(3-37)
・火が煙に、鏡がホコリに、胎児が羊膜に覆われるように、この世はそれ(ラジャスグナから生まれる怒り)によって覆われている。

hatred and jealousy
憎しみや嫉妬。怒りはどこからやってくるのか。怒りはクローダと言います。ラジャスグナから生まれる欲望です。
・感覚器官から受ける対象を考えると執着が生じ、執着から欲望が生じる。欲望から怒りが生じる。怒りから思い込みが生じ、思い込みから記憶の喪失が生じ、記憶の消失から知性の破壊が生じ、知性の破滅が生じる。(2-62〜63)

仏教でも三毒があります。三つの怒りは毒になりますよ、と「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」を説いています。それぞれサンスクリット語の①ラーガ…迷いの生存の根源としてのむさぼり。②ドヴェーシャ…いかり。腹立ち。にくしみ怒ること。うらみ。③モーハ…おろかさ。ものの道理のわからぬこと。愚かな心の暗さ。

グルデーヴは言います。
エゴはラーガ・バヤ・クローダから構成されています。
ヨーガは「あらゆるものがひとつである」ということを悟ることなしにはできません。「執着や恐怖や憎しみを放棄した」というごまかしを演じている限り、無私の行為(カルマ・ヨーガ)をすることは不可能です。
私たち人間が、ラーガ(愛着)・バヤ(恐怖)・クローダ(憎しみ)の三つの要素を持って生まれてきたということは心理学者たちによっても明らかにされています。これは、あらゆる人間がこの三つの要素を内面に持っているということです。或いは自己というのは、これら三つの要素で構成されているということでもあります。
この三つの要素は年を経るにつれてますます大きくなっていくことも知っています。私たちの中で形つくられていくからです。ですから子どもの方が大人よりも恐れを知らないのです。子どもは瞬間的に執着したり、瞬間的に怒ることはありますが、大人のようにいつまでもそれに執着していることはありません。
「罪というのは、ちょうど赤ちゃんが成長していく過程において過ちを犯してしまうようなものだよ」
「求めてはいけないよ。断ってもいけないよ。」


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18.10.24

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あなたの心のすべてを 神で、純粋な心で、あなたの手を無私の奉仕で いっぱいにしてください。

今夜はプールニマ、満月。
昨晩は小望月だと友人が知らせてくれた昨晩。満月の前夜。

そのためか…。今朝は月と地球、そして太陽との位置や関係性が瞑想のきっかけに。

太陽に照らされ見えている部分の月の姿
私たちは見えている姿と形を語る
時間は私たちをさまざまに移し変える

『バガヴァッド・ギーター』の2章69節
万物の夜に自己を抑制する聖者は目覚める。
万物が目覚めているときは、それを見ている聖者の夜である。

すべてが眠っていて何も見ていない夜、聖者は静かに起きて見ています。すべてが起きて活発に働いているとき、聖者は何も見ていません。
聖者はわたしたちが見ているもの、感覚器官の対象には関心がないので見ていないのです。わたしたちは感覚器官の対象に縛られているけれど、すべてを抑制下に置いている聖者は感覚器官の対象には縛られていないという歌。

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Tryambakam Yoga Center


18.10.23

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人類への奉仕、すべてを平等に愛する世界を生きますが、それらに付随してはなりません。
自己の内に生きる。これは聖典『ギーター』の要点です。

Gita
 舞台は戦場。王座を巡り親族同士の争いが戦争にまで拡大しています。
戦闘を目前に王子アルジュナは親族が殺し合うことを嘆きますが、友人であり神の化身として現れているクリシュナが、そこでヨーガの道を説き説得します。

 聖典『バガヴァッド・ギーター(Bhagavat gItA)』。神の歌と訳されるそれは、人間の生き方、人と人の間で生きる日常に説かれた幸せに生きる方法を説いています。
解脱の境地に至る道、あるいは方法をヨーガと呼び、昔からのヨーガの意味を大きく広げました。
具体的には、【知識の道(ジニャーナ・ヨーガ)】【行為の道(カルマ・ヨーガ)】【神への献身の道(バクティ・ヨーガ)】の三つのヨーガを説きます。
 先ず「知識の祭祀は財物の祭祀よりも優れ、すべての行為は残らず知識において簡潔する」「すべての悪人のうちで最も悪人であるとしても、あなたは知識の船により、すべての罪をわたるであろう」「あたかも燃火が薪を灰にするように、知識の火はすべての行為(業)を灰にする」と言って知識の重要性を説き、嘆かないでいいことに嘆いていると説得します。
 続いて説かれていくのが、カルマ・ヨーガとバクティー・ヨーガです。
 今日、23日の言葉に対応するでしょう。

serve humanity
love all equally
 クリシュナはアルジュナに勇敢に戦うことを命じましたが、それはアルジュナがクシャトリア階級であったからです。
『ギーター』はバラモン中心の伝統的な教えに背くような、四ヴァルナ制度を認めながらも低いカーストの人をも救済されるという教義を展開しました。
クシャトリアにとっては勇敢に戦うことが本務(スヴァ・ダルマ)なのです。ここで大切なのは、行為そのものの優劣を詮索することではなく、自分の本務を遂行することの方にあります。そしてその本務に「我」という思いを入れないで行なうことがカルマ・ヨーガなのです。
アルジュナの場合は戦うことでしたが、これをわたしたちの仕事や義務に置き換えれば、それがそのままカルマ・ヨーガになります。

 また、カルマとは「行為と行為の結果の関係」です。
古代よりインドでは今の人生を一回きりの問題としてではなく、前世や来世も含めたとても長いサイクルでとらえました。行為の結果は必ずしも現世で現れるとは限らないと考えたのです。
 カルマの問題を長いサイクルで考えると、今の自分の気質や容姿や人間関係などのさまざまな条件はこの世に自分が生まれたときからの結果だけではなく、過去世での行為の結果をも加わっているということになります。
また、現世での行為の結果は現世だけではなく、来世以降に持ち越されることもありますので、その清算をするためにはまた生まれ変わらなければなりません。
 この繰り返しが輪廻転生です。このようにカルマと輪廻転生はとても密接な関係があります。転生の問題はカルマが土台になっているのです。

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 この世に再び生まれて苦労を繰り返すことを恐れたインドの人たちは、どうすれば行為の結果が残らないで済むかを考えました。そして、ある行為が何らかの結果を生じるのは、そこに「我=アハンカーラ」があるからだと気づきました。行為の中に「我」という想いが入ったとき、その行為は結果を残すのです。「我」という想いがなければ、行為の結果は残りません。カルマの秘密は行為そのものよりも、行為の中の「我」への執着にあったのです。
 無執着の行為によって、清算すべき結果が残らなければこの現象世界に生まれ変わってくる必要はなくなります。つまり輪廻転生からの解放、いわゆる解脱です。「無執着の行為」こそが、「行為と結果」とからの解放であり、カルマ・ヨーガの説く道です。

 バクティとは「献身、信愛、帰依、信仰」という意味です。バクティ・ヨーガとは愛する人や大切な人へ献身的な愛や行為を捧げるように、最高神としてのヴィシュヌ神やシヴァ神に信愛を捧げることによって解脱することを説くヨーガのことです。
ここで言うバクティの愛というのは漠然とした人間愛やとらえどころのない宇宙愛といったものではなく、わたしたちの身近にごく自然に見られるように愛する人、好きな人へ捧げる信愛のことです。この信愛に対し最高神は信者(バクタ)にあらゆる恩恵を与えてくださるというのがバクティ・ヨーガの主旨です。
 『ギーター』は実践・行為の道であるカルマ・ヨーガを力説しますが、実はそれより多くの力をそそいで説いているのが、神への信愛の道バクティ・ヨーガです。
先のカルマ・ヨーガが倫理的あるいは行動的であるとするならば、バクティ・ヨーガは信仰的あるいは情緒的な要素の強いものといえます。また、カルマ・ヨーガが無私の行為によって、ラージャ・ヨーガが瞑想によって解脱に至るという「方法」と「目的」を持っているのに対し、バクティ・ヨーガは神を信愛するという行為自体がそのまま結果になっているという点で最も優れているといわれています。
 

Love in the Self.
 神はひとり一人の内に存在しています。気付きという認識が内にあるエネルギーで、それを見る源こそが内なる神、自在神です。