トリャンバカム・ヨーガ・センターについて ヨーガ クラススケジュール 料金について よくあるご質問と体験者の声 アクセス/コンタクト 講師プロフィール
news/blog
お知らせ
YOGA生活
支援活動
レッスン前の話
クラスの様子

Warning: strip_tags() expects parameter 1 to be string, object given in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 20

Warning: include(/home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/.inc) [function.include]: failed to open stream: No such file or directory in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 21

Warning: include(/home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/.inc) [function.include]: failed to open stream: No such file or directory in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 21

Warning: include() [function.include]: Failed opening '/home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/.inc' for inclusion (include_path='.:/usr/local/php/5.3/lib/php') in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 21
13.06.08

Category { サット・サンガ }
Comments  { 0 }

51JEN0EE5TL._SL500_AA300_
本の紹介『シウヴァーナンダ・ヨーガ』では、現在は専任講師であり、わたしたちをいつも導いてくださる成瀬貴良先生の名訳『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしております。
月2回、8日と24日に配信。
著者である成瀬貴良先生よりご許可をいただいております。
先生の寛大なおこころに合掌。
そして多くの方の目に触れ、心のヨーガがひろまりますように!
今回は、第9章「バヤ」の途中から最後までをご紹介いたします。ご興味をもたれた方は『シヴァーナンダ・ヨーガ』をお読みください。

 グルデーヴは、アーシュラムを創立する以前からリシケーシではたいへん有名でした。そのころはまだ、キールタンを歌ったり踊ったりするスヴァーミーなどいませんでした。おそらく、ほとんどの人たちが、そんなグルデーヴのことを芸人の一人ぐらいにしか思わず、物笑いの種にしていたのではないかと思います。
 なぜならば、その人たちはグルデーヴとは違う考えを持っていたからです。彼らは、聖者というものはとても厳粛で重々しく、いつも*ブラフマンに没頭しているものだと思っていたからです。
 人というのは、ブラフマンを得るためには、この世を捨て、難しい顔をしていなければならないものなのでしょうか。グルデーヴは、そうではありませんでした。
 わたしは以前、ある年老いた立派なスヴァーミーから、次のようなことを聞いたことがあります。 
 「いいかい、スヴァーミー・シヴァーナンダはその頃、よく人前で歌ったり踊ったりなさっていたよ。わたしたちスヴァーミーの中にも、そんなスヴァーミージーをよく思わないひとたちがいたことも事実だよ。しかし今では、わたしたちのほうが間違っていて、スヴァーミージーのほうが正しかったということがよく分かったよ」と。
 グルデーヴがそうしたいと思うことや、正しいと思っていることから気持ちをそらせることができることなど何もありません。グルデーヴは、悪い評判が広がっていくことなどまったく恐れませんでした。
 医者は、わたしたちの頬に軽く触れただけでもその手を消毒します。しかしグルデーヴは、病原菌がうつるなどということはまったく恐れていませんでした。
 グルデーウはしばしば天然痘に罹った男の人を見舞われましたが、その後でシャワーを浴びたり、衣装を洗濯するということはありませんでした。それだけでなく、コレラや腸チフスなどの恐ろしい病気に罹っている人たちのところへも、よく訪ねていきました。グルデーヴは、何の恐怖もなく、そのような病気に対処することができたのです。
 わたしはグルデーヴから、これらの行為についての難しい理論づけなど一度も聞いたことがありません。理論ではなく、グルデーヴが実際になされるところを、わたしたちはこの眼で見たのです。
 時にそれはたいへん感動的なものであり、とてもすばらしいものでした。そして、なぜグルデーヴがそのようなことをされるのか、これからの行為の背後にある哲学はどのようなものなのか、わたしたちはどうしても知りたいと思いました。
 これらの想いはすべてエゴのはたらきです。もし、それが自然の習慣ならば、わざわざ理論づけることもないのです。自分という想い(エゴ)のない人は、この恐怖が自然に消滅しているはずです。なくなったふりをしているわけではありませんし、これ見よがしに「自分にはそんな恐怖はない」というところを見せつけているわけでもありません。そんなことをすれば、再びエゴと同じになってしまいますし、それは無私無慾とはいえません。わたしたちが、もしその行為の背後にある哲学や理論のほうに興味が湧いたとするならば、それはわたしたちの中に、病気がうつる恐怖や、その行為をすることで尊敬されたり讃美されたいと思っているからかのどちらかだと思います。わたしは、そのことを心の奥深くに感じましたので、改めて強調したいと思います。
 グルデーヴはなんと言われようと、まったく恐れていませんでした。わたしは今まで、グルデーヴのような立派な聖者を見たことがありません。グルデーヴは、自分を批判したり悪く言った人たちにさえ衣食住を与え、いろいろと面倒をみてあげていたのです。その人が熱心な求道者であったり、あるいは世の中に役立つ才能や素質を持った人ならば、たとえ悪口を言ったり、後ろ指をさして批判したような人でさえも、アーシュラムに滞在することをお許しになりました。そして、自分を非難していたことを知っていながら、その人のことを、おもしろおかしく褒めたのです。

 グルデーヴは、議論したり、人を説得するということは決してなさいませんでした。また、世間のいうことに気を取られることもありませんでした。世間のいうことは、やがてこの世間自体で責任をとるようになるものです。
 以前、とてもおもしろい話を大先輩のスヴァーミー・*パラマーナンダジーから聞いたことがありました。それは、1930年代に行われた*「クンブ・メーラ」という大きなお祭りのときのことです。
 ある男が、スヴァーミー・シヴァーナンダは結婚するつもりであるという、とんでもない噂話を撒き散らしたのです。その噂はやがてアーシュラムにも伝えられました。
 話を聞いたグルデーヴは言われました。
「分かったよ。その男を大勢の人たちの前に立たせ、大声でその噂をしゃべってもらいなさい。その話を聞いた人たちがきっと、それを確かめるためにここにやって来るでしょう。そうしたら、その人たち」に『十二の大切な教訓』を配ってあげましょう。そして、一緒に神の名前を歌うことにしましょう!」
と。
 グルデーヴには、まったく恐れるということがなかったのです。
 もう一つお話しましょう。
 あるとき、若い女性がここに来たことがありました。彼女は自分の名前どころか、どこから来たかということさえ語りませんでした。ただ、「わたしは結婚していないのですが、お腹には赤ちゃんがいます。どうしようもなくて、自殺するつもりでリシケーシに来たのですが、その勇気がありませんでした」と語っただけでした。
 グルデーヴは、世間の人たちがするような中傷的な質問はもちろんのこと、何一つ彼女に訊ねませんでした。
 彼女は、身につけているもの以外、何も持っていませんでした。グルデーヴは新しいサリーをすぐに二、三枚届けさせ、彼女のためにだれかの部屋を空けさせました。これらすべてのことが三十分もしないうちに行われたのです。
 彼女はここで二、三ヶ月ほど暮らしました。その後、グルデーヴは女性信者の一人を彼女につけ、出産のために他の町に行かせました。そして子どもが生まれたと聞くと、グルデーヴは、以前から養子を欲しがっていた信者の夫婦宛に手紙を書きました。彼女が子どもを連れてここに戻って来ると、その夫婦に子どもを託しました。こうしてすべてが終わったのです。

 正しいことを行うのに恐怖などありません。しかし、恐怖を感じないということと、傲慢な態度とは違うということを忘れないで下さい。
 傲慢さからではなく、また、人が何を考えているかを気に悩むのではなく、正しいことなら恐れることなくされるべきなのです。
 「アバヤ」(無恐怖、安全)横柄さや傲慢さとはまったく異なるものです。横柄さや傲慢さは*ラジャスティックであり、まったく非精神的なものですが、無恐怖は、「あらゆるものが一つである」ということを理解したうえで生じるのです。
 ヨーギーが「あらゆるものが一つである」ということを本当に悟ったときにだけ「無恐怖」は生じるのです。それは何かに反発することによって生まれるものでもなければ、傲慢さから生じるものでもありません。「あらゆるものが一つである」ということを悟った当然の結果として起こることなのです。
 わたしたちは、このことをスヴァーミー・シヴァーナンダの中にははっきりと見ることができました。
グルデーヴは生まれつき謙譲な方で、グルデーヴご自身の方からいつも適応されていました。ですから、グルデーヴの場合、争ったり反抗したりということは一度もありませんでした。
 カルマ・ヨーギーにあるべきもっとも基本的な性質は、どんなときでも、いつでも、適応したり、順応したり、調整したりする用意ができているとうことです。それができないならば、カルマ・ヨーガはできません。神や人に奉仕することはできません。
 人や物事に対して、自分のほうから適応したり、順応したり、調整したりするのは、決して自分の心が弱いからではありません。立ち上がることができないから、仕方なく服従するということでもありません。それは優れた智慧の現われなのです。
 ですから、ここで言っている「無恐怖」とは、普段わたしたちが考えているような「恐いもの知らず」とはまったく異なるものなのです。
 恐いもの知らずの人というのは、一般には世間の意見などものともしない反抗的な人を指します。しかし、グルデーヴの「無恐怖」は、何が正しいかを悟ったことから生まれたものです。ウルデーヴの行為は、世間の意見に反発してではなく、世間のいうことをまったく恐れないところから出ているのです。
 グルデーヴは、自分の考えや信念について、他の人と議論したり、抗議に応じたりはしませんでした。自分の哲学で、相手を説得するということもしませんでした。
 たとえば、ある問題について語り合っていて、グルデーヴのほうが間違っているように思えたときなど、「分かったよ。お前のよいと思う方法でやってみなさい」と言われることがよくありました。しかし、結局は後になって、グルデーヴが正しく、わたしたちのほうが間違っていたと、ということがよくあったのです。
 見知らぬ人が議論をふっかけてきても、グルデーヴは決してその論争に巻き込まれることはありませんでした。その人が言ったことを徹底的に、そしてたいへん忍耐強く聞かれていました。そして、チャーイやフルーツや本を差し上げたのです。これでは論争など起こりようがありません。
グルデーヴは、無恐怖とは「あらゆるものが一つである」という理解に立脚しているということをご存じでした。そして多分、グルデーヴはわたしたちがいつか、そのことをちゃんと理解するということを信じていてくださったのだと思います。
 なぜならば、わたしたちあらゆるものは「一つ」であるからです。

*ブラフマン:梵、大宇宙、大いなるもの。万物の背後にある最高原理。ヴェーダーンタ哲学(一元論)では、このブラフマンと真実の自己(アートマン)とは同一であると直感することを説く。
*パラマーナンダ:シヴァーミー・シヴァーナンダの初期の高弟。
*「クンブ・メーラ」:クンブは「壷」、メーラは「人の集まり」の意味。ヒンドゥー教の大祭りの一つ。ハリドヴァール、ウッジャイン、ナースィク、アラハバードの四聖地で順番に行われ、開催地には数十万の聖者や信者が集まる。
*ハリドヴァール:ガンジス河上流にある北インドの代表的な聖地。リシケーシの近くにある。シヴァ派の人たちはハルドヴァールともいう。

コメント:シヴァーナンダさん、そしてお釈迦様は一度も論争に巻き込まれることはなかったと言います。相手が言ったことを徹底的に、とても忍耐強く聞くという受け皿の広さはいったいどのくらい広かったのでしょうか…。わたしたちは自分の身に何か問題が起こるとつい自分の経験した独自の哲学で、相手を説得しようとしてしまうことが多いように感じます。特に身近にいる家族は遠慮というものがなくなりますから論争へと向かいやすいのではないでしょうか。自分の受け皿について問われた気がします。日々のヨーガの継続によってさまざまな気づきをいただきますね。

コメント:シヴァーナンダさんの考え方、行為から正しい生き方を教えていただきます。ヨーガとの出会いは私たちに「真理を知りなさい」と語りかけているようです。ラーガ(執着)から起こるバヤ(恐怖)から解放されるには、真理を知るためにヨーガのpracticeとlearningを継続することが大切なようです。心は直ぐに、強いものや楽な方に巻き込まれてしまうからいつでも正しい識別ができる環境であるように準備しておかなくてはいけないのでしょうね。ヨーガから学ばせていただきましょう♪


13.06.01

Category { お知らせ }
Comments  { 0 }

6月カレンダー

【6月の特別講座】

坐学『インドの叡智』
ヨーガは二つの車輪を同時に廻し、確かな歩みを続けるのです。気づきを常にもって。
その車輪はヨーガ実習(アーサナによるカラダとココロの修養)とヨーガ哲学を学ぶことです。ヨーガの実習に加えて、インドの歴史から哲学・智慧を一緒に 学びませんか。

日程:6月7・21日(金)  ※毎月第1・3金曜日
時間:18:30~20:30
場所:代々木八幡区民会館 ※下記地図参照
講師:成瀬 貴良氏
受講料:3,500円/1回 または9,000円/3回
申込み:メールまたは指導員まで

《座学『バガヴァッド・ギーター』》
『バガヴァッド・ギーター』=神の詩を学びます。
人類を導くために、主なる神(クリシュナ)が一個人としてこの地球に出現され、神自らがこの心理を語っています。私たちに大きな恩恵を与えてくれる大切な神のことばが残されています。日々の生活に活きる。清らかに生きる術がここにあります。

日程:6月16日(日) ※毎月第3日曜日 
時間:10:00~12:00
場所:喜多見区民会館
講師:早野 智子
費用: 2,500円/1回 または6,000円/3回
申込み:メールまたは指導員まで
     info★tryambakam.jp
     (★を@に置き換え下さい)

《成瀬貴良先生の代々木八幡クラス》
Y.L.S.グループの専任講師でいらっしゃる成瀬貴良先生。
先生のレッスンが、月2回代々木八幡で行われます。
指導員・研究員も受講しています。ご一緒にいかがですか?  ※振替対象のクラスです

日程 :6月14・28日(金)の2回
時間 :19:00~20:30
場所 :代々木八幡区民会館
     (小田急線代々木八幡駅より徒歩6分)
     【住所:東京都渋谷区代々木5-1-15/ 
            電話:03ー3466-3239】
受講料:2000円/1回 
※振替される方はご連絡をお願いいたします。
※受講料金は1回ごとになります。(振替の方は無料)
※畳の部屋での実習のため、ヨーガマットは必要ありません。

代々木八幡区民会館


Page 4 of 4« prev1234