―バガヴァッド・ギータ―
『バガヴァッド・ギータ』=神の詩を学びます。
5千年ほど前に、クリシュナという名でインドに生まれた人物は最高神の化身でした。そのクリシュナが語った智慧がこの聖典となって残されました。人類を導くために、主なる神(クルシュナ)が一個人としてこの地球に出現され、神自らがこの真理を語っています。私達に大きな恩恵を与えてくれる大切な神のことばが残されています。日々の生活に活きる。清らかに生きる術がここにあります。
毎月第一金曜日10時〜12時 2012年6月〜2013年3月まで
費用:¥20,000円(計10回)/一回¥2,000円
バガヴァッド・ギーターの会 講師 早野智子
―ハタ・ヨーガ―
生活+YOGA(生活の一部にヨーガを取り入れる)はYOGA=生活(ヨーガそのものが日々に)へ。意外にも基盤と思っていた生活は基盤も何もなく不安定であったことに気づくでしょう。安定した毎日は、心穏やかで、表情は明るく元気に輝きます。自分のもの(・・・・・)としてコントロールしようと力んでいた精神の緊張は解れます。身体そのものがもつ調和を求めて優しい日々へと変化することでしょう。健やかな心と身体は皆様の周囲をも健やかにします。みなさんの平和の発信【場】です。レッスンでは、聖者、慈愛と奉仕の僧スヴァーミ・シヴァ-ナンダの説かれるヨーガのこころを受け、伝統的なハタ・ヨーガをお伝えします。
毎月第一金曜日14〜16時 (初回6/1)
費用:2000/1回
場所:調布ふれあい
ハタ・ヨーガの会 講師 早野智子
※どちらも申込みはメールinfo@.jp 又は直接指導員まで

愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、「弟子の教育」の後半を紹介します。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
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前回のつづきです
弟子の教育
シヴァーナンダはしばしば、瞑想には、奇跡的な近道や魔法のように簡単にできる方法などはないと語っていました。また、だらだら行なったり、注意を欠いて行っていたのでは、うまくいきません。
ゴールは、細心の注意をはらい、興味をいだいて実践している人に自然に訪れるのです。
シアーナンダは大声を発したり、怒りをあらわにしたり、人に嫌な思いをさせるようなことは決してしませんでした。たとえ、厳しい言葉が必要なときでさえも、叱った後は、すぐにおもしろいジョークやキャンディが与えられました。
シヴァーナンダはときどき、精神的目覚めのために、愚かさを気づかせるために、ショックを与えることがありました。それは、弟子が正しい道を歩めるようにと、どんなことに対しても情熱的なシヴァーナンダがとられた苦渋の選択だったのです。しかし、一度でもこの試練を通った人はとても純粋になるのです。
かつて、アーシュラムにヘビー・スモーカーのスヴァーミーがいました。ある日、彼はタバコを切らしていたため、注意力が散漫になっていました。シヴァーナンダはそのことに気がつくと、近くにいた弟子にタバコを買いに行かせました。タバコを買って来ると、そのスヴァーミーがいない間に彼の枕の下に置いておくように指示しました。
たまたまそれを見ていた弟子たちは、いつもの教えとは異なり、シヴァーナンダがどうしてそのスヴァーミーにタバコを買ってあげたのかと不思議に思いました。
しかし後で、シヴァーナンダがどうして自分が欲していたタバコをわざわざ買ってくれたのか、そのわけを知ったとき、そのスヴァーミーは自分を恥じ、自らタバコを断ちました。
そのとき、そのスヴァーミーははっきりと、精神求道者にとって、自己をコントロールするということがいかに大切で必要なことであるかということを悟ったのです。
シヴァーナンダが弟子に対して取った方法は、時には甘く、時には苦く、時には怒り、時には強烈に、時には心配させるというものでした。しかし、シヴァーナンダはグル自身が実際に行いということがいちばん良い指導方法であると分かっていたのです。ディヴァイン・ライフ・ソサエティの記念すべき第一回の報告で、たいへんおもしろい弟子への指導方法が述べられています。
「俗世間を離れた七人の弟子がいました。彼らは1936年に完全な出家者として認められた弟子たちでした。彼らは、シヴァーミージー自身によって、あらゆるヨーガの行法で指導されました。このアーシュラムには、サンニャーシンやサードウ、病人や他人に奉仕することによって修行者みずからが純粋になれる環境が整っています。慈愛、宇宙的愛、忍耐、適応、アートマン、その他さまざまなことを学べるたいへんすばらしい場です。若い人たちは奉仕と瞑想を一緒に行うべきです。さまざまな修行がありますが、無私の奉仕を通して得られる実践的な知識が、求道者にとっては欠かすことができない財産になります。クダリニー・ヨーガを学んだり、クンダリニーを覚醒させようと思ってシヴァーナンダのところにやってきた求道者たちがいましたが、彼らが病気の人や年老いた人の世話をしなさいと言われたとき、唖然としてしましました。最初、彼らはそれを聞いたとき顔をしかめましたが、後にはそのような奉仕が大切であることを悟りました。」
「決められた方法によって心が純粋になったとき、クンダリニーは目覚めるのです。修行者は、アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラー、バンダ、集中、瞑想を学び、実践します。スヴァーミージーは彼らの疑問を明確にし、ヨーガやヴェーダーンタ哲学における難しい問題点を説明します。しかも、わずかな言葉でその要点を示してくれるのです。
スヴァーミージーは修行者たちを、その気質や才能や個性に沿って指導しました。シヴァーミージーは他のグルがするように、すべての人に同じ薬を投与するようなことはしませんでした。ヴェーダーンタの学生にはヴェーダーンタを講義しました。ラージャ・ヨーガを学びたいと思っている弟子にはラージャ・ヨーガを教えました。信仰の道を歩もうと思っている弟子にはバクティー・ヨーガを指導しました。瞑想の深い段階に達した弟子にはまったく他の作業をさせることはせず、ただ深い瞑想に入らせておきました。」
「すべての弟子は、介護の仕方、病人の世話、薬の調合などを最初に学ばされました。四時にはラーマ・アーシュムの建物内でみな一緒に瞑想を行いました。ギータやウパニシャットの短い話があり、最後にスヴァーミージー自身によるサーダナや瞑想の指導がありました。そして、外部の人たちもこの学習には自由に参加することができたのです」
シヴァーナンダは実に多くの人たちをサンニャーシンに導きました。インドの宗教史上、これほどたくさんの人たちをサンニャーシンに導いた聖者は他にいないのではないでしょうか。男性も女性も、余命いくばくもない老人も、ようやく大人になりかけた十代の子どもも同じようにサンニャーシンに導き、オレンジ色の衣を授けました。インド人はもちろん、外国人もサンニャーシンに導きました。世俗的な地位や責任を担っている人には、郵便や目には見えない精神的な支援でサンニャーシンに導きました。
シヴァーナンダはこれらの人びとの心を変え、世俗間で暮らしてもよいが、それに染まってはいけないことを教えました。
シヴァーミージーによってサンニャーシンに導かれた人たちの中には、時に道から外れ、不名誉な振る舞いをする人もいました。またあるときは、サンニャーシンの衣装を脱ぎ捨てて世俗間に戻り、結婚する人も現れました。
人びとは、シヴァーナンダが若い人たちを大勢サンニャーシンに導きすぎたと批判しました。
ある在家の人がシヴァーナンダに訊ねました。
「スヴァーミージーはほんとうに、こんなに若い連中がアーシュラムの意義を理解し、アーシュラムのやり方についていけると思っているのですか」
さらにこの男は、若いサンニャーシンが墜落するであろう例を挙げました。
シヴァーナンダは優しく笑って言いました。
「どうしてそう思うのですか?わたしはいくらでも成功した例を挙げることができますよ」
そして、真剣な顔つきで付け加えました。
「すでに彼らはあなたの尊敬に値するまでになっていますよ。少なくとも一日はサンニ
ャーシンになったのです。彼らは勇気を持って両手を挙げて言ったのです、『わたしは三界の快楽を放棄します』と」
ある若者がサンニャーシンになって失敗したからといって、若いうちにサンヤーシンになることが適切ではないと考えるべきではありません。事実、立派なサンヤーシンはみな、若いころに出家しているということが分かるでしょう。どうして年老いてからサンヤーシンになどなることができるでしょう。
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シヴァーナンダさんは修行者たちを、その気質や才能や個性に沿って指導をし、すべての人に同じ薬を投与するようなことはしなかったとありました。一人一人を愛し、一人一人を信じるからこそ、一人一人に合った接し方ができるのでしょうね。家族や社会、さまざまな場面においてもスヴァーミジーのような人とのかかわり方をして行きたいですね。
時に甘く、時には苦く、時には祝福し、時には怒り、時には強烈に、時には心配させる。自らが実際に行うことがいちばん良い方法だということ。全てを受け入れ、よく観察し、一人一人にあった効果的な方法を与えるシヴァーナンダさんはこうして大勢の人たちをサンニャーシンとして導きました。子供一人をこの様に育てることすら難しいと感じます。人生が修行の場だと理解すれば、シヴァーナンダさんの「無私の奉仕を通して心は純粋になる」という教えを通して得られる実践的な知識を意識的に見つけられるのではないでしょうか。ここに真実に生きてゆく術がありますね。学び続けましょう☆

今回は、リシケーシの真中を流れるガンジス川について紹介したいと思います。
英語名で「ガンジス川(Ganges)」、ヒンディー語やサンスクリットでは「ガンガー(Ganga)」と呼び、ガンガーそのものが神格化された女神「Gangamataji(母なるガンガー)」として崇められています。「聖なる川」としてヒンドゥー教徒の信仰の対象で、この川の水で沐浴すればすべての罪は浄められ、死後の遺灰をこの川に流せば輪廻から解脱を得るといいます。リシケーシでは聖者さんの亡骸は、そのままガンガーに沈められるそうです。そして大自然と一体になられるのです。ひんやりと冷たいガンガーの水に触れると、神に触れたようで身も心も清められる感じがしました。
人々は毎日、神を思い、神の歌を唄い、この川にお祈りをします。神とつながるヨーガ、バクティ・ヨーガ。日本では、毎日のお祈りの姿はあまり見られなくなってしまいました。流れるように過ぎ去っていく時間の中で一日一回神を思うことでその日を大切に正しく生きていけるのではないかと感じました。 ・・・続く。

愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、「弟子の教育」を数回に分けて紹介します。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
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前回のつづきです
弟子の教育
「グルになるということは、神からの命令なのです」と、シヴァーナンダは“Voice of Himalayas”の中で語っています。
それでは、シヴァーナンダ自身は神からの命令を受けたのでしょうか。
その答えとしては、人びとへの奉仕という困難な人生を歩ませるために神がシヴァーナンダを目覚めさせ、自己放棄をさせたことから察すると、「神からの命令」はあったものと思われます。
実際、次のような形で「神からの命令」を受け取ったという明確なヒントを与えてくれました。
「わたしは自分という内奥からの声を聞きました、『シヴァーナンダよ、目覚めなさい。そして、お前の人生のカップを甘露で満たしなさい。それをすべての人に分け与えなさい。お前に強さとエネルギー、力と智慧とを与えよう』というものでした。私はその神の声に従いました。神がカップを満たしてくださり、私は分け与えただけなのです」
師として、教える者として、シヴァーナンダは自らの使命というものをはっきりと自覚していました。事実、魂に関する科学や精神的な修行という点においては、シヴァーナンダは誰よりも優れていましたし、最高の師といえる存在でした。
シヴァーナンダは、神が彼に命じたままに仕事をしました。弟子たちの父親に成り代わって世話をするという困難な仕事です。
クラスに来ない弟子がいると、彼を叱りました。
「わたしの身体はあらゆる病気を患っています。でも3時には起き、早朝の仕事を終え、ベルが鳴るのを待ちます。ベルの音を聞くとすぐに、バジャン・ホールに飛んでいきます。そのため時々、歩いている途中で目眩を起こすこともあります。だから、あまり使うこともないのにいつも大きな杖を持っているのです」
このように優しく注意された弟子は、規則的にクラスに出るようになるのです。
シヴァーナンダは決して「わたしはお前のグルだよ」といったことはありませんでした。しかし、時々、「おまえは私の弟子だよ」「彼は私の弟子だよ」ということがありました。
「わたしはあなたをいとしい弟子として受け入れます。あなたに尽くし、あなたを導きます」
シヴァーナンダに「あなたを愛しい弟子として受け入れます」と伝えられた弟子は、もっと素直に自分の気持ちを伝えればよかったと思ったに違いありません。シヴァーナンダ自身もそれを望んでいました。シヴァーナンダの場合、師弟関係は弟子のためであって、自分のためではなかったのです。
シヴァーナンダはこのように、自分自身を手本として弟子たちを導きました。彼の人生は誰にでも開かれた本のようでした。弟子たちをはじめ、あらゆる人びとがシヴァーナンダを観察することによって、慎み深さ、質素な生き方、奉仕と祈りの毎日、キールタン、ガンジス河での沐浴、すべての人を礼拝する姿勢、いつも神の事を考えている人生、いつも絶やさないほほ笑み、世俗的なことに執着しない姿勢、「汝はそれなり」(ヴェーダーンタの教え)という精神等々、実に多くのことを学ぶことができました。
彼はしばしば人びとに語りました。
「わたしは休息を取ることはありません。いつも活発に活動しているか、仕事をしています。あなたたちも自分の生活を、一生が修行者である、という気持ちで見直してみてください。毎日、毎時間、何か新しいことを学んでください。あらゆる人から学ぶことができます。その気になれば、この世のあらゆることから学ぶことができます。経験したことを軽く受け止めてはいけません。そこから何かを学んで、しっかりと心に銘記してください」
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コメント:当時、シヴァーナンダさんの側にいた人々はその生き様から本当にたくさんのことを学んだのでしょう。いま、それらの学びをこの書物を通して知ることができる、その気になればいつでも学ぶことができるのだとわたしたちに語りかけているようです。。。心の持ちようですね。ともに学び続けてまいりましょう。
コメント:シヴァーナンダさんご自身が、生きるお手本ですね。『私』という思いではなく『あなた』という側に立って、いつでも、どこでも、誰にでも慈悲と奉仕の心で惜しみなく愛を注がれています。この項に書かれているシヴァーナンダさんの教えを日常に置き換えてみると「私はお前の母だよ」ではなく「お前は私の子だよ」という一見同じことを伝えているように思いますが受け入れる姿勢の違いに気付かされます。明確な意識を持って日々を過ごしてゆく大切さを教わります。読み進めてゆく楽しさを一緒に共感していけたら嬉しいです♪


















