3月23日㈰
昨日1000より滞りなく開講式を執り行い、善き春の日に種まきをスタートすることができました。
これまであってのこの日であり、この日がすべてを語りこれからを見つめています。
土地が、人が、暮らしが、風が、音が、空が、光が…地球が喜ぶようなひとかけらになれたらと願いながら…はじまりました。
どうぞ狛江校ともども盛岡校含め、通り過ぎた人々が元気になるような場所となりますように!また世界中の気付きの場が、ヨーガの場がいっそう煌きますように!
コトをすれば
コトがうごく…
たくさんのお花やお祝いを頂戴致しました。
みなさまのこのようなお心やお言葉を励みに致します。
また…、
この三年目になりますが、時間を共にさせていただき、目の奥深くに黙黙とふんばる、黙黙とすべきことを全うする、黙黙と祈るようにはたらく姿を見せてくださった岩手県岩泉の皆様、
小本の皆様、
また揺るがぬ縦糸に、折に折にと重なっていくさまざまなモノもまた含めた全体が、やっぱりそれでも時の姿なのだと教えてくださった「てしごと」……。
ありがとうございます。すべてが今の力の源となっております。明日の力の源となっております。これから現れていく力となってゆくと思います。
引き続き心で共に歩み、時の中の時を怒らず、焦らず、ほほえみ受け入れ歩み、互いにシェアしながら育みたいと思います。
節目の開講式を終えましたところで始まりです。
どうぞよろしくお願いします。
本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』では、わたしたちをいつもあたたかく導きくださる成瀬貴良先生著、『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしお伝えしております。 月2回、8日と24日に配信。 著者よりご許可をいただいての配信。 多くの方の目に触れ、心に触れ、奉仕慈愛の心「SERVE」「LOVE」「GIVE」からはじまる愛のヨーガがひろまりますように!今回は2部の17章〈エゴの発見〉の項をお伝えします。
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19 〝愛“ ―――それが神です
グルデーヴの愛と思いやり
かつて、グルデーヴが腸チフスに罹ったことがありました。病気になって15,6日がたち、容態が最も悪化していたとき、スヴァーミー・クリシュナーナンダジーがいつものように、その日のスケジュールを相談しにやってきました。
クリシュナーナンダジーが部屋に入るやいなや、グルデーヴは言われました。
「オーム 聖者クリシュナーナンダさん。お元気ですか。身体の調子はいかがですか」
グルから訊ねられたことは必ず答えを返さなくてはなりません。クリシュナーナンダジーは答えました。
「はい、スヴァーミージー。おかげさまで元気です」
グルデーヴは重い病で寝込んでいましたし、付き人もたまたまどこかに行っていて、部屋の中にはだれもいませんでした。それなのに5分もの間、グルデーヴはクリシュナーナンダジーの健康についていろいろとお訊ねになったということです。このような行為の中にこそ、本当の誠実さや優しさ、そして真実があるのではないでしょうか。
これもやはり同じ病気に罹っているときのことでした。グルデーヴは、ある年老いたパールシー(拝火教徒)の婦人が、ガンジス河の河原にじっと座っているのを見ました。
グルデーヴは私にいいました。
「彼女のところに行って、なぜそこにずっと坐っているのかを聞いてきなさい。そして、昼食を用意しているかどうか訊ねて、もし何も持っていないならば差し上げなさい」と。
わたしだったら、このときのグルデーヴのように瀕死の状態においてもなお他人を心配することができるかどうか、まったく自信がありません。自分がそんな状態なのに、河原に坐っている老女をしてあげられる愛とはいったい、なんなのでしょうか。
グルデーヴは、自分の身体がこのような極限状態にあってもなお、他人の幸福や快適さを考えてあげられることができたのです。
これがグルデーヴの愛だったのです。そして、ここシヴァーナンダ・アーシュラムが成り立っているのも、この愛によってなのです。
このシヴァーナンダ・アーシュラムの命運をずっと担ってきたチダーナンダジーやクリシュナーナンダジー、*マドヴァーナンダジーのような偉大な聖者たちによって放たれているのは、この愛なのです。
グルデーヴの愛と同じ愛が、彼ら聖者たちからもあふれ出ているのです。私たちが護られ、導かれているのは、これと同じ愛によってなのです。
グルデーヴの行為や言葉、考えの中には、心や精神や魂だけでなく、その人格のすべてがありました。グルデーヴは全身全霊の人だったのです。存在のすべて、人格のすべてが、いつでも神と一つに調和されていました。ですから、グルデーヴが何か難しい表情をされるときは、いつでもわたしたちのためにされていたのです。グルデーヴが弟子に忠告するのは、その弟子にとって重要なことだからなのです。
あなたが離れれば離れるほど、グルデーヴは愛を注いでくださいます。そして、あなたが少しでも近づいていけば、グルデーヴご自身のやり方で磨き輝かせてくださいました。本当にごく稀にしかなかったとはいえ、グルデーヴが叱ったり忠告したりするときでさえ、わたしたちはグルデーヴの中に普通では見られない愛情を見ることができました。グルデーヴは愛情に満ちあふれています。とりわけ、わたしたちの健康に大きな関心を持ってくださいました。
与え続けたグルデーヴ
グルデーヴが最も歓んで行われたのは、プラサードを分け与えることでした。1947年、グルデーヴの60歳の誕生日記念祝賀会が行われました。アーシュラムにはラドゥ(グルデーヴの大好きなお菓子)が山と積まれていました。
誕生日前後に集まって着た3,4千人の人たちにラドゥが振る舞われました。郵便局の下にある部屋には、ラドゥがそれでもまだ天井まで積み上げられていました。それから数日間、グルデーヴは至福に満ち、天国にいるかのようでした。ここに来た人たちは誰でもラドゥを持ちきれないほどいただきました。このように、食べものやフルーツ、プラサードなど、人に何かを分け与えることが、グルデーヴの何よりの歓びだったのです。
「アーシュラムは狭くなったね。食べものをもらう人たちの列がやがて、アーシュラムから*ラクシュマン・ジュラーまでずっと続くときがくるだろうよ」
同じ日に、グルデーヴはこうも言われました。
「お金の問題がやっと一つ片付いたと思ったら、また別のお金の問題がやってくるね」
当時、アーシュラムは6カ月ごとに財政危機を迎え、わたしたちは破産寸前で、借金を返すこともできず、食べるものさえありませんでした。
グルデーヴはさらに言われました。
「お金は入ってくるよ。お前が1日かかっても数えきれないほどのたくさんのお金が入ってくるよ」と。
グルデーヴが言われたことは、どんなことでも現実になりました。
なぜでしょうか?グルデーヴは何も望まなかったからです。何も求めなかったからです。
アーシュラムが大きくなった後も、グルデーヴはガンジス河近くの小さな小屋に住みつづけました。そこは不健康なところで、ジメジメしていて寒く暗く、決して快適なところとは言えません。
しかし、グルデーヴはそこがたいへん気に入っていて、よそに移る気など全くありませんでした。それにもかかわらず、一方では、わたしたちが快適に暮らしているかどうか、とても心配してくださっていました。
わたしたちの身体や健康に関するグルデーヴの配慮は特別なものがありました。もちろん、それがすべてではありません。私たちが精神的成長をするようにとアーシュラムは創られたのです。
グルデーヴはプラサードを配るときだけではなく、精神的な本やご自分の本を配ることにも歓びを持っていました。グルデーヴの本は世界中の何百人もの人たちに無料で送られましたが、小包の送料もすべてアーシュラムで支払っていました。
グルデーヴはこうして送られる本の1冊1冊にご自身で手を触れられ、祝福されました。グルデーヴはよく言われていました。
「こうして何千マイルも離れている受取人に手渡しているんだよ」と。
グルデーヴという方は、与えて、与えて、与えて、与え続けられた人でした。それは、虚栄心からでも、見返りを期待していたからでもなく、ただただ、純粋で聖なる愛の行為からのみ続けられたものです。
グルデーヴの愛は、まさしく奉仕そのものでした。食べものを与え、知識を授け、そして、あらゆる状況において自分自身を与えられました。
わたくしが今までずっと語ってきたことが、神聖なる存在であるグルデーヴの輝ける特性なのです。そして今日、わたしたちはその方の足元で愛につつまれているのです。
◇◇◇用語解説◇◇◇
*マドヴァーナンダ:スヴァーミー・シヴァーナンダの高弟の一人。シヴァーナンダ・アーシュラムの現副総長。
*ラクシュマン・ジュラー:ヴァーナンダ・アーシュラムよりガンジス河を数キロ上流にさかのぼったところにある吊り橋。
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コメント:シヴァーナンダさんのように与えることに一切の虚栄心や見返りを持たず、与えることに歓びを感じることのできるような人になれたらいいなぁ…近づいてゆきたい、そういった気持ちにさせてくれる方です。いつかシヴァーナンダ・アーシュラムに自分の足で訪れ、目で見て、感じ、そこで手を合わせる日を楽しみに待ちながら!!日本での日々を送りたいと思います。最後に、ネットを通じて毎月の書下ろしを読んでくださったみなさま、本の翻訳をされた成瀬先生、本に出会うきっかけをくださった早野さん、一緒に書下ろしの作業をした長又さん、本当にありがとうございました。この先もシヴァーナンダ・ヨーガの本を通じて愛に触れる機会が沢山の方々に訪れることを祈っています。ハリ・オーム^^
コメント:ある日、一冊の本と出会いました。それは、『シヴァーナンダ・ヨーガ』。書き下すという作業を与えられました。ヨーガを学び始めて間もないころ、与えられた役割として始まったのですが…読んでいると、ヨーガをしている時と似ている感覚になるのです。
身体から、内側の心や知識へも響いてくるような。
シヴァーナンダさんの心が、お弟子さんへと伝わり、著者の成瀬先生、師である早野先生、共に書下ろし作業をして下さった聡美先生と私自身に届いています。
そのエッセンスは、クラス、家族、子ども達、友人にまで広がって、やがて皆が平和でいられるのではないかしら。
でも、触れていなくては忘れてしまう私たちです。これからも多くの方がこの大きな愛と出逢いますように。om om om・・・
3月23日 AM10時30分 Web中継のリンクです。
10分前から入る事ができます。
http://1608765.videoconference.talkfusionlive.com/golive/m/De8uerr0p7Y1WXmD
リンクをクリック後、青色のEnter Guest Nameのところに、あなたのお名前をローマ字で入力してください。
リンクをクリック後、青色のEnter Guest Nameのところに、あなたのお名前をローマ字で入力してください。
大波がざんぶりと岩泉町に、
或いは
流星がぜんたいを照らしに、
岩泉町でハタ・ヨーガ実習の会が行われます。
隔週でおこなってまいりましたが、22日の㈯午後に成瀬貴良先生が来校されて、先生自らが誘導してくださいます。
是非、是非岩手県にお住まいの方は、
或いは東京からでも訪れたかった方はよい機会ですからお越しくださっては?
コースは時間的に許せば
岩泉町は小本、三陸まで脚をのばしまして「織り織りのうた」工房より手織りヨーガマットを受取にもいきますので、際に工房を見ることができます。織り手さんにも会えます。
我々の時間をお知らせしますので、便乗されたい方は連絡ください。
1100 盛岡駅集合
1200 トリャンバカム・ヨーガ・センター盛岡出発
1400 (織り織りのうた工房)
1500 岩泉町町民会館にて
【ハタ・ヨーガ】実習(成瀬貴良先生のご誘導)
1430 終了・質疑応答
1700 盛岡へ移動
1900 盛岡到着・解散