シヴァーナンダ ・アーシュラムの夕刻。
「こんなに美しくやわらかな時間…こういう時間が本当にあるんだなあ〜」
「この数日は一体なんなんだろう…」数年間、毎年リシケーシでいく日かを過ごしましたが、訪れるたびに夕刻にはいつもそう思ったものでした。
もう一つ、リシケーシで過ごすと不思議な現象が起こります。それは身体がとにかくぐにゃぐにゃに。柔らか現象が起きます。
人は安らぎが続くとこうなるんだな〜。赤ん坊がそうだなあ〜と妙に納得したものでした。
こうして当時の場面を思い出すだけで柔らかくなりそうです(笑)。不思議です。
景色が美しいか・・・いえ、目を開ければ決してそれありません。
見れば路地は狭く、泥水なのか汚水なのか、コンクリートの隙間から流れています。
やわらかな時間・・・うーむ、これもどう見てもそうじゃないですね。
ぶつからないで行き来するのが難しいほど人、人。ルールなく喋りながらあっちこっち。言葉は幾人も超えて頭の上を交わされていく。
けたたましいクラクションの響きの中でどうして柔らかだと感じるのかしら?
準備され整ったウェルカムと包んでくれるホテルの一室ではないし、
静けさと荘厳な寺や神社の中でももちろんありません。
どんな音も光景も超えさせる力に引っ張られるみたい。
これが最初から整っているところだったらその変化に気づいただろうかとも思います。
こうして、日常がすざましくて、喧騒で、問題だらけだから ある一つの開かられているところに引っ張られるのだと感じます。
ヨーガが日常で生きてきた理由だと感じるのでした。
今日は美しい月ですね。
頑張ってる、踏ん張っている方ほど、その光の美しさや壮大なやわらぎにに引き寄せられるのではないでしょうか。
こちらは、アーシュラムの部屋。これは2019年の最近の部屋で、昔に比べるととってもきれいで広い。これは夕方。
ベッドと毛布一枚(この時期は毛布でもない、ただの布)、小さな机とトイレと洗面器があるだけの簡素な部屋。
きれいに見えますが、掃除は自分でマメにしていました(笑)。
浴室やトイレは水浸しになりますが、バスマットなどがないので、普通は部屋の床が水で濡れた足跡が付いたりして、外靴で過ごす人も多いと思う。
私は裸足で過ごしたいので、いつも自分が移動すれば雑巾で拭いたり掃いたりしていました。
共同で使う掃除道具があります。


常に、常に…湧き立つように、震える振動のように感じること。
「伝承(伝統)」に関してー。
国際YOGA DAYで高野山からのライブ中継がありました。多くの人が日本の聖地高野山の景観、その気配、また行われる対談やヨーガをご覧になったと思います。
自分にとって、思いを留めてみる良い機会なので「伝承(伝統)」に関して書いておこうと思います。
日本人だからというひいき目はなく、日本はほんとうに素晴らしく美しい、神の生きる国、生きて存続する聖なる地を持つ国だと思って誇っています。
高野山や伊勢神宮などにある実在を崇拝します。現在も生きて継承される生命への礼拝が今も毎朝あるのですから、日に一度の食事が早朝に運ばれ、今もそこで瞑想を続けているバガヴァーンが居られます。
地球レベルという視野に広げて見ても、このような生きた杜がある日本のような国は他にあるでしょうか?
パルテノン神殿にはありません。遺跡は世界中にありますが、生きていません。空っぽの保存です。
インド、ヒマラヤ自体が聖地と言われますが……
数珠の聖典『バガヴァッド・ギーター』も人間に与えられた祭祀のための行為と知識に関してこう悟りを告げています。
「不滅のヨーガをまず太陽神に説いたが、久しい時を経て伝承はしだいに失われた」と。
そして、神の化身として現れているクリシュナは、世界の維持のために最高の秘説である古(いにしえ)の智慧のヨーガを、いまあなた(熱意ある者であり、友であり、息子であり、自分自身であるあなた)にだけ教えようと告げます。(こうして語られて伝えられている会話がヨーガの教典でもある『バガヴァッド・ギーター』です。)
伝承される崇拝が今も生きていると証明できるのは、それは実在です。観念論ではありません。実在論です。
継承は<信じる><真似る>だけでもなんとか伝わるかもしれませんが、やはりいずれ変化するのではないでしょうか。
実際が実在する振動するような点の連続によってのみ、真の伝承は起こり得ないと。
共に同じ経験が連続するということは<信じる>も<真似る>も超えていくものだろうと。
日々の行為の瞬間、瞬間に生きていなくてはなりません。
つなぐとか結合という意味だとよく説明される「ヨーガ」の字義ですが、字義的に学術的に説明すると、ヨーガの言葉自体にはその意味はなく、
馬と馬車を、あるいは牛と牛車をつなぐくびき(つなぐ道具)がヨーガであると説明されるのです。
すると、こっちとそっちを繋ぐという意味という解釈ではなくて、
こっちとそっちを繋ぎたいのだという強い意志によって工夫をしてもたらされるもの、それがヨーガだと、こういうことになるのが本当の説明になると思います。
この説明は、私は先生(成瀬貴良先生)からしつこいほどに説明を受けたので、はじめははっきり違いがわからなかったけれど、あまりに説明されるのでよほど何か大事な意味があるのだろうと調べ直して(東洋哲学、宗教学者、博士、文学者、ヨーギーの佐保田鶴治博士の講話集や著書などから)はっきりわかったことです。ヨーガという言葉の意味が繋ぐ、結合と単に言っていいのだろうかと、大きく異なる意味になるという考えを持ちます。
ちなみに、ヨガというのも、ヨガというのは字義的、学術的にみるとあり得ません。梵語の「O」は長音でヨーガというルビになるはずです。もちろん、発音上はどちらでも良いですが、書くときはヨーガとなります。
伝統に話を戻すと、何を伝えているのかと関心を持ち、心を寄せ、愛おしいほどに渇望した時、その伝承を意味するところが聞こえてくるのでしょう。
強い寄り合いの心が必要ですし、また、そのための筋道だった礼節(儀礼)は熱意を示す礼儀であり、揺るぎない決意の現れでもあり、実直さや誠実さを示すものとして正しく対面されるべき日々の行為です。
日々のヨーガは行為でもあります。また導きたいと強く寄り合うための道具なのですから、日々の【サーダナ(修行、修習、到達)】にこそなのです。
個人的ではありますが、ヨーガ・サーダナには生きた振動が常々与えられます。実直に、正確に、それでいて素直にまっすぐと向かう時、震える振動の伝承は生きて与えられるのではないでしょうか。かつてから、古代のヨーガ行者はその伝承を日々のサーダナに感じて、日々連続することなので、終わりのない、常に幸せを与えられるからこそ尽くす修行をしたのでしょう。
サーダナにこそ「伝承」という実感が生きています。が、それを選ぶ(する)かは人に任されています。だから人間なのでしょう。
Tryambakam Yoga Center
tomoko
ॐ
2021.06.20

随分前に読んだ『身体の設計にミスはない』橋本敬三著(柏樹社)。
時折、この本の題名が思い起こされるされるようなことがありますね。
昨日は毎日ヨーガに通ってくださって15年のK.Mさんに「大丈夫ですか?調子悪いのですか?」と指摘されてしまいました。
実は・・・単純で、体側を伸ばすと体側が痛かったのです。不具合風を感じさせてしまったとは…ホトホト滅入っていたのでしょうか(笑)
しかし、良い機会になりました!
もうすっかり心配はなくなりました。ヨーガの恩恵、そして身体の、大宇宙の設計にミスはありません!(笑)
瞑想は大いなる力がある大宇宙の壮大な設計を見せてくれます。
線にミスはない!
設計には<点と線>がありますが、瞑想で引かれるのもそういう線です。
点は宇宙の中で起こり、現れている現象や事物、あるいはわたしたちです。
その設計図は瞑想のあとに、生起する。やって来ます。
ビジョン、希望、祈りに近い願いは流れ(線)になって、強い叫び声が光りとなって現れて
…次に、次第に点(存在・事象)の配置に関しての考えが明瞭になってゆく。
これらは瞑想してすぐに起こるのではなくて、
瞑想中に体験するよろこびの後にやって来ます。
まずは瞑想で、静けさの中で深い至福のよろこび、幸福の体験です。
迸るように突き抜け、突き破る、ものすごい破壊力と寄せ付けない光、よろこび、
すると自然に拡大される意識。
この生命体の存在、生命体を起こす入口とその先、世界、宇宙、太陽系、大宇宙を超えてある意志、、、
宇宙と星々、身体と細胞、空間や体液。間に流れる電気って?エネルギー(生命力)って?…と壮大に広がり、理解させるスイッチのようなものが瞑想。
話が広がってしまいましたが、
この大宇宙、大いなる力によって生き、生かされているわたしたちの設計は実に精妙で確かなものです。
病気や障害、アクシデント、老いや死は避けられませんし、あるから人間。
病気は「滅入った気の病」。病気で、病肉はない。
疫病神さまがおられるように、いまは神と向き合う時間を与えられたということですから、喜んで向き合いましょう〜🏥
厄介だと嫌ったり、泣かず、人任せにせず。
起こっている物象と心も物象ですから、点と点の間を流れる時間がよろこび力でありますように。
理解は安らぎ。理解があれば澱みは清浄され清澄に。
🙏
紹介した本は受付に置きます。
その他、
・野口晴哉著の『体壁』
・小山芙美子訳スヴァーミー・チダーナンダさんの『こころの科学』『空の科学』
らも面白いです。
Tryambakam Yoga Center

ヨーガはやり過ぎてもいけないと、先生は先生の先生に言われたそうです。
どれくらいがやり過ぎなのか…。
「自分とも比べません」とクラスで言っているけれど
その言っている言葉を改めて・・・
いつも同じ
に配慮しましょう。
いつもはないのですから。
特に実践、実技的なことではないのが「いつも」。
改めて問いかけた日でしたよう。
「いまにあるほほ笑み」
・・・の日常。
ヨーガをしている人なら知っているサントーシャの心。満足。知足。
そしてイーシュワラ・プラニダーナ。
改めて「ナ〜ム〜」
変わっていく身体(境遇)に合掌礼拝。そうして私たちは成長をいただきますね😉
ポジティーな考え方をインドに、ヨーガに学びませんか?
「いまに生きるインドの叡智」講座が始まります。一緒にいまに生きているインドの智慧を学ぼう!
コチラ
(写真)今日の食事
暮らす土地に世話になっているので世話になる食卓。
狛江の中和泉産直さんプランターのローズマリーや大葉。
豆の粉(ベイスン)に旬のズッキーニ🥒とウコンでオムレツ。
プチトマト(オレンジ)が並んでいました。フルーツとニゲラ、カルダモンでインド風マリネ🍀
海人は海の恵みを世話をし世話になる。山の人は山の恵みを世話し世話になる
土地のものは身体を癒し相性が良い。心身安らかに💞
Tryambakam Yoga Center
tomoko
ॐ


















