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12.05.31

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5月25日(金)第4回の講義がありました。

今回は、
第4章「ウパニシャッド」
3.ウパニシャッドの思想
●ウパニシャッドの中の「ヨーガ」
●ウパニシャッドの中の聖音「オーム」
●ウパニシャッドの中の「プラーナ」
●その他(輪廻転生)

第2部【中世インドとヨーガ】
「第2部の概要」
第1章「ラージャ・ヨーガ」
『ヨーガ・スートラ』
●成立年代
●著者・編纂者
●『ヨーガ・スートラ』の構成
●『ヨーガ・シャーストラ』     を学習しました。

[学習内容]
ヨーガが「心統一」(瞑想)の方法として初めて明確に表れたのがウパニシャッドの時代に入ってからでした。そのヨーガという言葉には、少し後の時代の文典の中に、元来の「馬と馬車を繋ぐ」という意味のほかに「三昧」という意味がつけられていました。なぜ「馬と馬車を繋ぐ」という意味のヨーガが、「三昧」(瞑想)という意味を持つようになったのか?『カータカ・ウパニシャッド』の中に、「五つの感覚器官・心の働きをなくした時、人はこれを至上の境地といい、ヨーガと呼んだ」とあり、その経緯を「馬と馬車を繋ぐ」を用いて説明しています。また、この『カータカ・ウパニシャッド』には、後のサーンキヤ哲学の基(表面的なもの → 深いもの)と心がだんだんと深まっていく境地も説かれていました。

最も古い『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』には、「オーム」を唱えることによって「百般の願望を成就することができる」と説かれ、祭祀においてもまず最初に唱えるのが「オーム」であるとの教えがあります。もともとは、ヴェーダの祭式の際の受け答えの言葉でしたが、時代が下がるにしたがって神聖さを増していき、ブラフマンの同義語にまで高められ、さらにアとウとムに分けて説明するというような教義的な解釈がなされていきました。「オーム」は、キリスト教の「アーメン」、イスラーム教の「アーミーン」と同源であるともいわれ、仏教の真言や陀羅尼の最初に、また神道の祝詞の中にもみられます。

プラーナは、ずっと後になって表れた言葉のように思われますが、初期の『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』には、身体の各器官よりもプラーナが一番貴いものであるという説話があり、後期の『プラシュナ・ウパニシャッド』には、アパーナ、サマーナ、プラーナ、ウダーナ、ヴァーユの五種の気についても説かれていました。
また、ウパニシャッドには、初めて輪廻転生についても説かれていました。

中世インドは、ヨーガを含めインドの思想史にとって重要な出来事が数多く起こった時代でした。宗教的特徴としては、『バガヴァッド・ギーター』の出現によって、ヨーガが「心統一」から「解脱の方法」という意味に大きく広がった時期でした。特にバクティ思想はその後のインドに影響を与え、仏教も伝統的な上座部に対して、大衆部という新しい運動が興り初めて仏像が作られました。また、クシャーナ王朝の後、グプタ王朝が興り、この安定した時代に六派哲学が体系づけられました。

紀元前後頃になると、それまでの「心統一」という解釈だけでなく、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジニャーナ・ヨーガによっても、同じ境地に到達することができると考えられるようになりました。これらの出現によって、解脱への道が増え易行の道が開かれました。

「心統一」法としてのヨーガを説くもっとも古典的なヨーガがラージャ・ヨーガで、その教典が四つの章からなる『ヨーガ・スートラ』です。この教典は、一時期に一人で短期間に書かれたものではなく、作者に関してもインドでは、あまり重要視されず諸説があります。また、この本文は非常に簡素に書かれているため、昔から註釈書を用いて研究することが一般的な方法となっていました。※次の『インドの叡智』はサーンキヤ哲学を学習します。

次回、養成コースは6月1日(金)実技講習です。


12.05.30

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5月6日(日)第1回目の講座がありました。

この「ヨーガ生活実践講座」は、
1.現代と健康
2.ハタ・ヨーガ実践のために
3.バリエーションプログラム   の3つの柱で

ヨーガをするのではなく、ヨーガそのものが生活となるよう、それを実践していくため各テーマをヨーガ的解釈で理解していきます。

今回のテーマは、[健康について考える]

  ●現代社会を客観視する
    昔 … 運動は生活の中にあった
    今 … 運動をお金で買う 
    時代と共に健康観も変わっていった。

  ●ヨーガを学ぶことを考える
     ヨーガを学ぶことは「気付く」こと。
     「身体」での体験を通して、環境・現代の状況が
     感じられていく。

  ●現代とのバランスを考える
     環境に馴染むという状態は、自然との無理のない
     バランスが必要となる。
  
  という内容を学習しました。

この「講座」は講義ではなく、テーマに則ってより深めていく研究会のようなもの。ヨーガが好きで学びたい者たちが集まり、先生方から発信されたことをきっかけに実際に生活に生かしていく実践の時間です。

次回は、6月3日(日)[生きる・生きている・生かされる] 
のテーマで学習します。


12.05.26

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5月25日朝陽
ヨーガ生活、していますかあ?
爽やかな風が吹いています。
5月の第1周目はGW休暇で休講でした。
5月は5週目までクラスを開講しています。

2012年6月カレンダー.docx※週に一度の断続のヨーガ実習は、ヨーガの効果を深め、高めるのに重要なポイントです。心に留め、実際はご環境内で無理のない、継続できる環境で続けてみましょう

【6月の特別講座】

《キャンドルナイト・ヨーガ》(毎月1回 第2水曜日)
ヨーガは波動そのものです。日々の明かりから炎の揺らぎへ。
地球にやさしい… ヨーガへの深まりは高くなります。
同じ空間なのに、キャンドルの優しさでしょうか?
心地よい安らぎへと導いてくれるでしょう…
日時:6月13日(水) 18:00~「夕べのヨーガ」
            19:30~「夜ヨーガ」
      上記2クラスがキャンドルナイト・ヨーガになります

実践「ハタ・ヨーガ」
【生活+YOGA】(生活の一部にヨーガを取り入れる)は
【YOGA=生活】(ヨーガそのものが日々に)へ。
レッスンでは、聖者、慈愛と奉仕の僧スヴァーミ・シヴァーナンダの説かれるヨーガのこころを受け、伝統的なハタ・ヨーガをお伝えします。
日程:6月 1日(金)※毎月第1金曜日を予定
時間:14:00~16:00
場所:調布市大町ふれあいの家 
   (市民大町スポーツ施設内:調布市菊野台3-27-39)
講師:早野 智子
費用:2,000円/1回
申込み:メールまたは指導員まで
     info★tryambakam.jp
    (★を@に置き換えてください)

7月の予告 座学『バガヴァッド・ギーター』
『バガヴァッド・ギーター』=神の詩を学びます。人類を導くために、主なる神(クリシュナ)が一個人としてこの地球に出現され、神自らがこの心理を語っています。私たちに大きな恩恵を与えてくれる大切な神のことはが残されてます。日々の生活に活きる。清らかに生きる術がここにあります。
日程:7月 6日(金)~ 2013年3月まで※毎月第1金曜日を予定
時間:10:00~12:00
場所:狛江市中央公民館 和室
   (狛江市和泉本町1-1-5 狛江駅北口)
講師:早野 智子
費用: 2,500円/1回 または6,000円/3回連続
申込み:メールまたは指導員まで
    info★tryambakam.jp
    (★を@に置き換えてください)


12.05.24

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シヴァーナンダ愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、シヴァーナンダジーの章を2回に分けて紹介します。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
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前回のつづきです
シヴァーナンダという人
スヴァーミー・シヴァーナンダの身長は6フィート(約180センチ)で、顔色は赤く、広い肩幅と長い腕を持っていました。頭や顔はいつもきれいにそっていました。顔つきは子供のようで、狡さや図々しさというものは全く見られず、眼も輝いていました。
 多くの聖者たちの中でも、シヴァーナンダは他を圧倒するような存在でした。安らかさと若さの化身のようでした。声はとても力強く響き渡りました。会議などでは、マイクを近づけようとすると「必要ありません」と断ることがしばしばでした。その声の大きさは、何千という聴衆がいてもマイクなしに十分に届くものでした。
 歩くときには全く物音を立てませんでした。すべての行為が調和のとれたものでした。何かを語る時も、その言葉は安定していて自然で、飾りたてないために、かえって目立ちました。
 シヴァーナンダの外見はとても質素なもので、額に派手な印をつけることもなく、もつれた髪の毛も顎鬚もありません。首に数珠を巻くこともなく、耳飾りも付けません。着ているものも、天候から身体をまもるに十分なだけの衣服で、一般社会においても通じるごく常識的なものでした。
 1956年のある日、一人の年配の女性がシヴァーナンダに会うためにアーシュラムの事務所に入って来ました。スヴァーミー・シヴァーナンダは彼女に合掌をし、「オーム」を唱えて挨拶をしました。さらに席をすすめると、彼女の健康やここまでの旅の様子を訊ねました。
 しばらく話をした後、シヴァーナンダは再び仕事に取り掛かり、彼女のほうも静かに事務所を出ていきました。そして近くの薬局に入ると、彼女はそこにいたアーシュラムの人に訪ねました。
「スヴァーミー・シヴァーナンダはどこにいるのですか?」
彼は驚いて言いました。
「スヴァーミージーは事務所にいらっしゃいますよ。あなたはいま、事務所から出てきたのではないですか?」
「あそこに坐っていた、コートを着てメガネをかけていた人かい?あの人がスヴァーミージーかい?わたしはアーシュラムのマネージャーかと思ったよ!」
 彼女は目にいっぱい涙を滲ませると、再び事務所に入ってゆき、シヴァーナンダの足元にひれ伏しました。
 スヴァーミー・シヴァーナンダは、決して偉ぶったり気取ったりすることはなく、どんなひととも気さくに話をしました。敬意のこもった言葉でだれにでも話しかけました。シヴァーナンダはタミル語はもちろんのこと、英語、ヒンディー語、マレーシア語など、実に多くの言葉を学んでいて、いつも相手の母国語で話すように心がけ、挨拶、ことわざ、詩、歌などを引いて、人びとを喜ばせたり、気持ちを和らげることに努めました。相手と同じ言葉をあやつってとても上手に会話することができたのです。
 シヴァーナンダは、どこかへ行くときにはいつも3つの袋を持って出かけました。1つ目の袋には精神的な本、もう一つの袋にはフルーツやお菓子、そして3つ目の袋には薬とハサミ、糸と針、ロウソクとマッチなどの実用品が入っていました。

 シヴァーナンダは驚くほど気前のよい人でした。自分自身に与えるように他の人たちにも与えました。お金、衣服、食べ物、本、花など、実に多くのものを与えました。―― 信者が布施してくれたものはすべて他の人たちに分かち与えました。
 シヴァーナンダはまるで「収集・分配センター」のようでした。だれが何を必要としているかをよく知っていて、いつもふさわしい人にふさわしい贈り物が届くようにしていました。
 1度、「スヴァーミー・シヴァーナンダ」と呼ぶ代わりに「スヴァーミー・ギャヴァーナンダ(Give-ananda)」と呼ぶことにしようと決められたことがありました。―シヴァーナンダは与えることに本当に喜びを感じていたのです。
 シヴァーナンダは、供給というものは大いなる根源から来て、大いなるものに還っていくだけであるということを知っていたのです。物質的なことに悩むということはまったくありませんでした。彼は自分の生涯を通して、人に気前よく寛大にしたからと言って破産することはない、ということを証明したのです。シヴァーナンダはいつも言っていました。「与えることで貧乏になってしまうことなど絶対にありえないよ」と。
 シヴァーナンダはよく、道端で物を売っている人からフルーツやピーナッツ、アイスクリームなどを買ってあげていました。サイフをなくした巡礼者、刑務所からでてきた刑余者、毛布を必要としているサードゥ、学費を必要としている貧乏学生などは、シヴァーナンダが分かち与えることを心から喜ぶ人であるということを身をもって知りました。シヴァーナンダは援助した人に負担をかけたり、困らせることはありませんでした。
 シヴァーナンダは、人生というのは困難に満ちた忍耐の場であると考えていました。ツアーにおいても、汽車が停まるとすぐに、クーリーや信者が荷物持ちをしたりすることがないように、自分の頭の上にトランクや寝具を載せて駅を出てきました。シヴァーナンダはよく、「自分でできることは自分でしなさい。謙遜さを持ちなさい。自分はグルであると思いあがったりしてはいけません」と言っていました。
 シヴァーナンダは、しばしば弟子たちに、自分は“SB40”(shoe beating 40)という行をしていると語りました。「人から讃美された時や、誕生日などで祝福されたとき、部屋に戻ってから靴で自分を打つんだよ『お前はいったい何さまだ?あさましい肉と血と排泄物でつくられているではないか。首飾りがほしいのか?破れた衣装を着られるか?自分のことを偉いなどと思っていないか?人びとにひれ伏してもらいたいのか?』と問いかけながら」
 
 経験そのものがシヴァーナンダの偉大なグルでした。過去に体験したことや、今までにあった大勢の人たちを通して様々なことを学んだのです。
「放棄」はシヴァーナンダの特長を知るための一つのキーワードです。シヴァーナンダにとって「放棄」とは、“エゴ” “わたし” “わたしのもの”という想いをなくすことでした。それは執着することの放棄です。
 シヴァーナンダの「放棄」に対する考えは、身体に苦痛を与えることではありません。シヴァーナンダはそれどころか、神の子としての人類に十分に奉仕できるようにと、いつも健康な身体でいられるように努めていました。
 アーシュラムが活動しはじめたばかりのころ、シヴァーナンダは夜になるとよく、長い散歩に出かけていました。また冬になると、アーシュラムの中でバドミントンをしていました。しかし、仕事の量が次第に増えてきて、そのような時間が十分に取れなくなってきました。そこでシヴァーナンダは、テニスボールとラケットを買ってくると、リラックスしたい時などは、壁に向かって数分間ボール打ちをして一人で楽しんでいました。その後で、他の仕事の準備に取りかかっていたのです。
 年老いてからも、ベットの上で簡単な運動をしていました。アーサナーやプラーナーヤーマを欠かすことは決してありませんでした。こうして仕事のために、いつも健康を保っていたのです。
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