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11.05.05

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5月3日 火曜日 晴れ
3日目の今日は、2陣の到着で14名になります。

龍泉洞青少年旅行村サイトです。ちょうど初日が桜が満開、帰るときには葉桜になりました。移り変わるさまと暮らしました。

龍泉洞青少年旅行村サイトです。ちょうど初日が桜が満開、帰るときには葉桜になりました。移り変わるさまと暮らしました。

本日の行程は、被災地の視察。現実に起こった1000年に一度と言われるその災害を目の当たりにし、いまその歴史の中にあり共に生きる事を体感する日。ニュースなどの情報で見聞きするのではなくて、事実を理解する日です。
4:00 盛岡到着チームの送迎(夫)
4:30 瞑想
5:15 朝ヨーガ
6:00 朝食つくり
7:00 朝食

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今朝はキチリ(カレーお粥)とフルーツに加わって、新鮮な山菜をいただきます。山さん、川さん、春のエネルギーさんありがとうー。

今朝はキチリ(カレーお粥)とフルーツに加わって、新鮮な山菜をいただきます。山さん、川さん、春のエネルギーさんありがとうー。

8:00 第1陣出発/今日の昼食つくりをして待機
昨日到着の2人は一足先に被災地を視察。各自が時間を有効に使って行動しています。
残りの4人で、到着組を待ちます。待っている間、今日一日の準備。昼食のおむすび40個を準備しました。

9:15 建築家チーム5名とトリャンバカムの佐藤亜矢子さん到着
建築家チーム:井坂幸恵さん、宮晶子さん、長尾亜子さん、木島千嘉さん、石黒由紀さん
「おつかれさまです。」「よろしくお願いします。」休むまもなく出発です。
9:30 視察へ出発
10:40 小本被災地にて第1陣と合流

小本被災地 この水門を津波が越えてきました。

小本被災地 この水門を津波が越えてきました。

かつての家並みは無くなりました。倒壊家屋197棟

旧街道の家並みは無くなりました。倒壊家屋197棟

早野家跡地。すべて流されました。

早野家跡地。すべて流されました。

愛子おばさんが、津波の時の様子を話してくれました。「なにが来るかわからないから気をつけろ。」その時、祖母の教えを思い出したそうです。

愛子おばさんが、津波の時の様子を話してくれました。「どんなのが来るかわからないから気をつけろ。」その時、祖母の教えを思い出したそうです。

12:30 島越にて海を見ながらの昼食
13:00 田野畑村・島越 視察

田野畑村 島越港

田野畑村 島越港

港から村を望む。美しい漁村は無くなりました。

港から村を望む。美しい漁村は無くなりました。

三陸鉄道の高架線路を破壊する衝撃

三陸鉄道の高架線路を破壊する衝撃

階段の上に駅舎があったのですが。。。

階段の上に線路と駅舎があったのですが。。。

駅に残った宮沢賢治の碑「カルボナード島越駅」

駅に残った宮沢賢治の碑「カルボナード島越駅」

宮沢賢治の詩が書かれた碑が奇跡的に残りました。
この詩のような日々の景色、日々の音があったその日のことを…瓦礫の向こうに見ていました。

発動機船 第二    宮沢賢治

船長は一人の手下を従へて
手を腰にあて
たうたうたうたう尖ったくらいラッパを吹く
さっき一点赤いあかりをふってゐた
その崖上の望楼にむかひ
さながら挑戦の姿勢をとって
つゞけて鉛のラッパを吹き
たうたうたうたう

いきなり崖のま下から
一隻伝馬がすべってくる
船長はぴたとラッパをとめ
そこらの水はゆらゆらゆれて
何かをかしな燐光を出し
近づいて来る伝馬には
木ぼりのやうな巨きな人が
十人ちかく乗ってゐる

たちまち船は櫓をおさめ
そこらの波をゆらゆら燃した
たうたうこっちにつきあたる
へさきの二人が両手を添へて
鉛いろした樽を出す
こっちは三人 それをかゝへて甲板にとり
も一つそれをかゝえてとれば
向ふの残りの九人の影は
もうほんものの石彫のやう
じっとうごかず座ってゐた
どこを見るのかわからない
船長は銀貨をわたし
エンヂンはまたぽつぽつ云ふ
沖はいちめんまっ白で
シリウスの上では
一つの氷雪がしづかに溶け
水平線のま上では
乱積雲の一むらが
水の向ふのかなしみを
わづかに甘く咀嚼する

この詩は、大正十四年(一九二五年)一月七日
三陸地方を訪れた宮沢賢治が貨客船羅賀丸でこの地から宮古に向かった時の三つの作品の内の一篇です。

15:30 田老 視察

ここが田老。万里の長城といわれた巨大防潮堤の上を歩いています。

ここが田老。万里の長城といわれた巨大防潮堤の上を歩いています。

小本の比ではない被害のスケールに言葉もでません。

小本の比ではない被害のスケールに言葉もでません。

倒壊家屋数1600、死亡確認140。多くの人の命が叫びがまだ残っているようです。

倒壊家屋1600棟、死亡確認140名。多くの命の叫びがまだ残っているようです。

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17:00 小本へ戻り明日の作業の打ち合わせ
18:30 風呂・読み聞かせなど、心の浄化の時間。
キールタンが心に流れました。
20:00 瞑想
1時間の瞑想。そのまま休みます。瞑想の時間が、今日の視察による心の悲しみ、動揺を十分に穏やかに静め、事実として客観視させてくれる時間となりました。シヴァーナンダ師の声が響きました。
「喜びを持って奉仕しなさい。絶えず奉仕の機会を求めなさい。」
「奉仕は神(今ここ)への礼拝です」
「与えなさい、与え続けなさい。」
・・・・はい。
21:00 就寝
おやすみなさい。今日のワタシと明日のワタシへ。
Om tat sat

つづく


11.05.05

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5月2日 月曜日 強風 くもり一時雨
活動2日目 6名から朝のうちに8名に!

昨日は1日目なのに随分力を使ったような気がします。
夜、横になり休んだ頃から春一番が岩泉に吹き荒れた。…といってもただの春一番ではない事態に!時間の経過と共に嵐へ!ゴーゴーと山がうなり、雨と雷までやってきた。夜中11時頃には、テントで寝ていた父もテントを飛ばされ車へと緊急避難。バンガロー前のフライシートも飛んだ様子。
まどろみの中で風をききながら、避難所の人たちを思っていた。どんな気持ちでいるのかな〜と。せっかく和ませてくれた桜の花は、この風で散ってしまうのかな?明日は何ができるかな?海を思った。今夜の海は風でしぶきをあげているのだろう。岩にあたっているのだろう。木々は今度は風の勢力をうけているのかあ…津波に風に嵐にと大変だなあ〜とそうしているうちに寝ていた。

4:30 瞑想
昨夜からスゴイ風!嵐!!瞑想中も吹き飛ぶかと思うほどの風。それでも風の向こうに集中し、風にふかれる山々、人々の家々を観想し、集中します。
5:30 朝ヨーガ
未だ続くもの凄い風の中のヨーガで、少々騒々しい。気温も低く、寒い。昨夜眠れなかった皆さんにとっては、キツイ時間になってしまったかもしれませんね。
6:40 朝食準備
こんな風では外での作業は危険と、朝食作りは無理をせず、昨日いただいた食料に感謝だなあと、やはり上手に巡らせてくれるんだなあ〜と思っていた矢先、大変な風の中、わが父・繁は奮闘し、しっかりごはんを炊いていました。こちらの力にも感謝を感じましたが、「無理は疲れの元だな」「道具にも頑張ってもらっちゃったな」と心配にもなりました。自然でいいのです。
7:00 マキちゃんと由真(ユミ)さん到着
「ともこさ〜ん!」とマキちゃんに突然肩を抱っこされた。愛のヨーギーマキちゃんです。
被災後、われわれが考えるべきこと、アーシュラムからのメッセージ、マントラ、不安への対処法、被災された方々と共にあるのだメールをずっと発信してくださっていました。こころ強い一員が加わりました。
そして…「はじめまして。」愛のヨーギーマキちゃんのお友達のガテンなヨーギー由真(ユミ)さんとの出会い。力つよく頼りがいのある美しい人でした。ハイエースを夜な夜な走らせ駆けつけてくださった。ドカンと差し入れまでご持参。頼りがいのある助っ人の登場です。
7:10 朝食
すごい風なので、バンガローの中で食事。寒い!でも、昨日厚子おばさんにいただいた栗おこわや漬物。そして、朝父が炊いてくれたごはんですっかり元気にモリモリに!

8:00 龍泉洞ホテルへ打ち合わせ(智子)
昨夜の打ち合わせをし、今朝チラシを貼ろうという流れになっているので、バタバタではありますが、避難所の方々の様子を伺いながら、チラシを掲示板に貼り場所をお借りする準備をしました。お話だと実際この連休は、避難所の方が親戚の家へ行ったりまた出掛けたりと留守が多いということ。実施が難しいかも知れないということでした。これまでも健康体操や気功などの先生がいらしたがあまり参加されないんです、といったお話。取りあえず今夜19時〜の呼びかけと3日、4日の予定を貼り出しさせていただきました。

8:30 三浦家掃除隊出発(男子)
本日もまたしても親戚宅のお手伝いでした。蔵と離れが残った三浦家です。まあ昔からの小さい町なので隣近所みんな親戚同士なんですけどね。昨日同様とにかく家の細かいところに泥が残っていて取りきれません。泥は乾くと風で舞い上がり、雨で濡れると足元が固まらずネチャネチャとしてやっかいなものです。家の周りの排水溝にたまった泥を掻きだしました。少しづつでも集まった泥はものすごい量と重さになります。それを三浦さんが軽トラで川まで捨てに行きます。夫婦ふたりではとても終わりません。
ここで活躍する道具は鍬です。スコップでは腰が疲れてつづかないのです。バランスといい角度といい、昔の農具のすばらしさを実感しました。午後に助っ人が来て男4名汗だくで何とか終了。

排水溝にたまった泥をかき出します。

排水溝にたまった泥をかき出します。

旧家には水道がなくても井戸があります。

旧家には水道がなくても井戸があります。

三浦さんのご家族と残った蔵の前で

三浦さんのご家族と残った蔵の前で

9:00 合流出発(智子と女子合流)
9:40 ブルーシートさん到着 作業開始/ボランティア登録へ

11:30 田野畑 アズビィー避難所にてふれ合い
田野畑は、昨日の田老とはまた異なった雰囲気でした。大きなアリーナのひとつは全て物資の倉庫でした。中を覗くと奥の方に食料の箱が山積みに(ただ、インスタント食品のように見受けられました)手前に衣料品。ハンガーに吊るされ、ちょっとした衣料品店のようでした。残る2つのアリーナに、それぞれに100名程の方が生活していらっしゃるとのこと。段ボールで作った(これもボランティアさんによるお手製だとか)棚で仕切られていて、ダンボールの中には衣料品やタオル、毛布などの日用品、造花などを飾っている方もいらっしゃって、おのおのが暮らしやすさをその範囲内で工夫されている様子でした。
ヨーガ伝道師・智子と、心のアナ・さと子さんで、役場の方と交渉。活動を自然にさせていただくにあたってお伺いです。一人目に話すと「上のものに伝えてきます」と言って去り、上司の方が来ると「わかりました。おまちください。」と言って去り、3人目そのまた上司の方がいらっしゃり、また同じことをお話してと、実施の前段階でくたくたです。時間もたっぷり過ぎました。

田野畑アズビイで支援物資配布

田野畑アズビイで支援物資配布

アズビイ避難所の皆さんとヨーガ

アズビイ避難所の皆さんとヨーガ

12:00 昼食 道の駅たのはたにて
13:00 アズビィー避難所の方とヨーガ
14:10 田野畑アズビィー出発
15:00 龍泉洞ホテルで明日のヨーガの予定打ち合わせ
15:15 休憩隊/龍泉洞見学隊

龍泉洞脇を流れる静川。一年を通じて水は冷たいのだそう。

龍泉洞脇を流れる静川。一年を通じて水は冷たいのだそう。

18:00 サイト集合
19:00 風呂・読み聞かせ
21:00 瞑想
22:00 就寝

つづく


11.05.05

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5月1日(日)雨のちくもり
岩手県岩泉町 7名活動

このGW休暇をつかって、日本全国からさまざまな団体による支援活動が行われるようですね。
出発前に、岩手の各市町村の社会福祉協議会へボランティアの問い合わせをすると、「既に多くの同じような団体さんから、活動いただけるとお約束が入っていて、なかなか整理・調整がつかないんです。」「今回は調整がつかないほどたくさんの方々から問い合わせいただいていますので、また次の機会におねがいします。」といった感じで丁重に断られる状況でした。
これは、ボランティア活動だけではなく、物資郵送についても同じようなことが起きていました。現実に、トリャンバカムの会員さまからも、「もう、物資は足りていると報じられていますけれど、コレ、持ってきましたが大丈夫ですか?」と何人にも聞かれました。そう、報道されている情報と、実態に?を感じ始めた頃でした。
この活動を邁進し、こうして活動入りを決めた理由は、ほんの数日の調査の結果です。
どうやら行政のそうした対応には、人手の問題なのか体制の問題なのか、被災現場の状況と矛盾が生じており、実際の現場は、行政の手が及ばない所では人手・物資不足が未だに継続して起こっていることがわかったからです。
私たちが感じている状況を早くから判り、被災2週間後に岩泉へ乗り込んだ個人ボランティア「ブルーシート」さんのことを知り(全国で被災があれば活動をすぐに始動している家族です。阪神淡路、中越地震でも力を発揮)、彼らを頼り、状況を教えてもらいながら活動しようと考えたのです。
そんな思いを胸に、何もせぬより僅かな力でも現地でやろうという思いで岩手に向いました。

6:30 盛岡駅 夜行バスが順に到着
GW渋滞に巻き込まれることなく、ほぼ時間通りに到着。同じようなボランティアの方が多いようなバス内の雰囲気でした。
6:50 1日目の参加者全員集合
はやの意匠+トリャンバカム・ヨーガ・センターの早野夫婦。智子の父・繁、夫の友人で、フリーアナウンサーの松原さと子さん、トリャンバカムの宮沢かなえさんは青森県出身。その友人の神田倫子さんです。
7:10 盛岡市東山にある夫の実家へ
自家用車に乗換え岩泉町へ。そして盛岡のお母さんが、旅の昼にとお稲荷さんをたっくさんたっくさんつくってくれました。お昼だけではありません。キャンプ中のフルーツやら米やらお菓子やら・・・お母さん、ありがとうっです。お母さんもこころ一緒です。お母さんの力と、「うん、しっかりやってきなさい」というお父さんの力が加わり出発です。

7:50 出発
9:00 道の駅岩洞湖
9:50 道の駅三貝分校

途中、岩洞湖、早坂高原を抜けます。まだ雪があり記録的な寒さが観測される地です。この山を越えて三陸海岸へ向います。

自衛隊の車が三貝分校道の駅に。ここは昔分校だったそうです。学校を上手に生かして道の駅にしています。ところどころに懐かしい小学校の雰囲気がのこっています。和ませてくれる道の駅ですね。昔の写真(下)なども飾られています。

自衛隊の車が三貝分校道の駅に。ここは昔分校だったそうです。旧分校を上手に生かして道の駅にしています。ところどころに懐かしい分校の雰囲気がのこっています。和ませてくれる道の駅ですね。昔の写真(下)なども飾られています。

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10:15 工藤家
夫の父の妹さんのお家で、トリャンバカムでご寄付いただいた支援物資は、息子満さん(消防団員)から、役場や避難所の方々へ届けられていました。そのお手間も大変だったでしょう。お礼もあって立ち寄りました。名物匠おばあちゃん厚子さんから、何かの足しにと、栗おこわや漬物をいただきました。(料理の匠でもあります。得意の匠技は、龍泉洞の水を利用した、岩泉の草木染めや、糸紡ぎです。)かえっていただき物をしてしまいました。「てどの蔵」という、岩泉町の匠・手仕事人による実演販売所も主宰されています。

11:00 ブルーシートさんと合流

角田(すみだ)ファミリー。真ん中ケーナさん、まだ若いのに、バリバリとボランティアの皆さんを取りまとめ指示を出します。

角田(すみだ)ファミリー。真ん中ケーナさん、まだ若いのにバリバリとボランティアの皆さんを取りまとめ指示を出します。

岩泉の町と小本港のちょうど真ん中あたりにある中里交流センターに本部を構えていました。

岩泉の町と小本港のちょうど真ん中あたりにある中里交流センターに本部を構えていました。

中はキッチン。自分たちで全部するのですね。センターの中で寝泊りしていらっしゃる様子でした。

中はキッチン。自分たちで全部するのですね。センターの中で寝泊りしていらっしゃる様子でした。

11:40 ボランティア登録
どうしても登録は必要でもう一度町へ戻り手続きに。時間ロスですが仕方ありません。
12:15 昼食 ブルーシートにて
お母さんから頂いたお稲荷さんをみなさんでいただきました。そして、角田さんからも行政の流す情報と現場の状況の矛盾と実際のお話を聞きました。また、ボランティアに参加する方との苦労もたくさんあられるようでした。ボランティアという目的の捉え方なのでしょう、さまざまな問題を感じられているごようすでした。それにしても、既に災害発生からすぐに現地入りをしてひたむきに活動されてきた姿に頭がさがります。

13:10 Aチーム箱石家掃除/Bチーム物資仕分け〜配布
2チームに別れて活動することに。
Aチームは小本地区の半壊宅の清掃です。箱石家は夫の親戚で社協へボランティア依頼を出されたために、偶然のめぐり合わせで、ブルーシートさんの活動に加わって支援できることになりました。家の中の家財が泥だらけで水洗いをしました。私たちは建具を洗いました。
本当は床板をはがして床下の泥を出したいのだけれど、大工さんの手配がすぐに出来ないとのこと。危険区域に当たるため、半壊宅の壁をふさぐ程度の簡単な大工工事でも今のところ許可が出ないそうです。むむー。

箱石家ご近所おばちゃんみんなで毎日、ドロ洗いと掃除です。

箱石家ご近所おばちゃんみんなで毎日、ドロ洗いと掃除です。

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洋品店だった店は流れてしまいましたが、プレハブ店舗で営業を再開しているようでした。

洋品店だった店は壊れてしまいましたが、プレハブ仮店舗で営業を再開しています。

洋品店の中は、数少ないですが、小学校のの体育着が見えます。 title=

商品数は少ないですが、小学校の体育着が見えます。

Bチームは支援物資の配給です。配給に行く前に、物資の仕分け作業がありました。到着すると皆さんが一気に集まってくるそうで、きっちり仕分けをし、見やすくしておいてあげないとだめなんだという角田さんの指示。徹底した分別と紙に書き出し見やすく、わかりやすく提示する準備です。

14:30 仕分け終了、配布へ避難所グリーンピア田老へ出発
15:10 物資配給

角田さんが言うように、すぐに人が集まってきました。そしてあっという間になくなりました。しかし、ワーッと来た人の波は数回に分け、全部で5〜6波がありました。同じ避難所の中でも、暗黙の順番のようなものがあるようでした。第1陣は、家も家族も失った方、次に家族は無事だけど家は全壊した方、次は家が半壊した方、最後の方では、家は残っているけれど実際住めないし何もかも失っている方。でも前述の方々に比べたら「あんたは家は在る、親戚も近くにいて助けてもらえるじゃないか」といった雰囲気のようです。目の当たりにしました。
交流も自然にできました。こちらから騒ぎをたてぬよう、よく気を付けて配慮し言葉を選びながら、だんだんと自然に。和やかな雰囲気の中、物資を配給することができたこと、これまでたくさん物資を支援くださった皆様にご報告しなければならないな、と強く思いました。歓んで使っていただけています、と。

17:15 撤退
17:50 ブルーシートさんと解散
18:10 宿泊サイト 青少年旅行村に到着 荷物運搬

既にまっ暗になってしまいました。・・・が、お約束がありますから、すぐに移動です。

18:50 八重樫家にてこたつ夜話
文化の地・岩泉町でも旧家として有名なお宅。早野の親戚で「局長さん」と呼ばれています。岩泉郵便局長、りんご園、お花屋さんと、たくさんのお仕事をされています。貴重な機会ですから、栄子おばあさんから、昔の話を聞きたいと約束をしました。おばあさんは恵比寿さまみたいにいつも笑顔で、お話が上手なのです。活動の一日目にお会いして、笑顔で過ごせるようにと訪問させていただくことを予定に入れさせていただきました。
幼い頃の暮らしぶり、そしてこの被災、過去の被災の話、勉强になりました。支援活動をさせて頂くにあたって、また、土地の人々と触れ合うにあたって、貴重な教訓となりました。
なかでも「数え切れない程の思い出の詰まった家が無くなってしまいました。でもこれまでも津波、戦災、台風と何度も立ち直って来たんです。今回も時間はかかると思いますがきっときっと、立ち直ることと思いますよ。」に一同、涙。

19:50 第1陣 風呂
龍泉洞ホテルは現在も避難所として200人の方が生活されています。勿論ホテル業務はお休み中。5月1日から青少年旅行村の通常営業はスタートし、こうしてわれわれは利用させていただいています。旅行村の利用者は500円で温泉を利用できます。サイトの近くでありがたく贅沢であり支援活動の潤いとなりました。

20:30 第2陣 風呂+ヨーガ打ち合わせ(龍泉洞ホテル)
風呂を利用させていただくことで、龍泉洞ホテル内の方々と触れ合うことができます。なんとなく様子が見えました。ホテルの入口には24時間役場の方が待機され、避難者の出入り「おかえりなさい」「行ってらっしゃい、お戻りは何時ですか」、訪れた見舞い者の管理「〇〇様は〇〇の間にいらっしゃいますよ」と案内をしていました。その役場の方にお話を聞き、ヨーガの体験を実践できるか相談してみました。また、アナウンサーの松原さんも、読み聞かせができるでは?と活動の相談をし、その場から早速、子供たちに「一寸法師」を読み聞かせていました。さすがプロ!。さらに絵本作家さんのかなえちゃんも、やはり絵本仲間で今は山好きのカンちゃんこと神田さんも、その傍で子供たちを暖かく見守っていました。

21:00 瞑想
21:45 就寝

つづく


11.04.29

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玄関先の足元でいつもニコニコしてくれています。元気そうですね。

玄関先の足元でいつもニコニコしてくれています。元気そうですね。

『場』に救われてきた日々、いかなる場(苦しい場でも、怒りや嫌悪が最初に起こる場でも)であっても学びの場でした。
つくづく『場』に感謝。つまり、身体があるということ。生きているということに感謝。

さて、
5月1日より5日まで、下記スケジュールで、
ほんの少しですが、力を注ぐ場があれば、存分に働いてきます。

皆様にはたくさんの物資、寄付金をお心と共にいただきました。
ある意味、共に行くのです。
お力添えが大変な支えになっています。
たとえ一人で僅かであってもご協力を頂ければ、それだけで十分、ボランティアなのだと思います。
大きな物資や多額の寄付はありがたい事ですが、現地の皆さんにはもっと身近で小さな願いが山ほどあります。
ただひとつ、そのことだけの為になにか手を差し伸べるだけで(『心を傾ける』だけで)十分なのです。
それが、ボランティア(奉仕)の本来の姿であると考えています。

そしてこれこそがヨーガのこころ「SERVE」「GIVE」「LOVE」の実践です。
「奉仕活動=カルマ・ヨーガ」何の見返りも求めること無しに、他者の幸福と歓びをねがって生きる力を活かします。
愛と慈しみのもとに。
すべては被災者のために。
こころをひとつに。

この間、留守をしますので、クラスの受講体験や、振替連絡、その他相談、お話がありましたら、5月5日にかえりますので、その頃にお願いします。

****
【日程】
【5/1】(計8名活動)
0630 高速バス盛岡駅着 (6名)
0700 岩泉町へ移動
1030 岩泉町着・買い出し(地の物を利用します)
1100 龍泉洞旅行村ベースキャンプ設営
1200 昼食(各自)
1300 現地ボランティア「ブルーシート」さんと情報収集
1400 岩泉町役場・社会福祉協会へボランティア登録・予定確認
1500 小本地区被災地視察
1600 龍泉洞ホテル避難所へ挨拶
1700 ティータイム(2名合流)
1730 ミーティング
1900 瞑想
2100 就寝

【5/2】(計8名活動)
0400 起床
0430 瞑想(自由参加)
0500 ヨーガ(自由参加)
0600 洗面・食事支度
0700 朝食
0830 ボランティア活動(チームで分かれる)
1100 ヨーガ+チャイ(龍泉洞ホテル活動の人)
1200 昼食(各自)
1300 ボランティア活動(チームで分かれる)
1530 ヨーガ+チャイ(龍泉洞ホテル活動の人)
1600 ベースキャンプ集合・入浴(龍泉洞ホテル)
1700 ティータイム
1730 ミーティング
1900 瞑想
2100 就寝

【5/3】(計14名活動)
0400 起床
0430 瞑想(自由参加)
0500 ヨーガ(自由参加)
0600 洗面・食事支度
0630 盛岡駅迎車(6名)
0700 朝食
0830 ボランティア活動(チームで分かれる)
1030 ベースキャンプ集合(6名合流)
1100 被災地視察(小本・田老・宮古)
1200 昼食(各自)
1300 被災地視察(小本・田老・宮古)
1700 ベースキャンプ集合・入浴(龍泉洞ホテル)
1800 ティータイム ミーティング
1900 瞑想
2100 就寝

【5/4】(計14名活動)
0400 起床
0430 瞑想(自由参加)
0500 ヨーガ(自由参加)
0600 洗面・食事支度
0700 朝食
0830 ボランティア活動(チームで分かれる)
1100 ヨーガ+チャイ(龍泉洞ホテル活動の人)
1200 昼食(各自)
1300 ボランティア活動(チームで分かれる)
1600 ベースキャンプ集合・撤収
1700 現地解散式
1800 宮古駅解散(高速バス2100発)
2000 盛岡駅解散(高速バス2100発)

****

【キャンプ地】
〒027-0501 岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉字神成12
龍泉洞青少年旅行村
TEL: 0194-22-4255
http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/~ryusendo/index.php?option=com_content&view=article&id=8:2009-08-11-02-10-49&catid=5:2009-08-12-07-52-36&Itemid=11

【食事について】
菜食の食事メニューを考えています。食材はこちらで準備してまいります。
炊事場で準備をします。無理のない範囲で手伝いいただける方は「食事当番」に立候補しお手伝いいただきます。
こちらで提供するのは朝食と夕方のお茶とフルーツです。
お昼については活動地の食堂や道の駅などが利用可能であり、できるだけ利用することも地への礼。
それ以外の食事、おやつなどの嗜好品についてはそれぞれご用意ください。

【持ち物】
リュックサック(荷物はひとつにまとめて両手が使えるほうがよい)
食器: 椀・箸・皿(洗えれば紙皿でも)・ お茶カップ・布巾(活動に行くときも携帯ください)
寝袋(各バンガローにマット3枚、毛布6枚あり。定員6名)
懐中電灯(トイレに行く時など。バンガローにコンセントなし、裸電灯のみ)
作業着(泥、埃が多いです、雨具にもなるヤッケがあると便利)
帽子・マスク・軍手・ゴム手袋
作業靴(泥で汚れて良いもの)
防寒具(朝夕が寒いです)
洗面用具
健康保険証または免許証
*以下参考にしてください。
http://www.iwate-shakyo.or.jp/vc/vc04rescue/katudo.html#01

【ボランティア活動について】
現地に入ってみないと実際の活動状況は判断できません。
他のボランティア団体に活動状況を聞いて、必要な活動場所に分かれて活動します。
役所、社会福祉協会を通した活動の場合、必ずボランティア保険に加入します。
健康保険証または免許証などの身分証明証が必要になります
http://www.iwate-shakyo.or.jp/vc/vc04rescue/setu01.html#01

【風呂】
龍泉洞ホテルのお風呂を500円/回で利用できます。

【支援物資】
今回は状況を見て、次回送るということも大いに可能です

****

付記:

【ボランティアに求められる姿勢】
ボランティアは基本的に自己完結、自分の食事、寝る場所、行動は自分自身で管理します。
ボランティアが助けを必要とされることは本末転倒になります。

災害時の救援に参加するボランティアの動機は、「黙って、見ていられない」「少しでも手を貸したい」などの純粋な感情からです。
最初はこのような気持ちで行動する訳ですが、「してあげる」ことに意義を感じ、「してあげているのだから」と思って行動するのは困りものです。
例えば避難所は被災者の生活の場。避難所ではそこに生活する人が主人公であって、ボランティアはあくまでもサポーター、応援団。
ボランティアは被災者を尊重する支援者に徹することです。

また、災害の被災者といっても一口では言い表せない様々な人がいます。
親や子供、友人を失った人。自分自身や家族が傷つき、療養が必要な人。家や家財道具などの財産を失った人。勤め先の商店や工場、会社を失った人。
被害を受けた人の中でも財産に対する保険の補償がある人とない人。元々の蓄えにより自力復興できる人とできない人。
近隣の親しい間柄であっても被害の大きい人と少ない人等々、感情的にも複雑です。
そして、被害を受けた人が被災者という名のもとに一括され、哀れみの視線を送られることには多くの人が抵抗を覚えます。

このように複雑な思いが渦巻く被災地の多くの方々に共通していることは、人としての尊厳の守られる生活を再建したいとの願いです。
様々な感情が錯綜する中で、被災者の心理的な側面を察知し、対応することは難しいことかもしれません。
せめて被災者の気持ちは複雑で、変化が激しいのだということを心得て、 大事なことはそばにいて寄り添ってあげること。

時間の経過とともに被災者の求める支援は変化しており、昨日までは役立った活動も明日からは必要のない活動になってしまうことがしばしばあります。
ボランティアに求められることは、自分たちの普通の暮らしに照して、被災者に不足している部分や困っている部分の「全てをではなく、一部」を補う支援者の姿勢です。
「頑張ってください」ではなく、「明日も一緒にやりましょう」のこころです。

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皆さまくれぐれも安全第一で、怪我のないようお気をつけください。
なにか困ったことや、不明なことがあれば遠慮無く早野まで声をかけてください。

みんなで協力してすばらしい活動となりますよう。