一年が経過しました。
この一年の経過は、全てを物語っていました。とてもわかりやすい象徴となりました。
あらゆる物事の流れ
物事の流れは、人の行為によって起こるので、ある意味人の心の流れを見ているようでした。
また、現代は、人の流れは経済によって動くので、結局日本社会というものを見せつけられているようでした。
3月の活動報告の詳細は『三陸のともしび』をご覧下さい。
日々、YOGAを実践している私達です。
なぜ、YOGAをしているのでしょうか?
気持ちがいいから〜
すっきりするから〜
やさしくなれるから〜
力がわいてくるから〜
YOGAの行く先は、それらの結果、一切の自分を無くしていくことです。
無くなるのではなく、共存し、平等であるので、結果的にゼロ…無い状態のように・・・。
100%ヨギーの行為は自分のためということはありません。
100%自己以外の他者へと捧げています。
先日、解りやすい例えを、スヴァーミージーより聴きました。
日々のわたしたちの思考は通常
60%が仕事のこと
30%が家族のこと
10%が親戚やご先祖さまのこと
5%が友人や仲間のこと
4%が自分の欲しいこと
1%だけカミサマのこと
記憶なので、少々愛妹ですから後日正確に数字は確かめようと思いますが、お伝えしたいことは、とにかく思考のほとんどを、仕事や家族と自分自身とのことで、ほとんどのエネルギーを使っているということです。
ヨギーは、YOGAの時間自体を捧げものとして行事続けると、上記が変化してきます。
60%の仕事のことは、自分自身の名誉や責任、プライドではなくて、捧げものとなり、仕事を通して、社会へ働きかけるカミサマをみています。
30%の家族のことも、自分自身の家族を見るように、全ての人々の家族のカミサマを思い、利己的でなくなります。
・・というよに、全部ぜ〜んぶ100%です、100%が自分のものではありません。
本当にそうなるな〜と、思うのです。。。
その実践の一歩として、
みなさんも具体的に実践しましょっ。
もう既に実践されている方もいらっしゃるでしょうが。。。
一日、ひとつでいい。
ひとつ、『善いこと』をしましょう。
その基準は、世間的に善いと思わること、とか、立派なことと考えると大変です。
それは関係ありません。
あなた自身が善いとおもうこと、
これによって、誰かがほほえむな〜とおもうことです。あ、イタズラは違います。
です。
いかがでしょうか?
トリャンバカムの会員より『善き』を発信しましょう。
Om..
いつも穏やかに、怒らずに、いらいらせずにいられたら…
そうしてられたら…いいですか?
いいですよね、そうなれたら。
でも、そうはいかぬもの。いつも忙しく、イライラ、焦る、もっと、どうして?!の連続になります。
どうしたらいいものでしょうか?
その的確な応えとなってみなさんの印象へ響くかどうかはわかりませんが、こんなのはいかがでしょうか?
はあ、つかれた! は→疲れがおしよせてくるぞ
早くう〜、急がないとおくれちゃう は→時間がおっかけてきた!距離は縮まないね〜、行き先は不動だよ。
これ、おいしいわね!お土産にかっていきましょうか?(また食べにきましょうよ) は→美味しさにつつまれましたあ。印象深く残るなあ。
仕事がいっぱいだあ→いっぱいという気持ちがいっぱいだあ
爽やかできもちのいい朝ですね→爽やかさと心地よさがひろがっていますね
?!
よくわからなかったでしょうか。
コツはこうです。
発想や発言の際、主人公にならないというか、自分や自分の行動に当てはめず、他力というか、自分以外を擬人化するとでもいいましょうか。
再度例を
何時にまちあわせする? は→何時が引きあわせてくれるんでしょうね。
この階段キツイ!エレベータはないのっ。 は→階段さんがエラく壮大に聳えてみえます!エレベターさんに乗せてもらいましょうか
イライラしている時 は→私の中のイライラ君が絶好調!
最初のうちはどうしても意識して思ったり、つかったりするのですが、だんだん慣れてくると、自然にそうなると思います。なぜなら、とても楽になるからなんです。きっと無理なく周りの現象の方が主人公さんになって、・・・するとどうでしょう?
・・・自分も周りも穏やかになるみたいですよ〜
さ、
周りとご自身との関係をいつもみつめて、
そして平等に、やさしく、喧嘩なく・・・
レッスンに入りましょう
合掌
Om

熱い日中、木陰に入った時の心地良さのように・・・何でも受け入れてくれるヨーガが好きです。
先日(8/26)おすすめ図書として
「木を植えた男」を紹介しました。
このお話では、神ともいえる行為を成し遂げるというものですが、どんぐり…ナラや白樺、土地に合う樹の種を播くのです。
そう、種を播くのです。
「種を播く」というと、ヨーガはまさにこの「種」なのです。
誰もが持っている種の芽が出るか出ないか。。。
しかし、誰もが奥底に精神的気付きの種を持っているのです。
世界最古の宗教書、生きる導きの書であるバガヴァッド・ギーターの13章にも、ヨーガの【場】が認識者(精神源・霊魂)の種なのだというような内容がずっと書かれています。
そして、大好きな聖者シヴァーナンダさん、グルデーヴの比類ない素晴らしさはこの種に火種をつけてあげることだと、シヴァーナンダ・ヨーガという本に書かれています。聖者と呼ばれる者は、まさにその種から出た芽吹きは、勢いよく成長し大樹になったのでしょう。そして、多くの修行僧が向かうのです。大変です。
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(p.120)
ほとんどのリシや聖者は、さまざまな準備がすでにできていたり、自分自身である程度修行を積んでいるような、機の熟した求道者たちがやってくるのを待ちます。
しかし、スヴァーミー・シヴァーナンダは、いろいろな娯楽や誘惑がすぐそばにある現代社会において、識別智や平静さを伸ばしていこうと思っている人たちを求めるのは難しいと考えていました。「物事に失敗したり、失望して逃げ出したような人であっても、もう一度火種を見つけ、それを煽り立てることによって大きな炎にすることができるのです。」
(p.123)
毎年、ある季節になると、樹々は数えきれないくらいたくさんの実を付けますが、もし、それらのみの全ての種子から芽が出て、大きな樹に成長したとしたら、もはや土地には、他の種類の樹木が成長する余地はなくなってしまいます。しかし、現実にはそんなことにはなりません。樹々はたくさんの実をつけますが、それらの実の全ての種子から芽が出るというわけではありません。それは神ご自身がそのようにお決めになったからです。「でも、残りの実は肥料になるではありませんか」と言う人もいるかもしれません。全くその通りです。まさにそれがスヴァーミー・シヴァーナンダがなさったことなのです。グルデーヴ(シヴァーナンダさんの愛称)はたくさんの種子を播き続けましたが、そのうちほんの僅かな人だけが、自ら大きな樹木に成長することができたのです。しかし、他の人たちにとっても、将来の自分が成長sるための肥料となったにちがいありません。
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どんなことも種なのです。気づきに満ちた暮らしは全てが種となっているのですね…。




















