5/1「こころの灯をともす会」ボランティア活動報告
5月1日(日)雨のちくもり
岩手県岩泉町 7名活動
このGW休暇をつかって、日本全国からさまざまな団体による支援活動が行われるようですね。
出発前に、岩手の各市町村の社会福祉協議会へボランティアの問い合わせをすると、「既に多くの同じような団体さんから、活動いただけるとお約束が入っていて、なかなか整理・調整がつかないんです。」「今回は調整がつかないほどたくさんの方々から問い合わせいただいていますので、また次の機会におねがいします。」といった感じで丁重に断られる状況でした。
これは、ボランティア活動だけではなく、物資郵送についても同じようなことが起きていました。現実に、トリャンバカムの会員さまからも、「もう、物資は足りていると報じられていますけれど、コレ、持ってきましたが大丈夫ですか?」と何人にも聞かれました。そう、報道されている情報と、実態に?を感じ始めた頃でした。
この活動を邁進し、こうして活動入りを決めた理由は、ほんの数日の調査の結果です。
どうやら行政のそうした対応には、人手の問題なのか体制の問題なのか、被災現場の状況と矛盾が生じており、実際の現場は、行政の手が及ばない所では人手・物資不足が未だに継続して起こっていることがわかったからです。
私たちが感じている状況を早くから判り、被災2週間後に岩泉へ乗り込んだ個人ボランティア「ブルーシート」さんのことを知り(全国で被災があれば活動をすぐに始動している家族です。阪神淡路、中越地震でも力を発揮)、彼らを頼り、状況を教えてもらいながら活動しようと考えたのです。
そんな思いを胸に、何もせぬより僅かな力でも現地でやろうという思いで岩手に向いました。
6:30 盛岡駅 夜行バスが順に到着
GW渋滞に巻き込まれることなく、ほぼ時間通りに到着。同じようなボランティアの方が多いようなバス内の雰囲気でした。
6:50 1日目の参加者全員集合
はやの意匠+トリャンバカム・ヨーガ・センターの早野夫婦。智子の父・繁、夫の友人で、フリーアナウンサーの松原さと子さん、トリャンバカムの宮沢かなえさんは青森県出身。その友人の神田倫子さんです。
7:10 盛岡市東山にある夫の実家へ
自家用車に乗換え岩泉町へ。そして盛岡のお母さんが、旅の昼にとお稲荷さんをたっくさんたっくさんつくってくれました。お昼だけではありません。キャンプ中のフルーツやら米やらお菓子やら・・・お母さん、ありがとうっです。お母さんもこころ一緒です。お母さんの力と、「うん、しっかりやってきなさい」というお父さんの力が加わり出発です。
7:50 出発
9:00 道の駅岩洞湖
9:50 道の駅三貝分校
途中、岩洞湖、早坂高原を抜けます。まだ雪があり記録的な寒さが観測される地です。この山を越えて三陸海岸へ向います。
10:15 工藤家
夫の父の妹さんのお家で、トリャンバカムでご寄付いただいた支援物資は、息子満さん(消防団員)から、役場や避難所の方々へ届けられていました。そのお手間も大変だったでしょう。お礼もあって立ち寄りました。名物匠おばあちゃん厚子さんから、何かの足しにと、栗おこわや漬物をいただきました。(料理の匠でもあります。得意の匠技は、龍泉洞の水を利用した、岩泉の草木染めや、糸紡ぎです。)かえっていただき物をしてしまいました。「てどの蔵」という、岩泉町の匠・手仕事人による実演販売所も主宰されています。
11:00 ブルーシートさんと合流
11:40 ボランティア登録
どうしても登録は必要でもう一度町へ戻り手続きに。時間ロスですが仕方ありません。
12:15 昼食 ブルーシートにて
お母さんから頂いたお稲荷さんをみなさんでいただきました。そして、角田さんからも行政の流す情報と現場の状況の矛盾と実際のお話を聞きました。また、ボランティアに参加する方との苦労もたくさんあられるようでした。ボランティアという目的の捉え方なのでしょう、さまざまな問題を感じられているごようすでした。それにしても、既に災害発生からすぐに現地入りをしてひたむきに活動されてきた姿に頭がさがります。
13:10 Aチーム箱石家掃除/Bチーム物資仕分け〜配布
2チームに別れて活動することに。
Aチームは小本地区の半壊宅の清掃です。箱石家は夫の親戚で社協へボランティア依頼を出されたために、偶然のめぐり合わせで、ブルーシートさんの活動に加わって支援できることになりました。家の中の家財が泥だらけで水洗いをしました。私たちは建具を洗いました。
本当は床板をはがして床下の泥を出したいのだけれど、大工さんの手配がすぐに出来ないとのこと。危険区域に当たるため、半壊宅の壁をふさぐ程度の簡単な大工工事でも今のところ許可が出ないそうです。むむー。
Bチームは支援物資の配給です。配給に行く前に、物資の仕分け作業がありました。到着すると皆さんが一気に集まってくるそうで、きっちり仕分けをし、見やすくしておいてあげないとだめなんだという角田さんの指示。徹底した分別と紙に書き出し見やすく、わかりやすく提示する準備です。
14:30 仕分け終了、配布へ避難所グリーンピア田老へ出発
15:10 物資配給
角田さんが言うように、すぐに人が集まってきました。そしてあっという間になくなりました。しかし、ワーッと来た人の波は数回に分け、全部で5〜6波がありました。同じ避難所の中でも、暗黙の順番のようなものがあるようでした。第1陣は、家も家族も失った方、次に家族は無事だけど家は全壊した方、次は家が半壊した方、最後の方では、家は残っているけれど実際住めないし何もかも失っている方。でも前述の方々に比べたら「あんたは家は在る、親戚も近くにいて助けてもらえるじゃないか」といった雰囲気のようです。目の当たりにしました。
交流も自然にできました。こちらから騒ぎをたてぬよう、よく気を付けて配慮し言葉を選びながら、だんだんと自然に。和やかな雰囲気の中、物資を配給することができたこと、これまでたくさん物資を支援くださった皆様にご報告しなければならないな、と強く思いました。歓んで使っていただけています、と。
17:15 撤退
17:50 ブルーシートさんと解散
18:10 宿泊サイト 青少年旅行村に到着 荷物運搬
既にまっ暗になってしまいました。・・・が、お約束がありますから、すぐに移動です。
18:50 八重樫家にてこたつ夜話
文化の地・岩泉町でも旧家として有名なお宅。早野の親戚で「局長さん」と呼ばれています。岩泉郵便局長、りんご園、お花屋さんと、たくさんのお仕事をされています。貴重な機会ですから、栄子おばあさんから、昔の話を聞きたいと約束をしました。おばあさんは恵比寿さまみたいにいつも笑顔で、お話が上手なのです。活動の一日目にお会いして、笑顔で過ごせるようにと訪問させていただくことを予定に入れさせていただきました。
幼い頃の暮らしぶり、そしてこの被災、過去の被災の話、勉强になりました。支援活動をさせて頂くにあたって、また、土地の人々と触れ合うにあたって、貴重な教訓となりました。
なかでも「数え切れない程の思い出の詰まった家が無くなってしまいました。でもこれまでも津波、戦災、台風と何度も立ち直って来たんです。今回も時間はかかると思いますがきっときっと、立ち直ることと思いますよ。」に一同、涙。
19:50 第1陣 風呂
龍泉洞ホテルは現在も避難所として200人の方が生活されています。勿論ホテル業務はお休み中。5月1日から青少年旅行村の通常営業はスタートし、こうしてわれわれは利用させていただいています。旅行村の利用者は500円で温泉を利用できます。サイトの近くでありがたく贅沢であり支援活動の潤いとなりました。
20:30 第2陣 風呂+ヨーガ打ち合わせ(龍泉洞ホテル)
風呂を利用させていただくことで、龍泉洞ホテル内の方々と触れ合うことができます。なんとなく様子が見えました。ホテルの入口には24時間役場の方が待機され、避難者の出入り「おかえりなさい」「行ってらっしゃい、お戻りは何時ですか」、訪れた見舞い者の管理「〇〇様は〇〇の間にいらっしゃいますよ」と案内をしていました。その役場の方にお話を聞き、ヨーガの体験を実践できるか相談してみました。また、アナウンサーの松原さんも、読み聞かせができるでは?と活動の相談をし、その場から早速、子供たちに「一寸法師」を読み聞かせていました。さすがプロ!。さらに絵本作家さんのかなえちゃんも、やはり絵本仲間で今は山好きのカンちゃんこと神田さんも、その傍で子供たちを暖かく見守っていました。
21:00 瞑想
21:45 就寝
つづく