(vol.3の続きです。)
田老に到着です。
4月と5月に訪れた田老のグリーンピアへやってきました。
早野は久しぶりにやってきたのです。
5月以降、活動の拠点は小本となり、そこでの時間を育むことを丁寧にしてきましたので、
残念にもこちらまで脚を伸ばす時間を設けることができなくなっていました。
この田老「グリーンピア」の避難所はニュースでよく放映されていたようです。
大きな体育館《アリーナ》に500名以上の方がま隠しの敷居で区切られ生活していました。その頃、アリーナの一角でヨーガを実践させていただきました。
しかし…以降は『東北にこころの灯をともす会』の視察チームらは、視察で毎回訪れていましたが、私は直接小本入りしていたため、田老を訪れていなかったのです。
半年ぶりの田老です。
!!
驚きました。
こんなにたくさんの仮設住宅を見たことがありません!
アリーナから、仮設住宅に移ったのですね。
それにしても
ひろ〜い駐車場に、びっっ・・・しりと。。。
一棟が5件、それが8棟と縦に3〜4ブロックです。
ぎっしりです。
写真ではわかりませんが、このグリーンピアの広い敷地内には、
もうひと集団というか部落というか…同じような集合住宅棟があります。
かつてテニスコート15面あったところに、やはりたくさんの仮設住宅が建てられ、多くの方が暮らしていました。
ここ、グリーンピアは本来パターゴルフ・グランドゴルフ場にテニスコートと充実したスポーツ施設。そして遊歩道に宿泊施設と、誰でもが一日中、あるいは宿泊で楽しめるよう企画、建築されたのでしょう。
現在は全ての施設が被災者のためのタウンになっているようでした。
クラブハウスなどは、被災者の文化活動の場として使われていました。
我々の活動と同じように、『被災者に仕事を!』と
【婆っぱの手】(ばっぱ=おばあさん)とうたって、編み物や小箱作り、小袋作りといったさまざまな手仕事を仕事にしていただこうというサークル活動がはじまっているようでした。中心としてまとめられている方にお会いしたくなり、活動場所のクラブハウスに行って見ましたが、今日はお休みのようでした。いつか、お会いする機会があるでしょう。
大槌の刺し子プロジェクト
さをり織りの三陸さをりプロジェクト
田老の婆っぱの手
そして織り織りのうた
被災地の仕事支援プロジェクトで繋がってゆく日がくるでしょう…。

グリーンピアを入ってすぐの駐車場に『商店街』ができていました。
小本地区に9月に完成した『みらい商店街』と同じように、かつて店を経営していた者らが奮起しての立ち上がり、思い募らせてのOPENだったでしょう。消費する側にしても、「便利になるなあ」と、皆が願って、こうして形となったのでしょう。のぼりの旗のパタパタといった音が短調に響き、いつでもそうしているよ、と微笑んでいるようでした。

小本地区と違って(比較してはいけませんが…)
プレハブは2階建て!
外からだけではなくて、
中も通路でつながっていて、雪など寒い寒い日はデパートのように、店から店へ移動できるのですね!
公文がある!!!
美容院がある!!!
山崎パン 箱石 OPENとあります。
あれだけたくさんの仮設住宅です。
被災前にいろいろなお仕事をされている方がいらしたのでしょうね。
商売を行なっていた方も集まれば大変強い、頑張りの力になりますね。
田老は元気!
小本地区もがんばれ〜!
…小本は100名。少ない人数ではないですが、ことを成していく大きな力への集合としては少し不足のようです。年齢も高齢者が多いのです。
う〜ん。どうにか元気にしてあげないとっ
さ、小本へ向かいます!
いつもなら午後には到着しています。
今月は、久しぶりに被災地を廻っていますので、3時頃になってしまうかなあ。。。
田老のここで、今ちょうど昼過ぎ。
昼を食べさせていただくことで支援しよう!と、商店街をウロウロする我々。
すると・・・
ちょうどこの日、名古屋から、キューピー3分クッキングの宮本和秀先生(1980年から講師をされているようです)が炊き出しにいらしていました。「どうぞ食べて行ってください」ということで。ごちそうになりました。
宮本先生と握手もしました?!


ありがたい。
そしてみんな、歩いているんだと確信しました。
きれいな紅葉が飛び込んできました。
昼食をごちそうになり…
『本当にごちそうさまでした。そして、皆様のあたたかな活動に合掌です。』
田野畑のハックの家へ。
こちらは障害者施設。
織り織りプロジェクトに協力賛同してくださった織手として、力つよく支えとなるだろう場です。
しかし、代表の方が、なにせご多忙で、現実にはまだ仕事に携わることができていないのです。お話を・・・と伺いましたが。残念。留守でした。
そしてまっすぐ小本へ。
14時40分 小本到着。小本役場へご挨拶をし、ちらしを配ります。
100世帯に1件1件、顔を見せていた抱き合いながらの配布。
16時 小本出発
16時30分 岩泉役場で挨拶。すっかり遅くなりました。これから岩泉団地にも、明日のお知らせも含めたチラシを配ります。すっかりあたりは暗くなってきました。
17時 お知らせのちらし配布終了です。
糸ばた工房へ。東京から、たくさんの荷物が届いていました。みなさんからの物資です。物資やら、おりの材料やらで工房はダンボールだらけです。タイコさん(工房をきりもりされている方です)は腰が悪いので、私達が活動に伺った際に、一揆に掃除です!!
17時半 あっけら館着。
「はいっ、ほいっ、それっ・・・」と、なかなかいいコンビネーションの二人。
ヨーガのおかげとは言え、なかなか怪獣!?な二人です。
たまげた体力です。
一息といきたいところですが、智子は小本団地へ夜ヨーガに出発。小林真樹子さんはたくさんの物資を仕分け、明日の物資配給の準備です。
明日の朝は、岩泉団地の方があっけら館に来るという初めての企画。徒歩10分です。早朝に朝ヨーガ、インドの朝食。そして物資の配給です。
(vol.2の続き)宮古から鍬ヶ崎に向かいました。
見学、視察をして、現実をこの目におさめるのも、立派な支援と考えています。
報道ではなくて、
自分の目でみて
肌で感じて
空気に触れて
そこにいる人を感じること
そこに変化している命をかんじることです。
それは、どんなに見聞きしたり、調べても、比べる対象から程遠い違いです。
ヨーガと同じ
実体験することが、その時代を生きているということです。
1000年に一度というこの時代に生まれた私達は、すべきことがあります。
この2011年にいきていたということを感じないで、なにができましょうか?!
世界中の人々が、この時代をちゃんと生きるべきです。
正直な気持ちを思わず熱く書いてしまいました。
震災から8ヶ月たった?
私たちは装思っています。
ここでは違います。
今、止まっていた時間がありありと現実のものとなって動き出したばかり。


車から降りて、向こうに見える橋の下まで行き、ぐるっと町を一回り歩くことにしました。


ここは大変なところでした。
高台の両脇、写真上の橋の両脇が海です。両側から津波が襲ってきたのです。
高台に逃げた者も、もうどうすることもできませんでした。みんなながされました。ひとり、墓石に捕まった人が助かったとききますが、墓石に同じようにつかまっても、墓石もろとも流された方もいました。

と…(vol.1のつづきです)
山越えをしたとたんに
紅葉〜♪
あたたかい〜
っといっても寒いのですがっ(笑)
数分前のと比べるとそれでもだんぜん暖かいのでっす


車中、行程について確認です。
《本日の予定》を話します。たくさんすべきことがあります。どういった順番で時間をやりくりしようかと、念入りにミーティング。
11時頃 宮古到着
12時過ぎまで 視察 →鍬ケ崎→各地視察→田老アイトピア
14時 田野畑「はっくの家」訪問
15時 小本団地内ちらしポスティング
*「ヨーガの集い」+「インド朝食会」
*編み手さん募集!の説明会開催案内
*物資配給の期日・時間のお知らせ
一軒一軒こえかけをしながら配布
16時頃 岩泉団地内ちらしポスティング
16時30分岩泉役場 挨拶
岩泉支部糸ばた工房へ 物資回収
*【織り織りのうた】材料意外のたくさんの物資が工房に届いているので、それを引き取り、翌日物資配給の準備。
17時 あっけら館 到着
糸ばた工房に戻り、今月の様子を聞く
18時 智子 夜ヨーガへ(小本)
真紀子 物資仕分け
21時 「インド朝食会」の下準備
23時 風呂
瞑想
24時 就寝
今日は、挨拶と準備の日になるね。
結構一日がマンパンだあ〜
無事宮古到着。
まだ
歪んだ道。
津波の跡形ものこしつつも
港には漁船?でているようだ
網を持った男の人が見える。働いている。
波が、海の波はかわることなく
ざざーんって
ざざーん
ざざーん
時間が経過したのですね。








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さ、先を急がなくては!と。「今」を深く見て焼付け胸にしまいました。
宮古の街へ入ります。
宮古は人口の多い街ですから、海側の被災者は、点々と街中の仮設住宅へ入りました。
一棟5件程の長屋。それが平均2〜3棟ほどでしょうか?
20世帯強でまとまっているようです。
買い物など、生活エリアは街中になったのですね。
港での生活から街の生活へ。
漁や、加工業、漁港で働き、海の恵を活かして生活の稼得としていた人々は、今度は買う側になったわけです。

第9回目のこの活動のパートナーとなります小林真希子さんも同時に到着?
「智子さん?」と爽やかな声に振り返りました。
まだ暗い駅には、私たちだけでした…。
二人の者が動く支援活動がはじまりますね。
二人ですが、
早野は…日頃からトリャンバカムの会員さま他、多くの方々の温かいお心や応援を身に纏っています。
小林真希子さんは…既に3度目のご一緒。奇数月は参加させてください!のと、前々から予定くださっていました。活動にいらしている時意外でも、日頃から精力的に支援活動と呼びかけを、ネットを使い発信されています。定期的なネット配信により、多くの方が見てくださるようになった、反応をいただく、とのこと。そうした地道な発信からつながってきた方々との声も、真紀子さんは心にしかりと携えやってきてくださいました。
盛岡に立つ二人に響くみなさんの声を支えに、心でその声を聞きながら、行為する時間を過ごしていきましょうね…そんな決意をした、朝でした。
※二人での活動。毎月ですと、夫正寿さんが記録を担当してきましたが、今月は全て真紀子さんが撮影してくださいました。
撮影した写真をいただき、このブログにアップさせていただいています。
それにしても…と思ったこと。
① 夜行バスを降りる人がいなかった。
…これまでは、必ずリュックを背負ったボランティア活動をするような方がいたのに。
もう、ボランティア活動も閉鎖したのかな?
② 夜行バスの乗客は8人だった。
いつも満員御礼のバスに乗ってきた7回くらいでしょうか?
今回はなんと!横列全部を与えられましたっ。
初めての経験です。
4シート与えられて「これはのびのびできるぞお〜」と少しばかり喜んでしまった楽チン大好きなココロ。
が、さすがに中央通路を挟んで橋渡しで身体を横たえることは…できませんでした(笑)。
料金もやすかったんです。通常片道4500円から6000円の間ですが、今回は3500円!どうして???少ないとやすいのかな?逆のようですが。
来月は帰省客やクリスマスに伴うまたボランティア団体があるかもしれませんから、もっとも寂しい11月なのかもしれませんね。
③ さむい
小雪が舞っています!
さむい!
しかし、空気がキレイ。
トーンと澄んだ香り、独特の東北の香りです。風が冷たく強い朝です。
朝食中…
吹雪いてきました。「きれいですね」と会話すワタシ。下向より吹き上げてくる雪模様を褒めつつ…このキレイな景色を壊さないためにも、皆様との大切なヨーガの時間を代行にさせていただいているというためにも、事故が起きるなどの汚れなんてあってはならない、と思う私と。
緊張する往復の道のりです。
午前8時。顔なじみの車屋(レンタカー屋)のお兄さん。
「それではお気をつけて!」
「はい、いろいろとご丁寧に、ありがとうございます」とお辞儀などをして〈ご出発〉のやりとりをするワタシ。と、目を見開き、姿勢を正して「はい、本当に気をつけますので、車屋さんもここから出発する車に事故や恐怖がないことを祈っていてくださいっ!」と思う私と。
緊張する出発です。次ここに帰ってくる2日後の姿を瞑想しました。
先月のアドヴァイス。
「来月11月にいらっしゃる時は、小本街道は危険です。宮古まわりで是非いらしてください。」
その言葉を選択しました。
が、
それでも山越えまでは吹雪!「今日中にたどり着くであろうか?!」と思う。
雪だけならともかく(そうでもないが)風が強い。運転していて煽られるのがわかるといいます。・・・そう頼もしい真紀子さんの運転です。
「智子さん運転するの?」とはっきりと。そして「それは危険過ぎる」と現してくれる真希子さんに合掌。アウトドア派であり、あらゆる経験をお積みのような真希子さんにここ〈運転という適任の役割〉はお預けすることが平和。
ユキヤコンコン コンコン コンコン
あ〜すごい吹雪だあ〜


















































