なんて気持ちの良い秋晴れの日なのでしょう
今日は、狛江の市民祭りでした^^。
トリャンバカム・ヨーガ・センターのキッズダンスの子供達は元気よく発表をしてきましたよ~。
応援に駆け付けてくれた石川奈穂美先生とも出演前に記念写真^^
いよいよ本番。たくさんのお客さんの前でしたが、マイクの前で一人ひとりしっかりとコメントできました。
「みんな楽しんで見てください~~」
「お客さんを一人でも楽しんでもらえるよう頑張ります!!」
「元気よく、楽しく、笑顔でおどります」ポーズもつけて^^
「私達も楽しく踊るので皆さんも盛り上がりましょう」
大きな声で元気よく伝えることができました!!
1作品目は
Every body dance now!!
見に来たお客さんにたくさんの声援をいただきました。
2作品目は
~風を感じて~ 日差しを浴びて風を感じています^^
舞台をおえてホッとしたみんなの笑顔です。ステージ裏にて~
~舞台を終えて子供たちの声~
「ちょっと緊張して笑顔が少なかったけど間違えずに踊れたのでよかったです!!」
「楽しく踊れたのでよかったです」「笑顔で踊ることができました。楽しかったです。」
皆、それぞれの目標を達成し、笑顔で終えることができました。

聖典『バガバット・ギーター』の紹介と講座のご案内
『バガヴァット・ギーター』はヨーガを学ぶ者にとって欠かすことのできない教典でしょう。インドを代表する一冊の書物をあげるとするならば、この『バガヴァット・ギーター』であるといわれています。ソウナンデスネ!
『バガヴァット・ギーター』のバガヴァットとは「神」「尊者」「神聖」。ギーターとは「聖歌」「うた」という意味ですが、実際には神(=ここではクリシュナ神)によって説かれたヨーガの教えのことです。
『バガヴァット・ギーター』は古代インドの2大叙事詩のひとつ(聖なる教えが語り継がれてきた物語のことです。)である「マハーバーラタ」第6巻中の一部で1章から18章までの700節からなりカルマ・ヨーガ(奉仕の道)・バクティ・ヨーガ(神への献身の道)・ジニャーナ・ヨーガ(知識の道)を説いている教典です。『バガヴァット・ギーター』のヨーガは現実社会の中にありながら最高の境地に達することを説く在家のヨーガです。
しかも、あらゆる階級の人々を、男女や職業の区別なしに、すべての人を解脱に導くと説いているところに今日、多くのインド人に親しまれている理由があるようです。
インド北方の聖地クル・クシェートラの地において、カウラヴァの100王子の軍隊を前にいよいよ戦争が始まるという時に、対パーンタヴァの5王子の三男アルジュナは、世話になった親族や友人たち(カウラヴァの百王子の軍隊)を前にして同族身内と争う事に意気消沈してしまいます。そのときに、戦車の御者に変身してこの戦争に参加していたクリシュナ神はアルジュナに激励し、カルマ・ヨーガ(奉仕の道)・バクティ・ヨーガ(神への献身の道)・ジニャーナ・ヨーガ(知識の道)を次々と説き、不安を解消させます。
(以上インドの叡智より抜粋)
しかし、ただ読むだけでは本当の意味を理解できないのがインドの教典の特徴です。いろいろな説はありますが、インドのスワミ(ヴィシュワルーパナンダジ)は100の悪い心を5つの良い心でやっつけていく話だとおっしゃっていました。(anna)
ただ読むだけでは理解できない深い深い意味が隠されています。
やはり本当の理解は師から弟子へと伝えていくもの…
「ウパニシャッド」(近くに座る)ですね。
【バガヴァッド・ギーターに学ぶー入門編ー】(全12回)
日程:月2回(基本は第2・4週目月曜日)
11月14・28日
12月12・26日
1月16・23日※16日は3週目実施
2月13・27日
3月12・26日
場所:喜多見地区会館(小田急線喜多見駅より徒歩3分 東京都世田谷区喜多見8-23-23)
受講ご希望の方は、メールまたはHPよりお申し込みください。
第1回目は。。。。
ギーター1回目と2回目は、どうしてバガヴァッド(世尊=クリシュナ)が教えを説くことになったのか、その経緯(いきさつ)の講義でしうた。
3回めである14日から具体的説法へと入ります。
1回ずつの参加でも興味深く受講できることでしょう。この入門講座が、皆様のヨーガへの深まりとなってつうじていけば本望です。
スケジュールにゆとりのある方は是非いらしてください。
成瀬先生の講習の中でさらりと勉強した程度なので、とても楽しみな講座で
す。(satomi)
愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
前回10月24日は、マレーシアでの医師シヴァーナンダさんの青年時代を紹介しました。今日11月8日(毎月8日、24日)は、出家への道までを『シヴァーナンダ・ヨーガ』よりお伝えしたいと思います。
(毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。)
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前回のつづきです。
(10/24のブログです)
3 出家――絶対的な安らぎを求めて
出家
若い医師クップスワミの中に宗教的な資質や傾向が少しずつ芽生え始め、*サンニャーシンや*サドゥーの仲間を求め、宗教や哲学の本を頻繁に読むようになるようになりました。本箱はこれらの本であふれ、夜遅く起き出して読み耽ることもしばしばでした。
サンニャーシンや*ヨーギーが近くを通ると、たくさんのお布施を持たせました。時には数日間滞在させ、彼らが汽車で次の目的地に向かうときには、ファースト・クラスの切符を渡していました。
あふれるほどの豊かな思いやり、心からの慈しみ、貧しい人たちへの奉仕は、若い医師クップスワミの精神性を高め、精神生活の支えになりました。
しかし、クップスワミはこの頃から、この世が不幸と災いに満ちていることにとても悩むようになりました。どうすればこの世に平和と安らぎが訪れるかということを真剣に考えていたのです。周りの人たちは、いつも元気なクップスワミがまったく元気を失い、何か考えこんでいる姿を眼にして心配になりました。
後に、この頃のことを次のように語っています。
「この人生の中で、毎日の事務的な仕事よりも、もっと高い使命はないのだろうか一時的な悦びや快楽よりも、もっと高度な、そして永遠の幸福はないのだろうか。なんて人生は不確かなものなのだろう。この世に存在しているものは、なんと脆いのだろう。この世は病気、心配事、不安、恐怖、失望などに満ちあふれている。名前や形あるものは絶えず変化している。時はとても早く過ぎてゆく。この世の幸福への期待は、苦痛と悲しみと絶望に終わってゆく」
実際、医師であるクップスワミの周りは、どこに行っても、肉体的にも精神的にも苦しみ悩んでいる人たちばかりでした。彼の心は、貧しさや病気で苦しんでいる人たちのために血を流し、その悲しみがクップスワミの心を引き裂きました。
このような人生における重大な時期に、彼は病気で苦しんでいるサードゥを診察するということがありました。サードゥは、クップスワミの献身的な看病を喜び、彼の中に何か高貴な霊的輝きを見、やがて世界的な指導者になるであろうことを予言します。サードゥは、彼に何冊かの本を読むように言い、彼を祝福しました。その中の1冊はヴェーダーンタ哲学の本でした。クップスワミも、神がこのような機会を下さったに深く感謝しました。貧しく、病気で苦しんでいる聖者への無私の看病が、クップスワミを最新的な道に導きいれたのです。
無私の行為を通して心が純粋になるにつれ、クップスワミは新しいヴィジョンを得るようになりました。清純な優しさと神聖な輝きに満ちた「家」があるというヴィジョンです。そこには絶対的な安らぎや、永遠の幸福感が満ちています。このような家は、自己実現を通してしか得られないということを実感したのです。
クップスワミはある聖典の言葉を思い浮かべました。それは「平静さを得た日が、この世を離れる最善の日である」という言葉です。
そして、ついに病院を去る決心をします。
決心した次の日はマレーシアを発ち、母国インドに向かい、まっすぐ生まれ故郷に戻りました。久しぶりに息子の顔を見た両親は大喜びです
クップスワミはしかし、皆があわただしく歓迎の準備をしている間にどこかにいなくなってしまいます。家族の者たちは古い友人に会いに行ったのだろうと思い、夕飯までには帰ってくるものと思っていましたが、何時になっても戻ってきません。
心配した家族が手分けをして近所中を探し回りましたがどこにもいません。見つからないのも当然です。皆が捜し回っているとき、クップスワミは駅で、北へ向かう汽車を待っていたのですから。そうとは知らない家族の人たちは何日も何週間も待ちました。しかし、クップスワミは二度と家には戻りませんでした。
1923年(36歳)、クップスワミは無一物で、神の導きだけを頼りに遊行の旅(パリブラージャカ)に出たのです。
南インドの生まれ故郷を去って数日後、クップスワミはマドラスから汽車でベナレスに向かいました。ベナレスは大勢の人たちであふれていました。彼は北インドの言葉であるヒンディー語や北インドの風習がわかりませんでした。たとえば、チャーイ(インド紅茶)を素焼きのカップで飲むということも初めての経験でした。何も知らないクップスワミがカップを洗って返そうとすると、店の店主は嫌な顔をして怒鳴りました。「一度使ったカップは捨ててくれ!」と。迷った彼は主人の言うとおりにして、その場を立ち去りながら考えました。こういう経験は、ここで生きてゆくためには払わなければならない「税金」のようなものだと。
ベナレスでは、有名なヴィシュヴァナート寺院(シヴァ派の寺院で、黄金寺院とも呼ばれる)に詣で、神に祈りを捧げていると感動でいっぱいになり、熱い涙が頬を伝わってきました。後にその時のことを次のように語っています。
「ヴィシュヴァナート神はわたしに新しい光を与えてくださりました。過ぎ去った人生のいろいろな思い出は消え去りました。そしてヴィシュヴァナート神自身が私のグルだと感じました。」
クップスワミは修行のため人里離れた場所を求めていたのですが、ベナレスは聖地とはいえ、喧噪の絶えない近代的な都会でした。そのうえ冬だったので、南インドのクップスワミにとっては、ベナレスの寒さは死ぬほど辛いものでした。
そんな様子を見ていた親切なサマリア人が彼に毛布を与えてくれました。この毛布はクップスワミが受けた最初のお布施となりました。そのサマリア人はクップスワミから事情を聴くと、パンダルプルというところ教えてくれて、切符までくれました。
パンダルプルではサンニャーシンのように托鉢をして家々を回りましたが、初めから上手にできたわけではありません。クップスワミはそれまで人にものを与えることはあっても、人にものを乞うという経験は一度もありませんでした。村に入り、静かに人に近づいてみその耳元で囁くのです。
「わたしはマドラスのバラモンですが、お腹が空いています。何か食べ物をいただけないでしょうか?」
大きな男にいきなり耳元で囁かれて驚いた人も、クップスワミの高貴な顔つきを見て何かしら与えてくれました。
このように托鉢も大変でしたが、雨に濡れて冷たくなった身体を、藁のなかで乾かしながら1夜を明かすことも、並大抵のことではなかったでしょう。
坊主頭に裸足、粗末な衣服を身につけた見習い僧は遊行を続け、ときには何マイルっも食事施しを受けられないまま歩かなくてはならないこともありました。あまりの空腹のために、野生のイチジクや、黄から落ちたアマカラの実を食べることもありました。しかし、このような遊行生活は、忍耐や平等観を学ぶとてもよい機会でした。
*サンニャーシン:放棄した人。修行者。隠遁者。仕事・地位・財産・家族など世俗的なことをすてて精神世界に生きる人。
*サドゥー:修行者、遊行者
*ヨーギー:ヨーガ行者
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『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、深めているSatomi です。
記事として書き落とすことで更なる学びを得ています。
今回は、シヴァーナンダさんがいよいよ出家の道へと歩み始めたところまでを書き写してみました。皆さんはこの状況を理解できますか?初めて読んだ時に、少々抵抗があったことを思い出します。家族や仕事すべてを捨てて出家の道を生きることなどは、到底日本の生活では無縁だからです。ですが…子供が成人し、自分自身も仕事を終え隠居生活をするようになった頃、もしかしたら…?そうしたいと考える日がやってくるのかな、と想像することもできるようになりました。
ハタ・ヨーガの現れる以前。出家した限られた者だけしか精神世界の道を歩むことはできませんでした。ブッタの出現後、その枠は取り払われてゆきます。在家でも、出家をせずとも、俗世の社会生活の中にいながら、精神の行を歩めるようになります。現に今われわれもこうしてヨーガ行を気軽に学んでいます。出家する、しないという問題よりも、どこにいても同じであるということを、出家前のシヴァーナンダさんの伝記に学びます。いつも慈悲の心で人と接し、無私の奉仕の行為を続けること自体ヨーガの行為そのものです。
一緒にこのページを担当し、学んでいる指導員の長又です。
クップスワミ(後のシヴァーナンダさん)の中に宗教的な傾向が芽生え始め、それまでの無私の行為がクップスワミの心を一層純粋にし、意(こころ)はこの世の永遠の幸福を求めていくことになるわけですね。無私の行為が心を純粋にしていく…。そうですよね~、いつも純粋でありたいと願っていても、実際に純粋にならない、落ち着かない心をコントロールする事は到底難しいですね。。。この本に書かれている内容を読むことは、日常の私達の心の在り方の状態や純粋になる経過の道を自然に与えてくれ、導いてくれるように思います。また、直感と神の導きだけを頼りに旅に出、そこで今まで味わった事のない辛い経験や出来事であっても肯定的に受け入れる姿勢はいつでも心に留めて置きたい姿です。この考えがあれば、災いが降りかかってきたとしてもそれを『私だけが・・不幸』という思いを心に抱かなくてすむようになるのですね。色々な教えが詰まったこの本を読んでいくことは自分の心と向き合うこができるヨーガと同じです。
私たちY.L.S.グループの顧問であられる成瀬貴良先生が来校してくださる月1回のサンガ。
成瀬貴良先生のことをよく知らないという方もいらっしゃるでしょう。
ヨーガによる恩恵を難しくなく、やさしいことばでわかりやすく簡単に説いてくださる先生です。
11月は、今週12日です。
移り変わる季節は秋から寒い冬へ。
自然の育む力に礼拝です。
誕生・維持・破壊・再生の清らかさを
愛おしく感じます。
サット・サンガはそんな尊い命の力に気付ける場。
善き集いは、善きを育みます。
成瀬先生の38年間のヨーガ人生の知識は、今、あふれるように日本のヨーガ界を揺るがしています。ポーズやアーサナだけのヨーガから、哲学を通してヨーガを知りたい方が増えています。したがって2012年は様々なヨーガ団体からの声がかかり、また、執筆活動もありまして狛江でのサンガを毎月実施することは不可能になりました×××。
こうして継続的に狛江でレッスンくださるのも、のこり2回です。2012年、時々は来てくださるかもしれませんが〜。
互いにとって貴重な「時」=「場」が培われましたね。
どうぞ、みなさま、のこり11月12月の2回です是非一度ご受講くださいませ。
この日はチャリティーレッスンです。
わたしたちひとりひとりをつないでいるもの、
それは、まぎれもなくヨーガであります。
プログラムは下記の通り
9:00−10:00 プラーナーヤーマ〜瞑想へ(早野)
10:10−10:30 講話「カルマについて」
※スヴァーミー・サティヤナンダ氏の講話録より(成瀬)
10:30−12:00 朝ヨーガ(成瀬)
12時からお食事を一緒にしたい方、どうぞ〜
来月が先生をお呼びすることのできる最後のサンガです。
12月17日(土)






















