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-本の紹介編-『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社 成瀬貴良編訳)

2012.01.08

Category { サット・サンガ }
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スヴァルガ・アーシュラム時代のクティール

愛と奉仕に生きた聖者の教え
『シヴァーナンダ・ヨーガ』
前回12月24日は、彼のスヴァルガ・アーシュラムの修行時代についてお伝えしました。今日1月8日(毎月8日、24日)も、引き続きスヴァルガ・アーシュラムの修行時代 について『シヴァーナンダ・ヨーガ』よりお伝えたいと思います。
(毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。)

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前回のつづきです。
(1月8日のブログです)
修行-スヴァルガ・アーシュラムの時代
スヴァルガ・アーシュラム


あるとき、信者の1人が、シヴァーナンダ自身のミルク代として5ルピーくれたことがありました。シヴァーナンダはしかし、このお金は神からの贈り物だと考えて、別なことに使うことにしました。そのお金は、シヴァーナンダにとっては最初の小冊子『ブラフマ・ヴィディヤー』の印刷代に使われたのです。この小冊子は、彼のところに来た人たちに配られました。これを読んだ人たちはたいへん喜び、スヴァーミージーに、費用は出すから、もっといろいろなものを印刷してほしいとせきたてました。そうして2冊目がつくられ、やがて3冊目、4冊目がつくられました。

シヴァーナンダのこの頃の生活を、早くからの修行仲間であるシュリー・ラージギリは次のように語っています。
「極端なほどの無執着、無慾がシヴァーナンダの特長でもありました。彼は生きていくための最小限の必需品しか持っていませんでした。食事は堅くなったチャパティをガンジス河の水に浸して柔らかくしてから食べていました。衣装もたった2枚のドーティしかなく、部屋には、毛布と水を入れる粗末な器以外、家具らしいのはありませんでした。あるとき、その毛布でさえも貧しい巡礼者にあげてしまい、旅人に姿を変えた神が新しい毛布を置いていってくれるまで、彼は薄い木綿のドーティをまとって震えていたということがありました。
彼はまた、ジャパをするためによく夜明け前のガンジス河に腰まで浸かり、陽が昇るまで*マントラを唱えるという苦行をしていました。上ってくる太陽に礼拝すると、ようやく冷たい河から上がるのです。このような厳しい修行のために、彼は慢性的な下痢や腰痛を引き起こすようになってしまいました」

シヴァーナンダの最初の弟子である*パラマーナンダも、シヴァーナンダの部屋に初めて入ったときのことを思い出して、次のように語っています。
「部屋の隅には乾いて堅くなったチャパティや束になった紙類、薬のびんの入った箱が積み重ねられていました。スヴァーミーージはわたしにビスケットとアーモンドをくださいました。そのビスケットのおいしさは一生忘れられません。わたしははじめ、部屋の隅に積み重ねられた堅くなったチャパティとおいしいビスケットの関係が理解できませんでしたが、次の日にその疑問を解くことができました。それはスヴァーミージーと一緒に給食所に行ったときのことです。他の修行者たちはチャパティやダールをいれるための小さな器を2つだけ持ってきているのに対し、スヴァーミージーは3つも4つも持ってきては、ミルクやヨーグルトをいっぱい入れるのです。正直言って、一緒にいたわたしは少し恥ずかしく思いました。スヴァーミージーはしかし、それらをラクシュマン・ジューラーに持ってゆくと、病気の聖者たちに配りはじめたのです。ビスケットやアーモンド、ミルクやヨーグルトは、身体が弱った人たちのためのものだったのです。スヴァーミージーが食べるものといえば、堅くなったチャパティだけでした。そのとき私は確信しました。スヴァーミージーの心には慈悲深さと憐みが満ちあふれているということを。スヴァーミージーの部屋にあったものはみな、貧しい人や病気の人たちのものだったのです。スヴァーミージーのそばですごしたことのない人たちは、贅沢好きなスヴァーミーと思ったかもしれませんが、それは大きな間違いです。スヴァーミージーほど、無執着、無欲に徹した人はいません。もし、何も知らない人たちがスヴァーミージーの堅くなったチャパティとガンジス河の水だけの夜の食事を見たならば、きっと驚くことでしょう」

*マントラ:真言。呪文。聖句。祭文。祈り。誓願。インドでは太古より儀式の際にマントラを唱えた。
*パラマーナンダ:スヴァーミー・シヴァーナンダの初期の高弟子。
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2012年新たな年が始まりました。今年も『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、深めている  Satomi です。今月から産休に入らせていただきましたが、引き続き記事として書き落とすことで更なる学びを得てまいります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。^^
シヴァーナンダさんほどに自分に無執着、無欲な人はいないのではないでしょうか。助けを必要とするもののためには人目を気にせず何の躊躇もなく実行に移すことができるのですね。自らの行為に何の見返りも期待も持たず行為する。まさにカルマ・ヨーガ(行為の道)です。この世の中には行為をしないで生きている人間は誰もいません。そしてその行為に振り回されることも多いのではないでしょうか?だからこそシヴァーナンダさんのようにすべての行為を奉仕とし、行為しているというエゴを捨てなくてはならないのでしょうね。毎回シヴァーナンダさんの慈悲深さと憐みが満ちあふれている実際の行為を知るごとに、今の私に気づきを与えてくださいます。

一緒にこのページを担当し学びを受けている指導員の長又です。
新しい清らかな年が明けました。昨年に引き続き共に学びの場があることに感謝いたします。よろしくお願いいたします。
シヴァーナンダさんは与えることに歓びを、何に対しても逆らうことなく受け入れ、≪私≫という執着がなかったと、この項に書かれています。ヨーガの教典『ヨーガ・スートラ』には具体的な8つの学習(アシュターンガ・ヨーガ)が述べられいますが、その中にも「無所有」「満足・知足」という教えがあり、最低限度のもので満足しそれ以上求めてはいけないとされています。執着は、慾やエゴや比較などの心を生みますね。シヴァーナンダ・ヨーガを通してヨーガが清らかな心身へと導びき、愛に満ちた人生をおくる為の術を教えてくれる素晴らしい教科書だと知ることができます。また、satomi指導員のように新しい魂を宿している時期や、その者のその時期によって心への響きも違ってくるように思います。ご自身の響きを大切にされてますます日々がヨーガとなりますように☆

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