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26.01.25

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10/25(土)──アーシュラム2日目(vol.11)

◆ 夢
目を、開けました。
一日の始まりの朝が、やって来ました。

「ここに来たんだね」
誰かがそう言ったようで、
わたくしは「はい」と、応じます。

(そうだ!)
(そう、シヴァーナンダ・アーシュラムのイシュワルバーヴァンの部屋に来たんだ)

今度は、はっきりと思いが過ぎます。
同時に、目がパチリと開くのです。

「目覚め」のことで、いたってわたしの感想を書き申し訳ないのですが、わたしは目覚めとは「起こされている」と思うのです。誰もが目が開く寸前、ほんとうにほんの少し前です。

夢か、うつつか、現実なのか。
その、はっきりしない何かを見せられ、
心情が(どぐん)と動いた、その拍子に、
目が開くのではないかしら。

誰かが人は毎日必ず夢を観ていると言っていました。

「夢」はスヴァプナsvapnaです。
svapnamは「夢を見る。幻を見る」で、同義語にdṛś, paśがあり「観察する、注視する、傍観者」です。

夢について、ヨーガではこう捉えます。
『タントラ・ヨーガ』ジョーティルマヤナンダ著(スヴァーミ・サッティヤーナンダの高弟)より

人間には、根源的に四つのはたらきがある。
感覚・感情・思考・意志。

それぞれは、
覚醒位(目覚め・感覚が優位)
夢眠位(夢・感情が優位)
熟眠位(熟睡・意志が優位)
思位(思いのみが働く・思考が優位)

これらの領域を、
私たちは日々、出たり入ったりしているのだと。

それらの全ての領域を経験することで、意識は全体を体験する。この意識の全体体験がヨーガの道で、
知り、理解による合一へと、
純粋意識は発展していく――
そのように述べられています。

夢は、人それぞれが持つ、持ってしまった直感や考えの根因の現れだといいます。              夢が思いであるならば、思いには原因があります。

良い夢だったか、悪い夢だったかよりも、
その夢が、どのような思いから
沸き起こっているのかを、
見直すことなのかもしれません。

いまの自分を、ああ〜観せていただいたのだと。オーム……🙏

オームについて少し書きます。
オームのそれに付随する意味はない。プラナヴァ(「聖音」の意味)とも呼ばれる聖なる一音と教わりました。古代インドの祭祀に発生したこの一音「オーム!」は、まず祭祀官吏によって唱えられ、続くバラモンの「オーム!」で始まったと。願いや祈りは、神の力というより、言葉の持つ不思議な力にあると考えられ、讃歌や詩句があった。その最上級、非常に強い力を持つ一音だと。

あえて日本語にするならば、
「はい」
「然り(その通りです)」
「承りました」

そんな響きでしょうか。

人も獣も虫も鳥も、植物も菌類も鉱物も、水も火も熱も風も、あらゆるエネルギー(いのち)は何かと対したとき、唸りが上がります。

ところで、もうひとつの夢が目覚めます。

それは、この研修で、来てくださった3人がインドやヨーガを経験されることです。そして、わたし自身がまたひとつ、新たなヨーガと出合(和)うでしょう!どんな瞬間とも絡み合い(愛)たいものです。
絡んで、絡んで、絡んだ経験が「こんがらがっちゃった」になってもよいでしょう。絡みは強い綱になります。そして、よられた綱の一筋、一筋を知ってゆくことに通じます。その、ほんの一ミリ四方のパーツでよいので、リアルとなって印象となりますように!

アーシュラム生活の実質一日目。昨日は夕方からの三つのプログラムだけでした。今日は、朝の瞑想から夜のサットサンガまでのフルコースです。

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◆ 儀礼
腹式呼吸で、身体がはっきりと認識されます。
これより、毎日の儀式です(笑)。

布団の中で、
手首や足首を静かに、ゆっくりと回し、
最後に、胸元の中心で合掌🙏。

この合掌の感じが、なんともわたくしは、安らぐのです。

このときだったか…
3時50分にセットしておいたアラームが チッ と鳴りました。

(えへへへ😋。目覚ましの数分前にわたしは目覚めるのよね〜)
ヘンテコな優越感(笑っ)。

鼻腔に意識を向けて、鼻腔内にやさしく触れる息の出入りを味わいます。これをしないと不思議なもので、身心が不調和なように感じます。その日一日中、経験すること後に、苦いような後味になるので、もう、どんな日もやった方がよいという結論になっているので、どんなヨコシマがあろうと結局のところ続けるのです。

そうしているうちに、時は20年、25年と……経っていました。

ヨーガが美容に効くというのはほんとうだと思います。
ヨーガのもっとも知られている効果は肉体的な健康ですが、内側に内容が澄んでくると、気持ちが良く、それは喜びを感じるまで広がるでしょう。
ありのままの素性と向き合えることは、
正直になれる、ということなのだと思います。

正直になれると自信や勇気、また感謝や分け合いたいという積極性が生まれるようです。こうして、自分の内面の方から積極的で前向きな変化があるというのは、目に見えるものではありませんが、ヨーガが美容にもたらす大きな効果だと思います。

昨夜枕元に準備した衣に着替えて寝巻きは畳み寝床を出て、布団も夜に気持ちよく寝たいので(考えてみると、わたしって欲深?)整えます。いつもであれば、布団を出る前に〈お目覚めヨーガ〉を少しするのですが、いまは、合同で使う場所、洗面所でのことを先にしようと、臨機応変に入れ替えました☝️。

水回りの儀です(笑)。

修行僧は沐浴でしょう。沐浴ならぬ水通し。ただ、教典に早過ぎる時間の沐浴はよくないとありました。

トイレを済ませ、まず鼻と目、耳掃除です。ジャラ・ネーティ 、カパーラバーティ、バストリカーなどのハタ・ヨーガのシャット・カルマ(行)で清浄。これらの行法はほんとうに助かるといいましょうか、これにて万事整います。 さらにわたしは脇、体側、腹や尻(尾てい骨周辺)などを手のひらと布巾を使い温め、ゆるむのを待ちます。

ここまでほんの7〜10分くらいです。

さて、わたくしは55歳を過ぎました。
朝の身支度は、幼い頃から人とする生活の中で身につきました。特に高校、大学はかなりキビシイ体育界系の境遇に飛び込んでおりましたので、数分での着替えや髪結、食事や行水のような風呂などはなかなか洗練されつくしているものなのですよ(大笑)。暗闇でも、また音もたてずにできるほどです。

が……しかし。

この頃は学生からアラ5、6と歳は上がってまいりました。                               ちょっとばかり自分の世話が増えてきたように思います。

身だしなみなどの設(しつらえ)です。

いまをまだまだ歩んで、ほそくとも成長するだろう自分を見ていたいと、これからの方が、これまでより厳しいけれど楽しみでもあるので、継続を願うからこその準備でもある設なのです。

ハリオーム🙏
——
つづく〜

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26.01.07

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26.01.01

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(Vol.10)
◆三つ目(トゥリ)は、忍耐?🧘‍♀️

まだまだ、まだまだ、初日の話は続きます。
今日の終わりのサットサンガ。これが一日の最終行事です。

これが……おほほほ〜っ、お長いのよ。(お覚悟、よろしいかしら?)😅

思いはメンバーに向けて……、いやいやもっとも向けられているのは自分にです、ハイ(笑っ)。食事から戻り「ただいま〜 美味しかったね〜」。「さあ、サットサンガに行くよ〜」。和らかな声の主はオニ?!

『Daily Prayer』(毎日のお祈)、この一冊を持ちます。みなさんには、説明会でお見せしましたが、すぐにライブラリー(アーシュラムの図書館で購買もできます)で購入するので大丈夫ということでしたし、わたしもそれが良いと思い、みなの分の本は持参しませんでした。

部屋をみんな揃って出ました。このイシュワル・ヴァーヴァンⅠ(アーシュラム内の宿泊施設の名前)の部屋は二ついただきましたが、中は中央の壁に扉があり、二部屋続きの部屋でトイレと浴室は共用。二つある出入口は一つに決め、南京錠を一つして四人そろって鍵をかけて出ました。

出るときはもう内心ヨロヨロです。でもシャッキリして向かわねば、初日ですもの! このアーシュラムの校長先生、総長のヨーガスヴァルーパーナンダ・ジーとお会いします。

実は――受付での手続きが無事に終わり、ほっとしたのも束の間、わたしの心には、またひとつ小さな“気がかり”が生まれていました。オデキのようですね。治ったと思うとまた一つ出るのです。
到着したらまず、総長先生のもとへご挨拶に伺おうと考えていたのです。ところが、レセプションでお尋ねすると、首を横に振られました。
「夜7時のナイト・サットサンガに出なさい」「行けば会える」と。

そして、このことは、事前にあき子さんとのメールのやりとりで予測していました。「もし、到着してすぐご挨拶できないまま夜のサットサンガになったら、サンガの後に引き止めてのご挨拶はやめた方がいい、翌朝に」と忠告を承っていたのです。ですから、午後にご挨拶できなかったわたしの胸中には、会えないままで日本の連中が顔出しする格好になったので、少し心苦しく思っていたのです。挨拶が翌日になるな、と。

まあ、どんなことも時間という流れの中に流れ込んでいくのです。不安な気持ちがあろうがベルトコンベアーで運ばれるようにナイト・サットサンガをするサマーディ・シュラインへ。サマーディ・シュラインはヴィシュワナート・マンディールの横、同じ並びにありますが、ヴィシュワナート・マンディールが階段を登って入口が高々一段高いところにあるのに対して、サマーディ・シュラインは、平坦場に奥まで広がります。

入口で靴を抜き、段を二つ上がって額を付け挨拶。先頭でまた入らせていただきマス。今度は、先頭あとに続く後ろがどうなっているかなどは、もはやわたし(ヨロヨロ)にはどうでもよい(信頼している人たちだからです!)、振り返りもせず入りマス。

ジャヤガネーシャ で始まりました。
ここから事前説明会で話をしてきた実践です。
「19時から21時過ぎまで。坐法をとって、無駄話なしで聴きましょう」

これは、かつて私自身が研修で言われ、背筋が伸びた一言でした。みなさんにもそのまま伝えてきたのです。そう、わたしは説明会でそんなことを言い放ったのでありました。……こりゃ、自分が一番タイヘンかしら?!

◆――そして、「聴く」時間の夜…ヨル…寄る…。

マントラの高唱が続きます。
聞き覚えのあるマントラが出てくると、ちょっと嬉しい。しかし、ほとんど分かりません。マントラの朗唱はだいたい30〜40分続きます。その後、参列者側からのキールタンがあって、その後が日ごとのゲストによる、いわゆる〈サンガ〉「交わり、高め合いの交感」が始まります。この日は、一人の男性が前に出て、何か講話が始まったようでした。英語ですが、もう思考は電池切れ?内容理解しようというスイッチは切れてしまったようで……御免なさい。ときどき「yoga」とか「happiness」と聞こえてきます。 ‘しあわせになるヨーガ’という話のようでした。ちなみに余談を失礼すると、〈しあわせになるよ〜ga〉と題した連載記事を、早朝のヨーガクラスの後の通信ヨーガ、〈ヨギうた〉で配信しています(笑っ)。ここでは、『ウパニシャッド』と『ギーター』から引用してのお話しでした。

今日の行事が終わりました。
朝、癒しのブッディスト・センターを出て、アジェイのヒンディー・レッスンをたっぷり受講?して、目的地に到着して、不安と心配を乗り越えて、目的地での目的だった、アーシュラム生活が始まって、その三つ(トリ)を終えた初日でした。

ブッディスト・センターでのインドでの初夜、わたしは一日の終わり方に反省を感じ、みなさんに「毎晩寝る前に顔を合わせてから寝ましょう」と提案したのです。そう、これからきっと多くのことが起き、心は思っているよりもずっと多くの経験をするにちがいありません。こころの内に起こっている思いや疑問を「明日でいいや」としてはいけないな、と思ったのです。確か、翌朝の、静かで美しかったエレガントな朝食の席で伝えて、3人は納得してくださいました。

そう、くたくたで ヨロヨロで眠いのですが、「いいかな?」と声をお掛けさせていただき、リシケーシのシヴァーナンダ・アーシュラムのイシュワル・バーヴァンでの初日の終わりの〈四人サンガ〉をして寝たのでした。みんな眠そうです。御免なさいねっ!

(私って、ちょっと鬼かなあ〜どうなのかな〜💤)
(三つの行事に参加した初日か〜)
眠りゆくわたしの頭の中は、あっちに寄ったり、こっちに寄ったり…
うすら、うすら、ゆらゆら、ゆらりと連鎖が起こっていきます…

今日はアーシュラム行事の三つ……三…。
イブニング・サットサンガに出ることができましたね〜
アーシュラムの夕食をいただきましたね〜
ナイト・サットサンガに出ることができたね〜

三、3、トリ……。
トリは「3」のほかに「三つ性すべてにおいて」という意味も
あったなあ〜。
「三性」はトリタ trita――
ヴェーダの三神……インドラ、ヴァーユ、マルト。
電光の三性、三相――。

おお〜っ 電光ごとく飛び 散り ゆけ〜 みんなも三神のごと
くゆくのだ〜  おお〜トリタらよ!!

眠りに落ちるときに心が寄っているものというのがあると思いますが、どうでしょう、ありませんか?
わたしはこの頃、自分が夜に何に寄って(酔って)寝たか、翌朝思い楽しいんです、ハイ。

続くう〜 (-_-)zzz

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26.01.01

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初日のトリ!(vol.9)

※ここで言うトリは、「締め」や「山」という意味ではなく、

初日のアーシュラム行事「三つ」トゥリtriの意味を指します。

・キールタン;イブニング・サットサンガ(vol.8)

・夕食(vol.9)

・ ナイト・サットサンガ(vol.10)

◆二つ目(ドゥヴィ)は「・・・美味(うま)っ!」🙏

感傷に浸っている暇なく、階段を一挙に駆け上がってダイニング・ホールに到着しました。

ガンガーでのアーラティの祈りから一転、今度はこの無言にならざる得ない駆け上がりです。〈聖と俗〉の混沌に、はにかむわたしの心。間髪と間のない様相が〈聖なるもの〉と〈俗っぽさ〉の隔てを取払って、同時に両者が丸裸になって浮き彫りになります。

初日の晩ご飯はカレーです。ってか、この後ずっとカレーですし、カレーしかありませんが(大笑っ)。

マハー・マントラとよばれるマントラは、ダイニング・ホールのスヴァーミージーの指示で始まります。同時に弟子たちは食事が配給を始めます。その間、順の配給されるたび、頭を下げ受けます🙏。

でも、にこやかにしているとわんさと盛られるので、「STOP」の合図を送らせていただきます。

大きな鍋にサブジやカレースープ、チャパティにライスと順番に皿に盛ってくださるので、まさに配給。

小学生時代の給食は、生徒は並び、給食係に配膳してもらいました。

ここでは坐って待っていれば良いのです。ある意味でいいご身分で…申し訳ないくらいの気がします。

このあとも配給は、あと二回くらいまた回ってきます。おかわり自由というわけの大サーヴィスです。

メンバーのM.Oマユーラ(孔雀)さん(マユコさんなのでマユーラとあだ名)が、目をまんまるにして(「おいしい〜😂」と)います(笑)。

I.Kケーナさんはカレーを見入っています。わたしも(「そうでしょう、そうでしょう、美味いんですわよ👍」)の顔でうんうんと応答。

リシケーシ入りの今日の昼は御馳走でした。夜もこうして駆け上がって来れば、ご飯が配給されて至れり尽くせり&美味っ!の感謝のご馳走です。もう大満足です。

日が重なれば、この食事に慣れて普通になるのでしょうが、こうして初日に思った「ありがたい」と思う感謝の気持ちを忘れないでいたいと思います。

アーシュラムのダイニング・ホールについて、そして食事のことを少し書きましょう。

まず、ダイニング・ホールの位置ですが、そう、何度も書いていると思いますが(笑っ)、リシケーシを流れるガンジス川の右岸、ハリドワール大通り(カンプラヤッグ・ハリッドワー・ロード)にあるアーシュラムの門から急な階段を上がって来て、見えてくるヒンドゥー寺院、ヴィシュワナート・マンディールの上、裏手の高台です。

建物全体は三階建てでなかなか大きく、ダイニング・ホールは二階。三階は、ゲストルームがあります。

八年前、成瀬貴良先生のグループとして滞在したとき、初日から二日間くらいこのゲストルームでの食事をいただいたのです。食器は陶器でした。スプーンにフォーク、チャパティは籠に、ライスも蓋付のボールに、フルーツが盛った皿に、ボーイも二人はいらしたでしょうか、とにかく一流レストランのような贅沢な食卓でした。あまりにダイニング・ホールの食事とは違うので、わたしたちは歓迎に感謝するものの、修行としての滞在でしたので、みなさんと一緒のダイニング・ホールでの食事にしたいと希望を伝え、戻していただいたということがありました。そのとき、ヨーガ・スヴァルーパーナンダ・ジーにお願いをしたのはわたしでした。みんなズルくて、わたしは英語はほんとうに話せないのに「智子さんが言って」とか言うので、わたしはツラくて、でも頑張って伝えたのです。当時ヨーガ・スヴァルーパー先生は副総長で、何かとわたしたちの面倒をみてくださっていたのです。

その、修行中の人や、一般みんなが食事するホールは、何人くらいの人たちが一斉に入れるでしょう…四、五十人というところでしょうか?

一階入口前は下足箱があって、そこでみんな靴を脱いで入ります。入ると正面奥に〈女神アンナ・プールナ(アンナannaは「食、食物(米)」)〉が居られ、手前右は給水湯(自由に水を汲めます)。

ホール内は床に布が敷かれていますので、その布の上に坐ります。入口を入り右手側が男性列で、左が女性列です。唱えられるマハー・マントラは、食事が全員にゆきとどいた頃に食事のマントラに切り替わります。『バガヴァッド・ギーター(以下『B.K』)』Ⅳ章24説、アンナ・プールナへの祈り、ガンガー・マーへの讃歌が捧げられます。

食事後ふたたびマハー・マントラと祈りが捧げられれば立ち上がってO.Kです。それまでは食事が終わったからといって勝手に終えてホールを出てはいけません。当然なようですが、例えば、朝と昼の後半(昼は二部制)はマントラはありません。そういうときなのだと思います。夕食や昼食(前半)でわたしたちは経験したでしょう、と問われています。経験することは、経験したではなく、経験をさせていただけた貴重なことなのです。

で、ホールを出て「ご飯終わり」ではありません。食事は食器を洗って戻すところまでが食事です。食事は、食物をいただくことのほか、考えてみると、時間までに食事に向かうこと、礼拝や祈り、食事の道具を片付けることも食事なのです。毎日食事の支度をするお母さんは、食事に向かうことの中に、食材を準備し調理する、整えて振舞うことも含まれています。食事の道具の片付けは、自分の食した坐席を見直すことも片付けであります。そういうすべてを知っている人は、〈食事〉と言ったときにそのすべてを見ていることがヨーギーの食事です。

少し姑、小姑のようになりましたが(笑)、あたりまえに繰り返してきた日常から離れ、こうしてお世話をしていただくと、見直せるのです。

ああ、そうそう、食事は手でいただきます。この時、最初のときからかな、メンバーはスプーンをもらっていたかと思いますが、どうだったたかしら…?そう、希望をすればスプーンはもらえます。わたしは手でいただきました。どうも、スプーンと皿が当たってカチャカチャ立つ音がちょっと苦手なんですね。それからもちろん、手で食べる方があらゆる意味で美味しいと感じるのです。

日本だと、美味しさというのは、味や香りのみならず、冷温など食の温度や彩、また食器などの装飾も含めた食文化としてありますが、残念ながらインドには見られません。しかし、わたくしには、もっともある、文化が見られる、と思うのです。いやいや、どこにもないじゃないかと言われそうですが、ポイントがあって、修行者のための食事として見つめてみると、「ある」と見えてきます。強すぎることのない、騒ぐことのない、感じ取りながらの最高に研ぎ澄まされた文化の象形になっていると思うのですが、わたしの考え、どうでしょう……?

つづく〜

(^^)/~~~

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