本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』では、わたしたちをいつもあたたかく導きくださる成瀬貴良先生著、『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしお伝えしております。 月2回、8日と24日に配信。 著者よりご許可をいただいての配信。 多くの方の目に触れ、心に触れ、奉仕慈愛の心「SERVE」「LOVE」「GIVE」からはじまる愛のヨーガがひろまりますように!今回は2部の18章総合的なヨーガ<個人の精神的成長と社会奉仕><「世間との交わり」と「独りになること」><独りで修行することの危険性>をお伝えいたします。
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18 総合的なヨーガ
個人の精神的成長と社会奉仕
シュリー・グルデーヴが歩まれたヨーガの道は、わたしたちが一般に「総合的なヨーガ」(yoga of Synthesis)と呼んでいるものでした。しかしそれは、「総合的なヨーガ」とか「インテグラル・ヨーガ」と呼ばれているような体系化されたものではありません。
また、ヨーガという言葉自体が「総合」「結合」という意味を持っていますので、専門的なヨーガや特殊なヨーガと呼ばれるようなものはないのです。
人は何をすべきか、なぜ行うのか、だれがだれに行うのか、ということを知らなければ―― さらに、正しい姿勢がそこになければ―― 本当のカルマ・ヨーギーになることはできません。
行為の中に献身や愛が表現されなければ、バクタ(神の信奉者)になることはできません。神像や絵、寺院の中にしか神を観ない人、神の創造物(物質をも含めたこの世の中)をみすぼらしいつまらないものだと考える人は危険です。
グルデーヴはわたしたちにしばしば、世間から離れたり、孤立してしまっては、「徳」は育たない、と警告されることがありました。たしかに、世間から孤立した状況の中で「徳」を育てることはできません。世間に生きること(カルマ・ヨーガ)や、愛や献身(バクティ・ヨーガ)なしには、*ヤマも*ニヤマも、瞑想も*ジャパも不可能なのです。
グルデーヴは周りの人たちにいつも、個人の精神的な成長と社会への奉仕とを同時に行うよう勧めていました。
しかし、だれかがときどきこう指摘することがありました。
「スヴァーミー・シヴァーナンダは、仕事そのものが神への捧げものであり、礼拝だと言っておられなかったですか」と。
たしかにそのとおりです。仕事自体が神への礼拝です。グルデーヴご自身、仕事はどんなものであれ―たとえそれが大臣の仕事であれ掃除人の仕事であれ―神に捧げるべきであり、礼拝の行為として大切にしなければならない、と語られていました。
しかし、ここでいう「神の礼拝」とは、どういう意味なのでしょうか。
本当の意味で神を礼拝したことなどいない人に、その行為を神に捧げるなど、できるものでしょうか。
わたしたちは何かを行なうとき、心はどうしても行為そのものに専念してしまいがちです。それでは、わたしたちがその行為を神へ捧げることができるようになるためには、どのような環境の中で心を育てていけばよいのでしょうか。
このような静かな雰囲気のアーシュラムとは異なり、ずっと騒々しい厳しい生存競争が繰り広げられている世の中で、いかにすればわたしたちの行為を神に捧げられることができるのでしょうか。
「世間との交わり」と「独りになること」
「仕事は礼拝です」―グルデーヴのこの言葉は、「仕事」と「礼拝」との両方が大切であることを意味しています。一方がもう一方を犠牲にするという意味ではありません。
もし、あなたが個人的なサーダナだけに専念して、社会奉仕はどうでもよいと考えているならば、それは自己中心的な生き方であり、利己主義であり、社会に依存しているだけであって、あなた自身を世間から孤立させてしまうことになります。
ですから、グルデーヴは、ヨーガ・サーダナという名目で独りになることを勧めるということはありませんでした。
グルデーヴはしかし、これとは別な形の「孤立」を命じられることがありました。
それは、個人的なサーダナと、グルや社会の奉仕との両方を統合して行うというものでした。これは、グルデーヴご自身が行われていきたことですが、たいへん難しいものです。
どういうことかといいますと、大勢の人びとの中にいるときにもまったく独りであるということを悟り、森の中で独りでいるときにも、大勢の人びとと共にいるということを悟ることです。これらをどのように統合して行なっていくか、それを学ぶのがヨーガである、とグルデーヴはわたしたちに教えてくださったのです。
わずかでもグルデーヴと行動したことがあるひとならば、大勢の人びとに囲まれながらも、グルデーヴの顔や態度に、だれも触れることのできない孤高な姿を見ることができたのではないでしょうか。
独りで修行することの危険性
では、もし独りになったとしたら、どのような危険性があるというのでしょうか。
たとえば、「わたしは離慾した。すべてを放棄した人間だ。人との交際は好きではない。なにものにもかかわらないで独りで暮らしたい」と考えて実行したとしても、*ダッタートレーヤや*ラーマナ・マハーリシやスカデーヴァでもない限り、むしろあなたは無気力で怠慢な、怠け者になるだけかもしれません。「孤立したまま成長できる人というのはそれほど多くはないのです」
あなたが「わたしは解脱するために努力している」と思っている間は、実はあなた自身の「自我」「自己」が存在していることでもあるのです。「わたし」が解脱のために努力しているのです。「わたし」が努力している限り、解脱はありません。「わたし」から脱しない限り解脱はないのです。
グルデーヴはしばしば、「社会から離れて独りになっても成功し、精神的な太陽として輝き、全世界に智慧と祝福とを放つことができる人というのは、ほんのわずかな求道者やヨーギーだけだよ」と語られていました。
そのような聖者が実在することは確かに認めますが、それはごく少人数で限られた人なのです。
それに、世間から離れてしまったならば、「人への奉仕は神への奉仕である」というスローガンは掲げられなくなります。
無私の奉仕とは自分を無にした奉仕です。あなたがほとんど目立たないなったとき、ほんとうの無私の奉仕の状態に入ることができるのです。
あなたが社会に奉仕をしているとき、大勢の人びとはこう言うでしょう。
「おぉ、偉大な人よ!あなたはなんとすばらしい行為をなさっているのでしょう!」と。
そして、しばらくの間、あなたはこう答えるでしょう。
「いいえ、わたしは神のなさることのお手伝いをしているだけです」
それから、徐々にあなたは感じはじめます。
「そうだ、このすべての栄光は神のものだ。神はわたしの中におられるのだ。神と私はとつだ」と。
あなたは確かに世間に奉仕をしたかもしれません。しかし、これではエゴがますます大きくなっていきます。なぜならば、あなたはヨーガのもう一つの側面を無視しているからです。社会に対して大きな貢献をしているかもしれませんが、それではあなた自身の個人的なサーダナがどこかへ行ってしまいます。
*下線部解説
*ヤマ:禁戒。『ヨーガ・スートラ』のアシュターンガ・ヨーガの最初の学習。五つの戒(非暴力・真実・禁欲・不盗・不貪)から成る。
*ニヤマ:勧戒。『ヨーガ・スートラ』におけるアシュターンガ・ヨーガの一つで、五つの戒(清浄・満足・苦行・読誦・自在神祈念)からなっている。
*ジャパ:「繰り返し」の意味。実際にはマントラを何回も繰り返し唱えること。ジャパには、心の中で・つぶやくように・声に出しての三つの唱え方がある。
*ラーマナ・マハーリシ:南インド出身のジニャーナ・ヨーギー。南インドの聖地アルナーチャラで終生を過ごした。
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コメント:わたしたちは普段何かをする際、自分の為、家族の為、他者の為、目に見える誰かの為に行うことがほとんどなのではないでしょうか。そうなると心はいつも揺れ動き良い結果が得られない時、心は苦しくなります。シヴァーナンダさんのおっしゃった「世間とのかかわりの中に神へそれらを捧げるようなつもりで行う」ことで人からの評価や報酬を心配することがなくなります。心が不安定になることから解放されます。神へ捧げることができることに喜びや感謝の念が湧き、安心して落ち着いて行動がとれるようになります。当然、良い結果も伴うでしょう。シヴァーナンダ・ヨーガという本を通じて毎回様々な学びがあります。この学びを実践し続けることがなかなか難しい点!!でもありますが、道はそれてしまってもヨーガを実践し続けることでまた正しい道へと進めるのかなと感じています。共に学び共に歩み続けましょう。
コメント:騒々しい毎日の中で、純粋な心を維持するためにはどの様にしたらいいのでしょうか。「行為を神に捧げる」「仕事は礼拝」…日常にはかけ離れているかもしれません。どんな仕事も与えられたものは自分の役割だと知って、自分以外の者に捧げる気持ちで行ってみると“礼拝”となるのかもしれません。大勢の中にいるとき、冷静に「独り」を観ることができれば、独りでいるとき、周囲を感じることができれば、仕事も仕事でなくなり捧げる行為になり、行為が礼拝となってゆくのでしょうね。先人から教えていただくことを日常に生かしてゆくことこそヨーガなのだと思います。継続しましょう!
2/8の実施予定の全クラス(ゆったりヨーガ・朝ヨーガ・『YOGA KRPA ヨーガ・ニドラー』)が 大雪注意報の為、 休講になります。 急な休講で申し訳ございません。
自然の力を感じ…
自然の優しさを知り…
ゆったり…
白い世界に包まれる…
そんな一日になりそうです。
お出掛けの際は、足元にお気を付けてゆっくり向かわれて下さいませ。
※クラスの皆様へ振替チケットをご用意して来週お待ちしております。
…ちょこっと【お知らせ】です。
トリャンバカム・ヨーガ・センターでは、月に一度のサンガ(ヨーギーの集まり)を実施しております。
ちょうど明日9日は開催日です。
もしご都合ご環境が合いましたら、
コトコトと・・・お散歩気分でいらしてみてください。
1430-1520頃まで 教典朗唱と解読のサンガ
1530-1630頃まで 実習ハタ・ヨーガ 実習を深めるアドヴァイスと実践のサンガ
です。
Hari Om tat sat!
『みんなYOGA』開催のご案内
会員さまからご家族へ…お友達へ…ヨーガの輪が広がりますように。
ヨーガの森へてくてくお散歩しにきませんか。そこはとても清らかで、寛ぎの空間。
いつものようにヨーガ
特別にヨーガ
みんなでヨーガ
いたしましょう。
―詳細―
『みんなYOGA』
日時:2/11(祝)10:00-11:30
場所:泉の森2階ギャラリーB
持ち物:ヨーガマット
参加費:会員/振替受講可
ご家族・お友達/通常1レッスン3,000円→『みんなYOGA』1レッスン半額1,500円
担当:長又美保
定員がございますので、参加ご希望の方は直接指導員、又はinfo@tryambakam.jpまで。