車窓の回想ーわたしたちの行為についてー
ー盆の帰省から帰る夜明け…車窓で想ったことー
「何でもしよう、できることを。」「今度は、この時代を生きていく私たちが伝えていく。」と、堤防を歩くお父様の背中をみて想いが誓いになった夫婦二人の新しい歩みの日は…3.29。震災後17日が経った日だった。
たくさんの言葉が巡る…
必ずまたやってくるとは思っていたが、その日が、80も過ぎてやってきたか・・・。いくつもの震災や火事を経験してきて無事だった蔵もやられたか(流されたか)…。
未練もしようがないほどぜんぶぜんぶ無くなりました。
もうちょっと待ってくれたらいいのに。。。(生きている間にあるとは)
ずっと伝え継がれてきていましたから、「津波がくるぞ」って。
自然と暮らすということは、こういう事です。いつも恵んでくださる大きさと、恐ろしく大きい、2つの大自然です。
支援活動をしようと誓ったそのこととは…
無くなったのだから、モノをさしあげようとしたのではないのです。
支援される人も、する人も、モノのない状態を知り、今一度モノに気付き、頂いていることを理解して欲しかった。
困っているのだから力を貸してあげたのではないのです。
支援される人も、する人も、一人では何も出来ないことに気付き、本当に困り、寂しく苦しいことに気付いてほしかった。
お金がないから寄付を募り、支援したかったのではないのです。
支援される人も、する人も、金という暮らしと向き合い、金が本当に生きる使い方を見つめ直したかった。
織り織りのうた(手織りのヨーガマット製作)は、そういった【折り折りの時の流れに気づく】作業の場であり、そうして仕上がったマットは、それら全てを受け入れてくれる【ヨーガの場】となる…こういった響きの織り重なった現れになるだろうと考えたのです。