トリャンバカム・ヨーガ・センターについて ヨーガ クラススケジュール 料金について よくあるご質問と体験者の声 アクセス/コンタクト 講師プロフィール
news/blog
お知らせ
YOGA生活
支援活動
レッスン前の話
クラスの様子

news


第4期養成コース《第4回》『インドの叡智』

2012.06.12

Category { お知らせ }
Comments  { 0 }

6月8日(金)第5回『インドの叡智』の講義がありました。
養成コースにご興味のある方は、こちらより御覧ください。

今回は
第2部 【中世インドとヨーガ】
第1章 「ラージャ・ヨーガ」
●サーンキヤ哲学
・二元論
・プルシャ
・プラクリティ
・「この世」という映画

●アシュターンガ・ヨーガ
・アシュターンガ・ヨーガ
・部門と段階
・ヤマ 
  ①アヒンサー
  ②サティヤ      を学習しました。

[学習内容]
「心統一」の優れた実践方法であったヨーガも、哲学的・理論的な背景がなければ一つの学派として独立できず、なぜヨーガを行うのかを説明しなければ一つの学派としては認められないことから、ヨーガはサーンキヤ哲学を取り入れました。なぜサーンキヤ哲学と結びついたか?もともとサーンキヤ哲学の形而上学的な面(心が深まっていく過程)はヨーガの心理学に基づいているので、ヨーガとサーンキヤ哲学が結びつくのは自然であるといわれています。

サーンキヤ哲学は、ヴェーンダーンタ哲学の一元論とは異なり、二元論の立場をとっています。この二元論とは、「精神と物質」「神とその創造物」という西洋的な二元論ではなく、「プルシャとプラクリティ」の2つの原理のことをいいます。サーンキヤ哲学は全てのものを25の原理で説明するといいますが、おおもとはこの2つの原理です。(「あらゆるものは究極的に2つである」「全てこの2つの原理のどちらかに入る」)

1つ目の原理は「プルシャ」と呼ばれるものです。プルシャは、真実の自己、本当の自分という意味で、個人の数だけあり、個人の「核」のようなものです。それは、心や感覚器官や自我意識とは違い、自らは何の活動もせず、ただプライクリティの働きをみるだけの「観照者」であり、もともと解脱した状態であるともいわれています。

それに対して、もう1つの原理である「プラクリティ」は、この世のあらゆる現象世界に自らをつくり変えていく(転変)という存在です。私たちの身の回りに存在する建物や家具、山や海、樹木などの自然も、また心や意識、感覚器官も全てプラクリティが自らを転変したものなのです。
この「プルシャ」と「プラクリティ」との関係を、観客(プルシャ)と映画(プラクリティ)に例えるとわかりやすくなります。

ラージャ・ヨーガの理論面が先のサーンキヤ哲学であるのに対して、実践面にあたるのがアシュターンガ・ヨーガです。このアシュターンガ・ヨーガは、5つの外的部門と3つの内的部門からなっています。これには「部門説」と「段階説」とがありますが、ゴール(三昧)を目指すにはある程度の心の準備が必要だということ、その心の安定を得るためにはヤマ、ニヤマ(後述)等の学びを踏んでいかないと到達できないということから、「段階説」が一般的といわれています。

では、「ヤマ」とは何でしょう?
ヤマとは「禁戒」という意味で、ヨーガ修行者の心に平静さと安らぎを与え、揺れ動かないようにするためを目的とした5つの項目からなる戒めです。
この「ヤマ」と「ニヤマ」は、ヨーガ独自の学習というわけではなく、仏教やジャイナ教の「五戒」や旧約聖書の「モーゼの十戒」(6~10)の中にも、「ヤマ」と同じ戒めが見られます。 ※成瀬先生の大発見!! このことは、どの本にも書かれていません!!
①アヒンサー(不障害、非暴力、不殺生)
暴力とは、肉体的な苦痛を与えることだけではなく、心の中に憎しみ、怒り、悪意、暴力的な考えを抱かないことです。肉を食べないという菜食はこのアヒンサーからきているといわれています。アヒンサーを完全に守った人の周りは、全てのもの(人も蛇も自然も)がその人に対して敵意を捨てるといわれます。
②サティヤ(真理、真実、誠実)
真理、真実に生きること。嘘をつかずに真実のみを話す(難しい言葉を使わず、分かりやすく愛情を持って話すことも含まれる)こと。サティヤを完全に守った人の口から出たことは、良いことも悪いことも全てその通り(真実)になってしまうといわれます。

この「ヤマ」「ニヤマ」等の教えは、私たちの日常生活の中にも当てはまることが多く、次回の講義がとても楽しみです♪

次回の養成コースは、6月15日(金)実技講習です。

前のページへ戻る

コメントをどうぞ