リシケーシの風 関係(vol.16)
関係(vol.16)
◆手伝いの親
講話後、あき子さんがサッとスヴァーミージーに寄られ、わたしたちのことを紹介してくださいました。
滞在する期間を尋ねられたようで、横にいた私も応答しました。
こうして、気にかかっていた〈挨拶〉は、あっという間に終了しました。
ほんの1〜2分で済んでしまうようなことです。個人的な些細なことかもしれませんが、気になってしまうとずっと気になるものです。あき子さん最高!
あき子さんご当人にしてみれば、
私が到着して挨拶に向かったが留守だったのを知っていて、また、ナイト・サットサンガの後は相応しくないと伝えた手前、いたって当たり前の流れでなさったことでしょう。
胸のつかえが、
おデキが取れたようです!心が楽になりました〜😂
「智子さん、本のことは〈また別〉ですから、オフィスに行ってお伝えしたらいいと思いますよ。」
(そう。わたしには、もう一つあるのです。
ここに来た目的の一つでもある、著作の翻訳許可の依頼です。)
まあ、なにより作法、礼儀として、到着した日にしたかったことが済んで良かった🙏。
人が求めていることを、ごく自然に感じ、理解して、さりげなく手伝える、そんな人間になりたいものです。
手伝い、サポート、伴走、これらは一方通行ではできません。関係があってこそ生まれます。
手伝いの源にあるもの。
それは〈理解〉なのだと思います。
◆ 棘(トゲ)
さて、「思い込み」について書くことにします(笑)。
わたしは単純なのだと思います。思ったらまっしぐらになりがちなところがあります。かとて、やる気が出るか否かには波があって……(汗っ)。
たとえ小さな行為であっても、心を、精神を、知性を、魂を注ぐのです。
いつも信念と決意をもって行動しなさい。
あとまわしにせず決意をしっかりと持ち、情熱で燃やしてください。
この言葉とおりです。しかし、あまりに真に受け過ぎでは、今度は心の棘(トゲ)になります。
棘の話しを紹介したいと思います。
これは、ヴィシュワルーパナンダジーというスヴァーミーから聞いたお話しです。
「棘は、刺さると気になるものです。
どんなに小さな、見えないくらいの棘でも気になって仕方ありません。
どんな方法を投じても取ろうとしてしまうものです。
同じように、無知の棘は、わずかであっても人の心に残り続け、チクチク疼きます。
そして、その棘は、別の棘で抜きます☝️
そう、無知の棘は、知識の棘で抜くのです。
そして、抜けたら終わり。
役目を終えたら、両方とも手放します。」
気になるわたしの心は、過ぎた思い込みの心で「無知の棘」です。
同時に、あき子さんの何気ない1〜2分の行為で、わたしはちょっと思い込み過ぎたと気づけた心が「知識の棘」です。
そして、棘が抜けたら、両者を手放すのでした。
さりげない手伝いができる人になりたいと、そう思うようなこともしなくていいのです。
経験した。それだけで良いのです。
経験した人だけが、同じようにその道を歩けるのですから。
棘になる理由は、
知識(jñāna)は本来、無知(avidyā)を取り除くためのものですが、途中でこうなります。
「わたしは知っている」 「わたしは理解している 」 「わたしは進んでいる」。
知っている、あるいは気づけた自分、「私」への執着(ahaṃkāra)が生まれます。見開きさらすようなエゴに対して『ギーター』もそのような心を、やや厳しく語っています。
愚かなものは、ヴェーダの言葉を花のようだと、これ以上に勝るものはないと讚える。(2-42)
天国に生まれることを望む彼らは、喜びと権力を目指す特別な行為を行なう。(2-43)
と。これが「棘」になります。
大切なのは「ハレルヤ!」と晴れ晴れとした気持ちを経験することでしょう!
この研修の最後、皆さんが「ハレルヤ〜!」と心の底から叫べたらいいなあ〜 わたしのこの研修の最終目的で、一番の祈りのような願いです。

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