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✺本の紹介 『シヴァーナンダ・ヨーガ』善本社 成瀬貴良氏編訳✺

2013.10.08

Category { サット・サンガ }
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寄り添って、何を話しているのかなぁ?

寄り添って、何を話しているのかなぁ?


本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』では、わたしたちをいつもあたたかく導きくださる成瀬貴良先生著、『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしお伝えしております。 月2回、8日と24日に配信。 著者よりご許可をいただいての配信。 多くの方の目に触れ、心に触れ、奉仕慈愛の心「SERVE」「LOVE」「GIVE」からはじまる愛のヨーガがひろまりますように! 今回は、13章「スヴァーミージーのヨーガ」から〈ヤジュナ―儀式 〉、〈 タパス―質素な生活 〉〈ダーナ―布施〉をお伝えします。

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13インテグラル・ヨーガ

ヤジュナ―儀式  

 カルマ・ヨーガには三つの不可欠な要素(ラーガ、バヤ、クローダ)があります(「8・カルマ・ヨーガ」参照)。   同様に、バクティ・ヨーガにも、ヤジュナ、ダーナ、タパスという三つの重要な要素があります。  ヤジュナとは「犠牲、祭式、崇拝、讃美」という意味です。ダーナは「布施、寄付、奉仕」、タパスは「禁欲的な生活、質素な生活、厳格な生活」のことです。   これらが伴っていない精神生活は本物ではありませんし、これらがないところには本当の意味の精神性もありません」  真の精神性を学ぶために、わたしはここでもう一度、「儀式や形式を無視してはいけません。その中に精神性を見いだしなさい」というグルデーヴ・シヴァーナンダの教えに触れたいと思います。  グルデーヴにとってヤジュナとは、自己を犠牲にして他に奉仕することだけではなく、文字通り儀式や祭式のことでもありました。  事実、アーシュラムでは毎日、何らかのハヴァナ(供儀)、あるいは祭式が行われています。パーダ・プージャ(グルなどの足もとに礼拝する儀式)も、ほとんど一日おきに行われています。  乾燥した二つの木切れを擦れば火が起こりますが、一方が湿っていたらどうなるでしょうか?その答えとして、グルデーヴは次のように言われたかったのだと思います。   「擦り続けなさい。その行為が無駄になろうと、決してあきらめてはいけません。擦り続けなさい、ここの火はいつか必ず燃え上がります」   グルデーヴは、ヤジュナ、ナヴァナ、あるいはホーマ(護摩)と呼ばれる儀式をやめてしまうことは決してありませんでした。  儀式というのは、単に火の中に供物を捧げることだけではなく、儀式を通して自己犠牲の精神が自分の人生に広くゆきわたることです。  犠牲という言葉には、「それを神聖なるものにする」という意味も含まれています。ですから、キリスト教では、人にパンやぶどう酒が捧げられるとき、それは神聖なものになるといわれているのです。あなたがギー(儀式に使う油)や他の供物を儀式の火の中に捧げたとき、それらは聖なるものになるのです。だからこそ、その中から聖なる灰(ヴィヴーティ)が生じるのです  火の中に投じられるもの自体は神聖なものではないとしても、その後に残ったものは神聖なるものになるのです。  同時に、わたしたちの行為を神という宇宙的な火の中に供物として捧げるようにすれば、その行為はすべて神聖なるものになるのです。  

ダーナ―布施

 ダーナ(布施、贈り物)が神に対して施される場合、それはたいへん特別な意味を持ちます。そのことが語られた祭文やマントラはいくつかありますが、その中に次のようなマントラがあります。  わたしはあなたに捧げ物をいたします。神よ、何がお望みでしょうか。   しかし、わたしたちは神に、何を贈り物として差し上げることができるというのでしょうか。  よく考えてみてください。わたしたちはいったい、何を自らの手で創ったというのでしょう。すべては神ご自身がお創りになったものではないでしょうか。神がお創りになったものを、わたしたちはただ拾いあげ、まるで自分のものであるかのように神に捧げるのです。  あらゆるものが神に属しています。すべて神によって創られたものなのです。わたしたちが創ったものなど何ひとつありません。それなのに、わたしたちはそれを神に捧げようとしています。そして、奉仕したり布施をしたりしたことを褒めてくれるよう主張するのです。グルデーヴは、与える人のほうが受け取る人よりも優れているなどという考えは決してさないませんでした。  グルデーヴにとっては、人に何かを与えること自体が大きな喜びだったのです。どんな場合でも、グルデーヴはよくこう言っておられました。“patram puspam”と。  これはこういう意味です。  「わたしはこのこと(与えること)を通してあなたを礼拝します」   これはまた、グルデーヴがアーシュラムを運営していくときの姿勢でもありました。   さまざまな生徒や弟子、求道者たちがアーシュラムにやって来ましたが、グルデーヴは、来る人はそんな人(泥棒や悪人と知っていてもです!)であっても受け入れました。  そして、物質的なことに関しても、必要だといわれれば何でも与えました。しかしそれは、同じ神が片方の手で与え、もう片方の手で受け取るようなものだと考えておられたからです。  ですからそこには、「わたしがこれらのものを与えるのだ」という気持ちはまったくありません。このような、普通の人には見られない考え方がグルデーヴの中にあったのです。

  タパス―質素な生活  

タパスとは厳格で質素な生活のことです。質素な生活をすることができる人だけが、  カルマ・ヨーガを行えるのです。ぜいたくな生活が好きな人には、カルマ・ヨーガはいうに及ばず、布施や奉仕をすることも、自己犠牲的な行為もできなしでしょう。  タパスは、精神的生活の根本原理ともいえるものですが、これみよがしに行なわれるべきではありません。たとえばもし、「スヴァーミージー、あなた自身はそんなに立派なオーバーコートを着ていらっしゃるではありませんか」といわれたら、グルデーヴはきっと優しく気付かせてくださるでしょう。   「あなたの肩にかかっているのと同じショールが裁断され、このコートが作られているだけなのですよ。それに、長いショールは邪魔になることがありますが、コートは邪魔になりませんよ」と。 コメント:バクティ・ヨーガの3つの重要な要素について(儀式、布施、質素な生活、)の項でした。たとえばこれら3つの言葉を知っていたとしてもそれらを実践する際の心のあり方、考え方が含まれていないと本当の意味での深い理解とはいえません。バクティ・ヨーガに限らず、言葉の背景や考え方も含んで学ぶからこそ面白さや理解が増すものです。若い学生の頃のようにたくさんの物事を一気に頭に詰め込むようなことはできませんが(^^;)色々な物事の1つ1つを皆さんと共に深く学びたいと思う今日であります!!

コメント:行為でも物でも自分のものにしてしまいがちです。グルデーヴ・シヴァーナンダのように全て(行為でも物でも)を惜しみなく捧げることが出来たなら、見返りを期待したり、結果を気にしたりすることから開放されるのでしょう。心はいつでも彷徨ってしまうから、ヤジュナ、ダーナ、タパスを現代の中でできる範囲で実行していくことが、揺れ動きやすい時代の中に生きてゆく者にとって心の安定に繋がるのかもしれません。しっかりと根を張る樹となるように静かに佇んでいいたいものです。健やかに生きる智慧がここにありますね。

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