リシケーシの風 関係(vol.17)
(vol.17)
ダルシャン後はダイニングで昼食です。そして、ここで泉さんとはお別れです。
泉さんはお部屋でお留守番です。
◆ 勇気の親
「せっかくインドまでやって来た。またとないヨーガ研修だ」。アーシュラムで経験する様々を見て触れたいと考えるのは当然です。
早起きや集団生活を準備してきたとはいえ、やはり実際というのがあります。
そう、実践。
ヨーガは、100%実践です。
瞬間ごとに変容していくそれを、見続けます。
だからこそ、息切れしてしまう前に、見つめるだけの時間が必要です。
研修事前ミーティングで、プログラムへの参加はまったく自由であることを伝えてきました。
昨晩のミーティングでI.Kさん、ケーナさんが、明日午後のプログラム、買い物へは行かず、部屋で洗濯をしたいとありました。
リシケーシに到着して二日目ですが、ケーナさんは岩手からいらしたので、家を出発してすでに五日目です。初日からいろいろなことがありました。
もともと苦手な飛行機、はじめてのインド、JAL組とANA組がなかなか出会えない間、空港を走り回ってくださいました。ブッディストセンターでは私と二人部屋、もろもろ気を遣わせてしまっていると思います。
長い車の旅では、酔うかもしれないからとアジェイさんの横でずっと、アジェイさんのおしゃべりに応答してくださっていました……。
いくら自分の都合で休んでいいといわれていても、実際には、仲間が頑張っているのにとか、仲間の輪を乱すのではないかなどなど考えてしまうのが普通なのではないでしょうか。
こうして一番乗りで手をあげるのは勇気が必要です。
こうして手を挙げてくださり、わたしはじつはたいへん安堵したのです。
もし、皆が真面目に毎日を続けるなら、私は、自らが一番にお休みをいただこうと思っていました。
マイペースを選ぶことはわがままなことでも、かっこ悪いことでもありません。
勇気の親は、勇気の親は、共感の心なのだと思います。
共感の心は、他者の幸せを喜び、他者の幸福や喜びを望む時に生まれるものです。関係のなかで開かれてゆく平等の心は、自分という友も含めて幸福にすることができます。
少し大袈裟なようですが、わたくしは純粋に、このやわらかな姿に感動しました。
◆ 衣
今日の午後は、リシケーシの上流、タッポヴァン付近の店で、期間中で着るパンジャビを買おうということになっています。
皆、パンジャビは当然持ち合わせていませんので、白っぽい服の上下を持参してくださいました。もちろん、家にあるもので構わないのですが、「真っ白いこころで、ここでの経験を受け入れます」という宣言の服装であるとも思います。これもかつてヴィシュヴァルーパナンダジーが話されていたことですが、
「あなたがここでヨーガを学ぼうとするならば、自己紹介は必要ありません。
長年ヨーガをしてきた、教師をしている、わたしは社長である、医者である……
まったく必要ありません。
そのようなものがあれば対比、比較が常に付きまといます。
誰もが同じはじまりの心で向かわなくてはなりません」
と。
オレンジの衣を着ている方はスヴァーミーと呼ばれるヨーガの僧侶です。特別の境地を経験された悟られた方です。この頃はスヴァーミーがいなくなったと聞きました。シヴァーナンダさんは、スヴァーミーになりたいという人をどんどんスヴァーミーへと導いたといいます。しだいにイニシエーションを授けることのできるスヴァーミーが減ったのでしょう。
また、オレンジ色の衣を着ていても、スヴァーミーでない人は街でたくさん見かけました。
一瞬「ハリオーム」と挨拶しようと思うのですが、お顔をみると、また歩き方や目線をみれば、その方がスヴァーミージーかそうではない、オレンジを来ているだけかは見れば大体分かります。
白は修行僧です。そして、滞在者も心静かに精神性を学ぼうとするにふさわしい衣を身につけます。
〈衣・食・住〉と言う言葉が日本にありますが、「〈衣〉が最初にあるでしょ。お母さんはね、子どものために、家族のために、食事をいつもつくります。家を守れるようせっせと努力します。そうやって母は母として家族を育む。ほれ、最初の衣でしょ。この衣が、じつは結構大変なの」と、糸紡ぎに織り、染めをするお祖母が言っていました。
ヨーガの目線で衣・食・住を見つめてみます。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』(ハタ・ヨーガの教典 15C頃に成立)の第一章はアーサナですが、
一見アーサナを説くのに必要ないのではないかと思うような、住む家の作りや住む場所、また、食事に関する説明が結構の節を割いて述べられているのです。
なぜヨーガの教典に家のことや食事のことがかかれるのか?
それは、身体は単独で存在しないからです。
ハタ・ヨーガではこの身体は大宇宙に対する小宇宙だと考えます。
カラダの中には大地も空も太陽も月もあるのです。つまり〈食べたもの + 呼吸 + 環境〉含めてカラダで
環境そのものがアーサナの一部なのです。
ヨーガで一番重視されるのはやはり食です。
理由はいたってシンプル。
直接、心に影響するからです。
重い食 → 心が鈍り(tamas)、刺激的な食 → 心が揺れ(rajas)、清らかな食 → 心が静まる(sattva)。
食はそのまま意識になるのです。
住において『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』が強調するのは四つの点です。静けさ、清潔さ、安全面、過度の刺激がないことです。
心は場所に影響されるためにその四つを整え、修行に集中できるよう注意します。意識の質が変わるのです。
さて、衣についてあまり語られないのは、気候的に衣の影響が比較的小さいという前提があります。
しかし実際には重要で、衣は単なる服ではなく、身体と世界の境界の調整という意味をもつでしょう。
例えば、〈感覚〉との境界で働く場合、プラーナの流れに影響します。
締め付ける衣 → 呼吸が浅くなる
重い衣 → 動きが鈍る
粗い衣 → 神経が刺激される
〈心〉との境界になる場合もあります。
衣の清潔、色、形は内的感情(bhāva)を変えます。
〈社会的意味〉だと、社会秩序の衣があります。紐(ウパヴィータ) や布の区別です。
日本で「衣」は、外側の整えが内側を整えるという、心の状態の表現という感覚が強いのではないでしょうか。
ヨーガでは、衣食住は順番ではなく、すべてが意識に影響を与える一つの環境として捉えられます。
食は内側から心をつくり、住は空間から心を包み、衣は身体と感覚を整えます。
どれもアーサナと同じように、わたしたちを静けさへと導くための準備なのです。
と、
ブティックに下がるパンジャビを見ながら、そんなことを思っていました。
ヨーガのインストラクター養成コースでわたしたちは、ウエアのことを少し伝えます。
生徒がびっくりしてしまうような、興奮させるような、欲しいと欲望をくすぐるような色やデザインのものは避けてくださいと伝えます。
ヘソ出し、肩や脚の過剰な露出、身体の線がわかるようなものはタブーです。

つづく〜
















