トリャンバカム・ヨーガ・センターについて ヨーガ クラススケジュール 料金について よくあるご質問と体験者の声 アクセス/コンタクト 講師プロフィール
news/blog
お知らせ
YOGA生活
支援活動
レッスン前の話
クラスの様子

support-activity


「こころの灯をともす会」6月の支援活動報告vol.3

2011.06.30

Category { トリャンバカム・ヨーガ・センター盛岡 }
Comments  { 0 }

新しい一日のはじまり。
被災地での2日目です。

4時  起床 できたのかな?
4時半 瞑想 したのかな?
6時半 朝食 ちょうどこの頃智子は盛岡駅
7時半 手作りランチを持って「さあ、出動〜!」
    智子さんも盛岡をJRバスで出発!

食事はベテラン寺崎慈子先生と空間デザイナー柳沢ゆきさんが活躍してくださり、すばらしい朝食とランチをごちそうになりました。
野外活動初めて!という駒沢大学で経営学を学ぶ永井優貴さんと山口里那さんはかわいい〜ので、いるだけですばらしい!と、隊長満面の笑み。

二日目。みんな元気です。

二日目。みんな元気です。

9時宮古市ボランティアセンター集合。
宮古市災害VCには、全国から土日ということもあって、多くのボランティアがいらしていました。スタッフも多く、システムもすっかりできあがっています。事前に申請をしてグループの人数や男女構成、継続可能時間によって仕事に分かれるシステムです。我々は5名チーム。

宮古はさすが!こんなボランティアセンターができていました。

宮古はさすが!こんなボランティアセンターができていました。

「え〜っ貸自転車なんてあるのお〜すごいじゃないっ」(寺ママ)

「え〜っ貸自転車なんてあるのお〜すごいじゃないっ」(寺ママ)

(ボランティアにきたけど)「わ〜い、何かたのし〜なあ♡」(里那)「何かいいじゃない」(寺ママ)

(ボランティアにきたけど)「わ〜い、何かたのし〜なあ♡」(里那)「何かいいじゃない」(寺ママ)

R0016305

到着すると、お願いされた仕事は、駅前の花壇の花の入換えです。「ドロ出しじゃなかったの?」「ばっちり長靴装備で、腰がいたくならないよう整骨院でととのえてきたんだけど。。。」・・・イベントが駅前ステージで開催されるとかで、それまでにきれいにしたいのよ〜ということです。「確かに。わかりました。きれいに美しく。宮古元気だよ!って聞こえてくる街つくりをしましょうっ」

宮古駅前2キロ間の花壇に花を〜

宮古駅前2キロ間の花壇やコンテナに花を〜

R0016310

マグロ船に36年乗っていたおじさん。その半生話が面白かった。自分の町は全滅したのでタバコも買えねえ。駅前まで買いに来るのよ。

マグロ船に36年乗っていたおじさん。その半生話が面白かった。自分の町は全滅したのでタバコも買えねえ。駅前まで買いに来るのよ。

・・・街行くおじさんやおばさんがボランティアにご苦労様ですと気さくに話しかけてくれます。
マグロ船員だったおじさんは、「マグロ船はよ、一年航海を2回出ればあのころ家が建ったもんだ」って言っていました。それだけ命を張って家庭を犠牲にした厳しい仕事なのだと思います。今は船が無くなりなり、財を失い・・・ボランティアでもこうして若い人が街に来てくれるのをみていると、それだけで励みになると話されていました。

・・・タクシー会社を経営している植裁のリーダーの方は津波当日の車の避難の様子を教えてくれました。われわれが2週間後に宮古に入ったときには、商店街総出で膝をまくって浸水した泥出しをしている状況でした。「ほんと必死でしたから。」とはいえこの何事もなかったかのような店舗の復旧ぶりは感心するばかりです。商店街の壊れた電柱や店舗はもうすっかり治っているんですから。素晴らしいです。

みんなで大花壇を。「た〜だ植えてもダメよ。ほら、高校生!アートの特技を活かせるじゃな〜い。」寺崎ママのお見事っ!な指示力で、2日分の仕事が1日で終了〜

みんなで大花壇を。「た〜だ植えてもダメよ。ほら、高校生!アートの特技を活かせるじゃな〜い。」寺崎ママのお見事っ!な指示力で、2日分の仕事が1日で終了〜

R0016316

終了〜撤収〜!参加者のチームワークが素晴らしかったらしく、予定2日分の仕事を1日で終えました。

花壇の植え替えなんて、最初は拍子抜けしていましたが、こうしたさりげない草花が町に添えられることで、落ち込んでいた商店街の人達がどんなに勇気づけられ、生きる力を与えられたか、被災直後から地道に活動をされてきたまちづくりボランティアの皆さんのお話を聞いて、まだまだいろいろ出来ることがあるなと刺激になった一日でした。

宮古〜小本へ

小本仮設住宅で支援物資配給とヨーガをしている智子と!
「あー会えたあ。待ってたわよ〜」
「こっちはがんばってきたわよ〜」
「ヨーガはどうだった?」
互いの報告。でも、それは車の中でね。
岩泉の「てどの蔵」へ行かなくちゃねっ。

小本仮設住宅。智子さん合流。

小本仮設住宅。智子さん合流。

車の中で情報交換です。
智子の方は・・・

12時岩泉町のはやの商店前(バス停)に到着。
バスが来るのがわかっていたの?商店の前にずらりと並ぶ早野商店の貫一おじさんやスタッフのみなさん。手を振っています。バスの中の私思わず「こんにちはー」っと声を上げ手を振った。バスの中だってこと忘れてました。そんな風に待っていていただいたら、思わずそうなっちゃう。(「田舎ですから、一日にバスはたったの4本ですから、わかりますよおっ」とおばちゃん)
お昼の蕎麦も用意されていて、本当にながれるまま。
私が一人なので、支援物資配給やヨーガ実習を一緒に手伝ってくれるという商店の皆さん。あーっカタジケナイっ。ありがたい。
車で20分 岩泉町から小本仮設住宅へ。

13時から支援物資配給ですが、到着がちょうど13時。
告知もしていなかったので、誰も集まるはずなく。
物資を預かっていてくださっていた、ここに住んでいる親戚、早野善彦さんのお家を探す。
一番奥の棟だった。
一つの棟に5件だろうか、長屋のようにつながっている。
プレハブです。
とっても静か。

荷物を預かると、ちらしを配ろう!ということに。
もう、時間を過ぎているけれど、手分けしてポスティング+直接手渡し。
すると、配っている後ろからもう集会所に向かう人々の姿が。
「えっ、まだ何も用意していないんですけど」

急いで集会場で、物資を並べ、
その間、まっていていただきました。
ほんの5分です。
「用意できました。」
「少しかもしれませんが、皆さんがきっと喜ばれる物があつまっています」
「ヨ—ガをする教室のみなさんからあずかってきたものです。」
「物資の中に、ポーチの中に、パンツや靴下、裁縫セットなどの入っている袋があります。それは、ひとつひとつ手作りなんです。パッチワークのポーチです。これは200個ありますから、一人2つまでですが、みてください。」
そう皆さんの前で、ちょっと話させてもらってから、
「どうぞ」
急いで入って行く皆さんの後ろ姿。
ほとんど会話はありませんでした。

ものの5分
段ボール7箱分の衣類や新品のパスタオル、お盆やタッパー、ビニールや洗剤、ボールやお玉、鍋などのキッチングッズから生活用品、お風呂セットや化粧品もありました。
そして、手作りのポーチ200個
鞄、トートバッグ
筆記用具にメモ帳、付箋紙や鉛筆、ペンに塗り絵、カレンダー
たくさんたくさんありました。

ものの5分、10分

一つ残らずなくなりました。

ちょっとボーゼンの私。
あっとおもって「この後ヨーガするかたどうぞ〜」と。
みんな帰って行きました。

う〜ん。。。。

でも、4〜5名かな戻ってきてくれました。
また岩泉町から、わざわざはやの商店のスタッフさんやご近所のみなさんがどやどや。
合計17名がヨーガを。

明日の朝9時からと14時からはどうかな?(先ほど配ったチラシには書いてあるのですが)
仮設住宅に住まれている早野善彦さんと和子おばさんが言っていました。
支援物資はくるんだけど、最近はあんまりこないんです。
そして、たいてい余るんです。
申し訳ないけれども、みなさんも選んでしまうんですね。
これはいけないことですけど、余るんです。
でも、今日はひとっつも残らない。びっくりしましたあ。
それだけきれいで、思って準備してくださったんですね。
ありがとうございます。

そうおっしゃっていました。
・・・トリャンバカムのみなさんや、調和SHCのみなさんのことを思いました。
みなさんがきれいにきれいにパックしてくださっていたこと、
メッセージをそえてらしたこと、
みんなみんな伝わっているんですよね。
無言でらしたけど、きっと感じていただけたはず。そう思いました。
みなさん、ありがとうございます。
代わってお礼を述べさせていただきます。本当にあたたかなサポートをありがとうございました。

車中。そして200個のパッチワークポーチは、織物の先生寺崎慈子先生のお友達が手作りしてくださったものを託されていたのです。「ああ、よかった。よかった。うれしい。安心したわ。」と。

さてさて、「てどの蔵」。
「おそくなりました〜」
「まってましたよ」ずらり、手仕事人がそれぞれの仕事をされていました。
機織り・糸紡ぎ・草鞋・陶芸・木彫り

貫禄の図。
蔵の仕事場はいい空気。

「コレなんです。」「どれどれ。」

「コレなんです。」「どれどれ。」

R0016327

こちらが、岩泉の昔からの機織り。

こちらが、岩泉の昔からの機織り。

東京の皆さんが織った裂き織りヨーガマットを紡ぎの工藤厚子さん、てどの蔵の工藤リセさんに見ていただきます。被災者の方たちの手仕事支援になるでしょうか?町内でやってくださる織り手はいますか?

素人が織ったものの品質に厳しい厚子さんの評価が気になるところでしたが、
「柄も織り方もバラバラなのがまた面白い。あれこれ考えずに、差し上げようと単純な思いで織られていることが素晴らしいことよ。一定の品質は必要だけれども、織り手にまかせたほうが面白いものが出来てくると思うよ。」との感想。

早速、リセさんが、心当たりの方に連絡をとってくださることになりました。ありがたい。
「明日また来て下さい。作り手さん同士で話をしてみてください。」
どうやらまず、こちらの織り手さんたちに織っていただけそうな感じになってきました。
そこからまた少しづつ広げましょうと。

私が「祝炭・いわいずみ」を命名しました!(澤口先生・国語教師。岩泉ネーミング賞をさしあげます。)炭はお水に入れれば放射能を浄化してくれます。

私が「祝炭・いわいずみ」を命名しました!(澤口先生・国語教師。岩泉ネーミング賞をさしあげます。)炭はお水に入れれば放射能を浄化してくれます。

R0016341
R0016335

てどの蔵を出て、親戚の八重樫家(重要文化財級のすばらしい旧家)へお茶を。
いつも微笑みで向かえてくれる栄子おばちゃん。おばちゃんに会うと、3日間はおばちゃんの笑みの影響でにこやかにすごせるのです。語りのおもしろさ、微笑み、礼儀正しさは岩泉の鏡!「普通のおばあちゃんですよね。旅館の女将さんじゃないですよね」うーん。心遣いのカミサマです。
裂き織りの話になり、嫁さんの智子(サトコ)さんが、特注で作ってもらったバッグをみせていただきました。和紙に包まれていました。高価だったようで、夫婦の会話(「これ、しらなかったんですけどね」「え、あ、おほほほほー」)が面白かった。

岩泉の割織りバッグ。お見事っ!

岩泉の裂き織りバッグ。お見事っ!

この裂き織りのこたつ掛けは20年もつかっています。<br />
本当にあったかであったかでございます。

この裂き織りのこたつ掛けは20年もつかっています。
本当にあったかであったかでございます。

すっかり陽も暮れ、キャンプサイトに戻ると7時。
夕食は無いので、お茶でものんで、さ、龍泉洞温泉に入りにいこ〜

・・・誘われていた龍泉洞脇にある炭焼き小屋で「怪しい男の会」へ。手仕事人と駄洒落先生と幻の酒?・・・を交わしました。

就寝12時過ぎ
もうだめ〜
無意識状態。
失格!の×マークをおでこに張られた気分。

ごーん
落ちた××

つづく・・・

前のページへ戻る

コメントをどうぞ