岩手よりー思うままにー

せせらぎ ートリャンバカム・ヨーガ・センター月刊紙「みるよむ」6月号記事よりー
瑞色の川の流れを見ています。永遠に、いつまでも続く流れが気持ちを安らかにします。トリャンバカム・ヨーガ・センター会員の皆様、また、こうしている今も邁進されている皆様方全ての方々を浮かべています。今日の日も健やかに、元気でしょうか。今、どんな顔で?優しい微笑みで今いらっしゃるのなら・・・いいのですが…。微笑みは◎(マル)です。私たちの周りに存在する全てが、あらゆるものすべてがこの身を包んでいまから、微笑でいられるということは、あらゆるものとのバランス関係が、とてもよいという証(あかし)ですね。
そこに在るからよい、無いからダメ。或いは居心地がよい、居心地が悪い。み〜んな、ただ目に映しだされた現象。分類し評価を降してしまう。そして自己の心の評価が正しいと思い込むからいつもどっちか?という比較と評価の沼に陥ってしまう。目に見えたものに惑わされない、真の目が欲しい、そうしたら、どんなに心静かに、全てを赦し、全体性を捉えることができるでしょうか。目を閉じて…本当の「感じ=気付き」を静寂の中から感じたいものですね。
今ひとりとなって皆様と経過してきた記憶や、経験してきたあらゆる感覚が力に変化しています。過ぎた日は思い出ではなくて、過去は常に今で、これまでのレッスンの一日一日が、今に通じていると身をもって体験しています。また、年度末に皆さまからいただいた言葉や文字、仕草や、記念品、餞別。これらもまた、強い印になって刻まれたので、いつもここに在ります。過去というのは存在しないんですね。未来もまた存在しない。今こそが未来への一瞬一瞬だと、理解していたつもりでしたが、今よくよく理解しています。これを、未来にこころを閉ざしがちな被災者と、すこしづつ理解し合っていきたいです。
去るGWは、「三陸のともしび」(被災地復興支援有志の会)毎月の活動とは別に、被災地をツアーが実施されました。(この活動は、会員様ひとりひとりが参加しています。直接活動する私たちのはたらき全ては、皆さまの力によって生まれました。報告することしか私達にはできませんが、いつもサポートをありがとうございます。)私たちは今年2度目の桜景色を、日本の美しい景色の醍醐味を味わさせていただきました。
活動の内容は、被災者に何かをして差し上げるということではありません。私達が皆様のサポートの元、継続実施していくことは、「知る」「見る」「理解する」を基盤にしています。理解できたときに初めて、自然に「未来」を思いやってあげることができ、言葉や仕草、品物やご寄附をすることができるだろうと思うからです。
今回は、今月から始まった被災者さん自身がガイドする「津波ツアー」に参加しました。田老地区と田野畑で行われています。「よく、語れるなあ」と。生々しく、ガイドさん自身も涙を流して話をしています。こうしてまで語るその姿勢にはどんな気持があるのだろうか。「忘れてはいけないこと」「伝えることなんだな」と心の深くに印しました。
他、小本仮設団地内に設置することとなった4−8本部を整えました。仮設の皆様の憩いの作業場となるように工夫します(まだ途中でおわりました。少しづつです)。この部屋の内装に、みなさまからの餞別を当てさせていただきました。また、仮設の周りにハーブを植えました。これも餞別の一部でできました。
何らか工夫し、使う方々にとって、豊かな時間を育む場所にしていただきたいものです。
次回は6月9日10日の㈯㈰です。11日に近い、第2週目の週末が「三陸のともしび」会です。肌で感じるためにいらしてください。海を前に、山を前に、それと同じように、人々と共に過ごす時間です。(詳細は「三陸のともしび」ブログをご覧ください。)
こちらの生活?状況ですか?…はい。満開の桜だったといっても、山の桜はおくゆかしくて、まだ寒くて褐色の山々を、ぽっ、ぽっと染めて、周辺を「あたたかみ」に包む程度なんです。わぁっとした桜並木はありません。控えめですが処々の「それ」が何とも言えないのです。そうして山の全体はというと、うっすらと仄かに淡い、淡〜いピンク色です。梢の芽吹きがそんな風な色になって目に映るんです。淡いピンクに若い新芽のこれまた淡い萌黄色が…「ああ、初々しい」の一言です。山肌がうっすらベールを纏ったような、そのなんとも言えぬ色合いに涙が溢れてきます。少し大袈裟に聴こえるかもしれませんが、本当に泣けてきます。山はまるで恋をして頬を仄かに赤くする少女のようです。
で、そんな中で自分はというと、物事の結果を急いだり、先の事ばかりをあれこれと考える心や行為、そういった存在そのものが気恥ずかしくなってきます。運転する私は思わずアクセルを緩め、時の経過を心から大切にしたいと、そう感じる心に変化します。
…不思議です。山は黙って在るだけなのに、私の心は盛岡から岩泉に向かう2時間半で、すっかり浄化されてしまいます。
今ここにいるこの自分。「こうして在る」ということ。
皆様には、たくさんのご報告があるのですが、相応しい言葉がありません。一緒にヨーガをしていた時と変わらぬヨーガの日々ですが、あえて違うことをあげるなら、「独りだ」ということです。孤独感とは違うので安心してください。「独り」になって聞こえてきたせせらぎは、生命が在るという「熱」でした。
ヨーガは響きあい。響きは流れとなり、人と人のあいだで起り感じやすいですが、それは間に起った流れの現象だったということ。何もなくても交感されるエネルギーは、生きているという「熱」だったと。今独りの身体が、おっきな自然を前にヨーガをしていて感じることです。人と人でもすばらしい熱の交換がありますが、無言の、どんなに発してもすべて吸い込まれ、一部となってしまう。せせらぎに委ねてみて、生き合っているという「熱(生命体同志)」を感じています。
週の㈫に向かい、㈮に盛岡に戻っています。週の半ば3日間を仮設住居に訪れては、宅配されてくる荷物の整理と被災者の「手仕事場」つくりと食事作り、子供たちとハーブを植え、畑の手伝い。合間に瞑想やヨーガの時間を設けて行っているところです。朝に夕に、散歩をし、岩泉百景を歩きます。月に一度、東京へ行く日は、自分のカラダが長いトンネルになったような気持ちでいます。訪れることで互いの場所に、互いの雰囲気が送り合えたらいいと想像して楽しんでいます。 来月へ続く。
















