トリャンバカム・ヨーガ・センターについて ヨーガ クラススケジュール 料金について よくあるご質問と体験者の声 アクセス/コンタクト 講師プロフィール
news/blog
お知らせ
YOGA生活
支援活動
レッスン前の話
クラスの様子

news


SERVE LOVE GIVE 「いま」という時の中で私たちは共にある

2011.04.01

Category { お知らせ }
Comments  { 0 }

皆様へ。
皆様のご親戚にも、お友達にも、この災害でご不便な生活に一転された方がおられることでしょう。その方々の日々を痛切に感じます。
何かして差し上げたいという気持ちばかりがこみ上げるものの、いま何が必要で、或いは多くの国民が援助している物資はどうなっているのか?情報はいろいろで、どこへ、どのように送ったらいいのかと。また、送ったものは確実に被災者にすぐに届いているのかと途方にくれます。
そのあたりが同感でしたので、この2日間、岩手県の三陸海岸線を、親族の安否を確認しつつ、物資をどこへどのように送ったらいいのか実際のところを聞いてまいりました。
皆様ご自身も、東京で生活用品食料品不足からご不便をしておられると思いますので、お金を使いお買いにならずともお手持ちの中で、被災者の方の役に立つだろうと思うものがもしあれば下記宛先へお送りくださるか、教室へお持ちください。
また【岩泉町で不足している物資】(4/1現在 岩泉町役場からの情報)を載せました。また避難所で必要なものは今後変わってきますので、その要望を随時お知らせいたします。

今回、三陸海岸を見廻り、物資の陰日向を感じてまいりました。特に岩泉町小本は小さな漁港です。地図でみますと、これより少し南に壊滅の田老港が、さらに宮古、釜石、陸前高田と続きます。小本港は昔は大きな船も泊まる港でしたが、今は衰退し、マスメディアでは殆ど取り上げられていませんが、集落は壊滅状態です。復興への迅速な支援が待たれます。

【救援物資の送り先】
ボランティアグループ「SAVE IWATE」〒020-0827 岩手県盛岡市鉈屋町9-36  TEL080-6006-9201
岩手の被災者の方々を直接応援する活動を中心に、小規模ではあっても民間ならではの柔軟でスピーディーなボランティア活動に取り組み、「結い」や「共同」という理念のもと、集められた物資を被災地の要望に合わせてFACE TO FACEで送っている。
岩泉町役場:027-0501岩手県下閉伊郡岩泉町59−5 TEL0194-22-2111
一般の救援物資の窓口になります。県から配給されるものをさらに福祉課のみなさんが被災者へ分配できるように仕分けをされている 関係で時間がかかるのと、数が少量ですと公平にならないので後回しになる可能性があるそうです。数量がまとまっているのならばこちらへ送り、そうで無いときは下記がよいです。
トリャンバカム・ヨーガ・センター事務局:168−0073東京都杉並区下高井戸1−25−18 TEL03-6304-6372
こちらでサイズ・数・ものの種類などを仕分けし、まとめてお送りしますので、こちらへどうぞ。
トリャンバカム・ヨーガ・センター教室に直接ご持参ください。
救援物資箱を用意しますので、箱の中へそのまま入れてください。

*送り先を上記4箇所に変更、集約いたしました。(4/1 21:45)

【岩泉町で不足している物資】(4/1現在 岩泉町役場からの情報)
◯防寒着(まだ寒いのです。雪があります。ジャンパーやカーディガン。動き易いスポーツウエアの温かいもの上下)
◯肌着(温かな肌着。高齢者が多いので、綿のやわらか素材がいいです。ズボン下や女性のレギンス大歓迎!)・靴下。
◯ゴム手袋(ヘドロだらけの家中のものを洗います。手が真赤です。現場はお湯もガスもまだありません。)
◯日持ちのするパン(ロールパンなどの袋に入ったもの)やスープ(お湯を注ぐタイプ)
◯スニーカー(男性なら26〜27センチ、女性は22〜24センチ)・長靴
◯毛布・寝着・バスタオル

【荷物のまとめ方】
衣類ならば同じ品名ごとに袋に入れて、梱包外側に「品名」「男性用または女性用」「サイズ」を記入くださると早く被災者へ届きます。*ご面倒でしたら、トリャンバカムの教室の救援物資箱に入れてください。こちらで分別いたします。
【送り方】
クロネコヤマト宅配便は、岩手、宮城、福島の3県宛のお荷物は現在コンビニエンスストアでの受付けはできませんので、直接お近くのヤマト運輸各営業所へのお荷物のお持込みをお願いいたします。
*面倒であればトリャンバカム事務局にお送りください。(こちらで分別してまとめます。)

旧小本街道筋、実家のあった道。手前左角でした。古く懐かしい家並みは津波に跡形なく流されてしまいました。

旧小本街道筋、実家のあった道。手前左角でした。古く懐かしい家並みは津波に跡形なく流されてしまいました。

たくさんの懐かしい家並みが茫漠たる荒地へ。

たくさんの懐かしい家並みが茫漠たる荒地へ。

ちょうど、右手は早野親戚宅です。お父さんはじっと観てました。

ちょうど、右手は早野親戚宅です。お父さんはじっと観てました。

R0015290

叔母さんは、過去の思い出が募っている様子です。今はただお話を聞きました。この後ゆっくりと深呼吸し、お茶をさし上げると、言葉を止め『美味しい』と笑ってくれました。

叔母さんは、過去の思い出が募っている様子です。今はただお話を聞きました。この後ゆっくりと深呼吸し、お茶をさし上げると、言葉を止め『美味しい』と笑ってくれました。

昭和8年『三陸大津波』の慰霊塔。流されずに立っていました。お父さんに、明治の三陸津波、昭和8年の三陸津波、昭和20年の空襲大火災の話を聞きました。

昭和8年『三陸大津波』の記念碑。流されずに立っていました。お父さんに、明治の三陸津波、昭和8年の三陸津波、昭和20年の空襲大火災の話を聞きました。

田老町。すべて、儚く、人々の時が塵となりました。無一文の東北です。

田老町。すべて、儚く、人々の時が塵となりました。無一文の東北です。

浄土ヶ浜は静けさを戻し、美しく、穏やかな母です。

浄土ヶ浜はその名のごとく静けさを戻し、穏やかな母です。

前のページへ戻る

コメントをどうぞ