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20.10.10

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とうとう終わりました。
最期でした。

毎日、毎日、少しずつではありますが、出させていただいて来たトリャンバカムの甘〜いチャーイ☕♪
とうとう今日、おしまい。
もうお出ししたくても、紅茶の茶葉がありません。

インドの、リシケーシの風……をヨーガの後に味わってくれたら♪という思いで持って行っていました。
終わりです。紅茶葉の瓶底をパンパンっと叩いて、「あらま」と覗き込んだ朝でした。
(笑)

🙏 これまで、日本で買ったことがないのです!びっくりです。
スパイスは正直、買ったことも、一度ありましたが…
もう、何年でしょう!?教室を開講したのが2004年、
一時、ヨギティーをお出ししていたときもあり、時々でしたが、少なくても2010年頃からは毎授業でほぼ。

買わずして振る舞ってこれたのは、
私が教室で出すのを知っていてインドから土産に買ってきてくださるヨーガ友や、いつも世話してくださるインドのあき子さんの愛のおかげでした。
もちろん、豆乳や砂糖を買うお金を維持するのさえ大変なときもありましたが、それでも(インドやヨーガを)味わっていただければと。

考えてみればチャーイに限ったことではなくて、すべてが関係性で、今できていることがありますね〜……。

チャーイをお出しすることを通して、私は皆さんとインドの話、茶葉をくださる友の話、あき子先生のこと、アーシュラムのチャーイの話をするきっかけができます。
皆さんはチャーイをきっかけに知らずとヨーガの話になります。
ヨーガの中でもアーサナやプラーナーヤーマという行法を通して、ヨーガの話をするきっかけを与えていただけるのです。
関係性が導いてくれるのです。

きっかけから広がることがヨーガであるとき、わたしはこう思うのです。
教わったこと、経験させていただいてきたことでヨーガへ、大いなる私を動かしているものへの布施ができるな、と。
ヨーガへのお礼です(笑)

無くなったからAmazonで購入して同じようにできるのかもしれませんが
そうまでしてと感じますし、それは違うなぁ、と思うんです。
購入して作ることも、変わらないご提供もできるでしょうが、「毎日わたしはチャーイを作るぞ」というところばかりになってしまい、それは違います。

わたしはチャーイが作りたいのでも
チャーイを提供する教室になりたいわけでもなく
もちろん、美味しいと言ってもらいたいわけもなく
チャーイを通してヨーガやインドの話をするきっかけができること、
話題によって、飲んだみなさんにもヨーガの周辺が通っていくことをしたいのですから、買ってはどうでしょ。

関わりを含めたところまで含めて、ある。
含めて伝えたい、伝わっていく……これが伝統だとおもっています。

トリャンバカムはシステムやヨーガを実習する教室ではなくて、
体験していただく、感じ取っていただく教室ですので。

私が時々言う
「不明瞭で不明確な何がほんとうかわからない」とは
世間を批判しているわけでも
社会をわかった風に避難しているわけでもありません。
そうした、関係性のことをいっていたのでした(笑)

さてさて、
またいつかチャーイが飲めるようになったらいいですね😃

💞

リャンバカム・ーガ・ンター
早野智子


20.10.09

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テクニックの話です。
集中できないときや
レッスンぎりぎりまで、今日のようにトラブルやアクシデント対応のときに私は喜んでします。
それをすると、一挙集中へ、ヨーガに連れて行ってもらえるから。
ああ、集中すると自分の世界になるのではなくてその逆です。
どんどんみなさんの感覚と共存していく風です。

手をつかってこうして腹部のいつものやわらマッサージをしたら(教室に来ている人はわかりますね)
いつもの3つを縦にして
お腹に意識を向けて吐く、吐く、吐く〜ぅぅぅ と3つ
次の吸う息がテクニックで、
ポンと
ビュンと
ビビンと吸い上げる。細く速い。
電気みたいにイメージして迸らせる。
繰り返していると、繰り返しがなくなったとき、集中できているか…な。

独自のものではなく
経典にも書いてあるのです。
それはまた次の機会に。

以上

Tryambakam Yoga Center
早野智子


20.09.19

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夜ヨーガの帰り道で…会員Oさんと。

「やっぱりリモートは駄目ですね〜」と会員のOさん。
先日まで「リモートはやっぱり助かる!」ともおっしゃられていました(笑)。

この間のリモートで、バラドヴァージャ・アーサナしていたら、途中で切れちゃったのに気づかないでずーっとしていて、
「いつも長いけど、これはあまりにも長だろ?!」って思って画面を見たら(切れていることに)気づいたとか。
このエピソードから二つのことを思ったとか。
・ 間にあるものが多すぎる
・ 雰囲気とか、そこに居る人達の集中力いうものに引っ張られている心地よさ

その通りの同感。と深く頷き・・・
ちょこっとトピックス💞

馬と馬車を繋ぐ軛(くびき)がヨーガだと、すでに紀元前の古代ウパニシャッドの中でヨーガがそう説明されています。
間にあって繋ぐ道具がヨーガだ、と。軛で繋いだ馬車に乗って神が人間の傍に来てくださると。
その後で、繋ぐの意味から、合一、結ぶ、サマーディ(三昧)思想が加わります。

現代では、情報と人を繋ぐ間の道具に通信ネットがあり、その情報を間に置いて人が繋がる情報ネットもあります。
もともとコンピューターは大切な機密な記憶やデーターを各組織や会社で持って置くためのものだったと聞きました。
つまり、人の記憶や継承していきたい祈りのような部分を 特別な道具、コンピューターが担っていたのです。

情報について考え直したくなります。情報の役割、担っているものはなんだろうか?情報はほんとうのことで、必要だというものをを取り込んでいるのかしら?と。
森本哲郎氏の著作で「情報について」書いてあることろ、私は幾度かと読み返すところ。
「情報とは何なのでしょう。最近ではやたらと反乱しているが、少し前は別に大した言葉でなく、むしろ格の低い言葉とさえ見られていました。情報という日本語には あやふやな という感じが込められていて「これは確実な情報だが」と確実なという形容詞を付け加えない限り、信用されないのが普通でしたから。
げんにわたしが新聞社へ入った頃は「いいかね、新聞記者が情報屋になったらおしまいだぞ。くれぐれも気をつけろ。」とよく言われたものでした。情報屋とは、不確実なニュースでも何でも片っ端から流す記者のこと。情報とはむしろ信用のおけないものの代名詞でさえあったわけです。
ところが今では信用を回復し、それどころか、時代を説くキー・ワードのようになってしまいました。新聞社も情報産業と自称し、社会そのものも情報社会と言われるようになってしまいました。情報に関する書物もたくさん出版されます。そうなればなるほど「情報」という言葉についての情報が多過ぎるため、タがつけられない体のものになってしまったのです。」

会員Oさんの「間にあるものが多すぎる」に話を戻すと
例えば発信源は一つでも、間にあるヨーガの先に繋がって、Sカンのように繋がっているものは、いろいろの方向…それぞれの意図でヨーガと繋がっています。
次のOさんの言葉にも通じますが、実際にその場により合って坐っているときは、好き勝手な意図で受け止めたりするバラバラの方向は案外となくなって来るものです。
マントラをバイカリーと呼ばれる大きな声で唱える方法で 皆で集まって高唱するバジャンがヨーガにはあり、初心者にはたいへん有益な行法ですが、それと同じだと思います。

ヨーガへ通っているみなさんがどんなシステムで受講されてもよいと思います。
間にあるものが楽でありますように💞

TryambakamYoga Center
早野智子


20.09.15

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盛岡での朝ヨーガの後、会員Yさんと岩手県は岩泉町でのボランティアの話をしていました。
Yさんは4度ほどでしょうか、、、3.11大震災と大津波の被災地である岩泉町へ当時、ボランティア活動で宿泊を伴った活動に参加くださった方です。

カタ コト
「あ。地震みたい。」
ガタゴト ガタ ガタガタガタガタ〜
「揺れていますね!画面でわかります」
「大丈夫ですか」

はい。大丈夫ですが、案外と・・・震度4くらいかしら。

・・・
「あら、こちらも地震です!小さいけど。」

「間、20秒?30秒?
このくらいで伝わってくるんですね〜
うわあ、すごい体験!」と。

確かに。振動のスピードを実感した日でした。
ちょこっとトピックス💞

わたしはいったいいつ頃、どのようにヨーガを体験したのだろう。震源地はどこだっただろう。
どんな事にも必ず震源地があります。
地震の後はニュースになったり、復興したり、復興後の劇的ドラマはいろいろに広がりますが
震源地の状態や地震のシステムを知ることで、準備することができます。
ヨーガも同じで。
だからわたしはいつも震源地のことをよく、よく知り、そこから学び、毎日を準備することが、発信者から与えられたこと、そもそも生きるという振動を与えられたことへのメッセージではないかしら、と思うのでした。

TryambakamYoga Center
早野智子