
ヨーガの目的はサマーディです。至高至福の特別の三昧と呼ばれる境地への歩み。
歩み(力)のヨーガと直訳されるハタ・ヨーガの瞑想では必ず集中の対象があります。
対象物がなければ何も働きません。生命あるものが常に持つもの力エネルギー(生命力)を扱うのがハタです。
禅の修行の境地を表したものに「十牛図」があります。
その解釈は多くの出版物が出ています。
それぞれに解釈できるのはラージャ・ヨーガ(古典のヨーガ・王のヨーガ)や禅の特徴でしょう。
サマーディへの到達段階、兆候を記しヒントを与えてくれる原点が教典の教示です。
歩みは行ったり戻ったり、飛び石もあり得ます。段階、階段のように必ずしも沿うものではないから教典の啓示はヒントになります。
十牛図もヒントになるのでしょう。
十のシーン(場面)が登場します。
年末交流会では来年の干支でもある牛さんに掛け、話題を深めてみましょう。
本年最後の年末交流会ヨーガに是非ご出席ください。
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一人ひとりのヨーガですが
ひとりの中でも変わりますので
一瞬一瞬とのヨーガです。
外に向けている矢印の方向を自分の方へ向けて集中します。
内(アンタル)と話をし、外への口は閉じる(アンタルマウナ)。
観察と気付きの絶え間ない集中の連続は、あるとき「わっ」と広がるでしょう。
そうやって一人ひとりに与えられている力とか、役割、能力、技能、力を理解していきます。
これがヨーガという道のりです。
義務についてはこちらに書きました。
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Begin Each Day 26
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気、プラーナ。
「気を入れて!」とむかし気合を入れられたものです(笑)。
ヨーガはプラーナ抜きに語れません。
特にハタ・ヨーガはプラーナを扱います。
中国では気と呼ばれ、インドではプラーナと呼ばれ、ギリシャではエーテルと呼ばれ、時代が下って神学・物理・化学で扱われ呼ばれたそれは随分と太古の時代から存在した考えで、インドやヨーガに限った言葉ではありません。目には見えないけれど、確かに在る大きなそれに人は気付いていました。直訳すれば力のヨーガのとなるハタ・ヨーガはプラーナはエネルギーと考え、独自の哲学があり、それを科学、化学だと言う人もいます。
個人的ですが、ヨーガを教わってきて、わたしは単なる科学ではなくハタ・ヨーガは化学だと感じています。
原点でもある教典はその化学を見るための準備ややり方、そして結果を記しています。→毎月㈪の授業でみなさんといっしょに教典を読んでいます。
結果へ導かれる材料を持ち備えたヒトは、
その化学によって 良くなろうと考えるなら、その自然性である科学と変貌の起こる化学を活用します。
特に関心がなければそのままで良いのです。
病気になりました(変わり目の風邪ですっ)
一日 する気も起きないしだるいのでぼ〜んやり過ごしたのですが、結果的には良くなりましたが
脚が、脚が、脚が弱くなりました。
たった一日でこんなに変化するとは!と思い、
今日のヨーガではゆっくりとその脚に少しずつプラーナが入っていくのを、そうしてバランスを整えていくのを感じていました。
皆さま、ヨーガを毎日やってどうぞお元「気」に。
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t.hayano..

Nさんが祭壇へ一輪の花を添えてヨーガをしたのを見られたSさん。
お家にある歓びを連れて来て添えてくださいました。
花を添えるとき、そこには自己が坐る。
挨拶をするとき、そこには自己が居る。
祭壇はそういう所。
会員さまはそこに出席カードを置きます。一日がそこから始まるでしょう。
インドでもまず最初に祭壇に礼拝をします。そして一日がはじまり、一日がおわります。
アーシュラム来る人の中には、祭壇を掃除する人、そのまわりを掃除する人、花を添える人、香を持参する人、供物を持参する人、その皿を洗う人、それぞれが違う役割を自ら見つけて持って、自らの役割をすることでそこにいつも存在しているかのようにしています。
日本にも同じ習慣があります。
わたくしの行動、言葉、思惟、そして遭遇するすべてがいつもここから起こっているのですから。
祭壇が互いの注ぎによってある姿を知る者は
しだいにだんだんとその域(息)を広げて
家だとか、地域だとか、その土地になっていくのでしょう。
皆が注ぎ合っているところが
ヨーガの場所です。
これは来なければできないことですね。
一度来たならそれでそこに存在します。
hari om tat sat
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tomoko hayano
















