3/3㈷ 周年祭の様子
みなさまへ・・・早野 智子
開校◯年ということなど、これまで何ら気に留めてはいませんでした。一日一日を数えたりせぬように、毎日が初々しい最初であり、夜が来れば、その日の陽(照らされるもの)は落ちる。毎日が初一心最期心でした。そうして過ぎてきた日々を「祝い」「祈る」3/3㈷は、あえて大事な日として存在させました。大変印象深く心に残りましたし、忘れない体験としてカラダで感じることができました。
さて、これまで長く通われている方も、まだ通いはじめて間もない方も同じ部屋で、同じ内容を実習してきました。しかし、同じ内容でも、ひとりひとり別々の感覚で、ヨーガを体験しています。 ヨーガとは一体何なのでしょうか?誰かに、ヨーガの体験をすすめるとしたら、何と説明しますか「健康になるわよ。」「はじめてから調子がいいのよ!」「気持ちが落ち着くのよ」ぴったりとした言葉で伝えられるでしょうか?一言「体験してみたらわかると思うよ。」が、その話の結論でしょう。
これまで以上に楽ヨーガの日々を楽しまれ、「感じている」瞬間瞬間を観察してみてください。難しく考えずに、ただ、瞬間瞬間の違いを観察するだけ…。きっと、最も近くにあると思っていた自分自身が意外にも別モノで、「未知との遭遇」の連続であることに興味津々になることでしょう。
感覚はとても敏感でデリケート。デリケートですから、毎日その感覚器官に印象つけを行なってあげると、大変精妙なことまで感じ取れるようになるでしょう。毎日の継続が何よりなのです。そう、「継続」です。あ!それから「お掃除」です。「掃除」してからでないと、準備不足で「継続」が断念したり、「感じ方」に鈍りやズレが生じるでしょう。
掃除のゆきとどいたカラダの状態と継続があれば、意識はとても純粋であり続けるでしょう。疑ったり、憎んだり、怒りっぽくなることとも…自然と「さようなら」でしょう。純粋さに「気づいた」「意識」は、今在ることへの慈しみの心で満たされて、他人や他の物事についても、ありがたい環境として共感したり、共有したりしたくなるのです。
「気づく」事のできるカラダが在ることを軽視せずに、全てを労って、慈しみ「生きること」を感じる続けることをしましょう。変化し続けている「感じている」ことが理解できるようになると、永遠に変わらない不偏が、常にそこに在ることも理解できます。理解は信愛となり、…繋ぎます。私達を繋ぐもの・・・それは当にヨーガです。
成瀬先生、祭祀の誘導をありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
この祭祀にあっては、インドはリシケーシの聖術師、クマールスヴァーミジや、マンガラン・ヨーガ・ピートを経営される川崎あき子先生にも支えていただいています。いつも一緒に時を過ごしています。ありがとうございました。
昼食を皆でいただきました。
指導員が皆さんへの感謝を乗せて、芋巾着やら、野菜のピクルス、黒豆煮などを作ってくださいました。インド帰りのヒー子指導員からはインドのお菓子をいただきました。
祝のお花もいただきました。ヨーガ・ライフ・ソサエティの守屋さん。指導員皆に、これからの励みの花をくださった、ヨーガ・スペース・ビージャの加藤輝美先生、シャンティ・ヨーガ・クラブを主宰され、女性としてのヨーギーニっぷりをつねに学びます。ユングハイム・マキ先生ありがとうございました。
今日、祝日にもかかわらず脚をお運びいただいた皆様、祝の時間を一緒に過ごさせていただき、ありがとうございました。
皆様への感謝はどのようにしても足りません。
私にできることは、更にヨーガに励み、深め、皆様の健康と健やかの事のみを思って、ヨーガを伝えていくことだと思っています。
合掌
Om shantih