<ヨーガに行く>
1.行く日を
2.行く場所や行き方
3.行く時間を確認します
4.持ちもの準備や
5.着ていくものも一応準備します
6.家族や周囲へ、どこへいくか、いつ帰るかを知らせたりもします
☝️自分が行くとなると、行なうことがとてもたくさんありますね〜。
☝️それでも継続できるのはなぜなんだろう。…きっと自分も回りも困難ではない、
嫌や面倒とは思えない、むしろ「なんかいいじゃな〜い」なのではないでしょうか?
<ヨーガに行く>とは
・間を育むこと。
・間が育まれて来ると継続して<ヨーガに行ける><行かせていただける>のです。
・ヨーガは「自分でする/やる/行く」と思うのが常ですが、実は他者のもの。
他者(対象)がなくては成立しないから。
<間>とは
・自分と他者(対象)との<間>にある<間>が整えられたとき、両者幸福。
・両者幸福を想い、願い<気づき>合い、<観察>し合っている状態のとき、間が存在します。
☝️間を育みたいと確認し準備する作業がついて回るけれど、そうやってだんだん育まれるのかもしれません。
☝️回り回って戻って来て自分のものとなっているようですが、回り巡っている間の道のりにシャーンティが広がっているのですね〜。
ヨーガを導くもの(意志)と
ヨーガをするもの(肉体)との間にあるものがヨーガです。☺️
Om!
サハ ナーヴァヴァトゥ サハ ナウ ブナクトゥ〜 ♪
訳はこちら →
<ヨーガに行く>とはそういうことです。
→ ヨーガに行く② はこちら
→ ヨーガをする① はこちら
Tryambakam Yoga Center
ॐ
💠 遅刻・早退・欠席のとき
①遅刻
1.好みの坐法かスカ・アーサナで坐ります
2.目を軽く閉じます
3.姿勢のチェックをします
4.呼吸の観察をします
5.静かに目を開け、いましている授業内容に加わってください
☝️大丈夫です!どうぞ周りと違うことですがやってください。
周囲に関わらずそうしてください。
②早退
1.退出時間の10分前頃:していた授業内容を止めにします
2.好みの坐法かスカ・アーサナで坐ります
3.シャヴァ・アーサナをします(5分くらい)
4.好みの坐法かスカ・アーサナで坐ってサンカルパ
5.忘れ物のないよう見わたし、どうぞご退出ください
☝️1.では右やって時間だけどよし左までではなく、少し早目だけど切りの良いところでおしまいにしましょう。
☝️3.では眠らないようにしてください。いつもとおり意識を決めた箇所に結びましょう。
5分くらいなので、背中から上体、そして足先の方へ緊張がないか観察したら良いでしょう。
☝️ヨーガをされたことへの感謝と礼拝、皆さんのシャーンティとご自身のサンカルパをすると良いでしょう。
③ 欠席
基本的には継続が土台にあります。→「ヨーガをする②」はこちら
1.できるときにヨーガをしましょう
2.欠席だったか?と一日の終わりに振り返ってみてください
☝️いつもの時間になったらきっとヨーガのことを思うでしょう。そのときできる少しをされたら良いです。
☝️少しもできない状況なら、終わってからされたら良いでしょう。
☝️いろいろなヨーガがあります。 → 「ヨーガをする③」はこちら
以上。
遅刻、早退、欠席をする場合を悩んだ<あなた様>に合掌します。
そして、ヨーガはいつでもどこでもできるのです!
☝️→ 「わたしとあなた」はこちら
☝️→ プレム・ヨーギーの「いつでもヨーガ」はこちら
ヨーガ・ライフ・ソサエティ(Y.L.S.) 狛江校
Tryambakam Yoga Center
ॐ
母
大実母(マー)とカーリー女神を呼び、カーリーマーは自分の母であり宇宙の母であり、そのお姿を見せてくださいと渇望した1800年台の聖者ラーマクリシュナ。
今日はわたくしの母の誕生日。
わたしをこの世に生み落としてくれた母です。
そう…
「お誕生日おめでとう」という言葉もそう💏ですが、
母への感謝と、母が示して来た姿の背後にある父や友人、また母の母、、、すべての母…大地を思う夕刻でした。
大切に育ててもらったからこそ、その土壌に礼拝。
母は、いつでも味方になって応援の心を姿勢で示してくれます。その姿はおそろしいほどでした(笑)。
地球上はいつも姿勢を示してくれている先輩があり、ほんとうの母もいらっしゃる。
いまを生きる人には誰にでも平等に、すぐそこに先輩や大いなる母があることを感じて安心して欲しいです。
…涙が出るほどこの事実は素晴らしいと感じます。
誕生日という日は、誰もが「母」を思える日ではないでしょうか。
狛江のヨーガ教室トリャンバカムヨーガセンターの生徒の皆さんは、生徒と言っても皆さんわたくしより年上の方がほとんどです。
どうか健やかであってください。
健やかに、安らかな日常をお過ごしください。。。
hari om tat sat !
魂は肉体が滅びても生き続け、衣を脱ぎ着するように別の肉体に宿ると私たちは考えています。
魂は意志を通し貫くように成長していくと、こう考えもします。
だから、無意識ではなく意志があり意識、気づきの修習をどんな瞬間もしているヨーガのサーダナだ、ともいえます。
では死について恐怖も悲しみもないのかというとそうではありません。
肉体はいずれ、目に見えるすべての者が滅びていくようにいずれ無くなっていきますが
肉体、その形、姿あってこそ、共に喜んだり、讃えたり、悔しく思ったり、抱きしめたり、祈りを抱けるのです。
肉体がなくては、もう触れることもできません。意志を貫く行動をすることもできません。
あれこれ失敗したり成功することもできません。人生の享受は肉体あってのものです。その肉体を与えてもらえたことに感謝しています。
誕生した赤ちゃんの肉体はまだ初々しいので、魂のエネルギーの方が大きくて、エネルギーに満ち溢れています。
周囲の両親はじめ友や兄弟、仲間は幸せと希望、力強いエネルギーを赤ちゃんから与えられます。
会員さまとの死別がありました。
会員さまから孫の誕生の報告もいただきました。
今日は授業のおしまいに、そんな時に唱えるマントラを唱えましたね。
オーム トリャンバカン ヤジャーマヘー
スガァンディム プシュティヴァルダナン ウルヴアールカミヴァ
バンダナーンムリィティョールムクシーヤ マームリタート
毎日をありがとうございました…
そしてこんにちは!
🙏
そう、この三つ目の目(トリャンバカム)を開きなさい。
死別や病を悲哀することなく、真実の目で歩なさい!と言っているマントラです。
そして、ツル植物のように、この肉体で感じるいまを讃えながら、真実を見つめよと。
さあ、今日も限りある肉体や大脳を清く使いましょう!
Tryambakam Yoga Center
Tomoko..h..