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14.03.11

Category { サット・サンガ }
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スヴァミジ来日祭壇
本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』では、わたしたちをいつもあたたかく導きくださる成瀬貴良先生著、『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしお伝えしております。 月2回、8日と24日に配信。 著者よりご許可をいただいての配信。 多くの方の目に触れ、心に触れ、奉仕慈愛の心「SERVE」「LOVE」「GIVE」からはじまる愛のヨーガがひろまりますように!今回は2部19章「“愛”―それが神です」の<グルはわたしたちの手本><愛の権化―スヴァーミー・シヴァーナンダ>をお伝えします。

グルはわたしたちの手本
 わたしたちはこれまでに、聖なるグル、スヴァーミー・シヴァーナンダの哲学や教えを真剣に学んできましたが、終わりにグルデーヴの人柄や生き方を詳しく見ていきたいと
思います。
 なぜならば、グルデーヴの哲学や教えというのはグルデーヴの生き方から生まれたものだからです。グルデーヴの生き方がグルデーヴの教えであり、グルデーヴの教えがグルデーヴの生き方そのものであったからです。
 グルデーヴは講義されることはめったにありませんでしたが、非常に沢山の著書を残されました。その内容はほとんど、インドの伝統的な教えを伝えることに当てられていました。しかし、伝統的な教えを伝えるということの中にも、そこにはしっかりと、グルデーヴの特徴ともいうべきものが入っていました。
 その最大の特長は、もっとも難しい局面をいとも簡単なことのように見せたり、悪意に満ちた事実を魅力的なものに見せてしまうというものでした。グルデーヴの生き方と教えの中には、ユーモアのセンスと、言葉では言い表せないほどの誠実さがあったのです。

 わたしたちが「愛」について語るとき、そこには本当の愛とはほど遠い、誤った概念が存在していることがあります。そこでわたしたちは、本当の愛とはこういうものであると理解するために、グルデーヴのような方を見なくてはならなかったのです。
 同じように、本当の修行とはこうあるべきであるということを知るために、グルデーヴのような方を見なくてはならなかったのです。
 しかし、なぜグルデーヴのような方を必要とするのでしょうか。そのような聖者のまねをするためなのでしょうか。聖者のまねをすることによって、わたしたちも聖者になれるというのでしょうか。
 答えは「いいえ」です。模造ダイヤモンドはときには本物のダイヤモンドよりきらめくことがあるかもしれませんが、模造はあくまで模造です。価値がありませんし、役にも立ちません。同じように、偽の聖者というのも、その中身は空っぽなのです。
 『バガヴァット・ギーター』の中にすばらしい詩があります。

 最上の者が何かを行なえば、他の人びとも同様に行う。彼が手本を示せば、人びとはそれに従う。

 わたしはこのことについて、肯定するつもりも、否定するつもりもありません。なぜならば、さらに深い言葉がクリシュナによって語られているからです。

 わたしが自分の行為に従事しなければ、人びとはわたしの道に従うであろう。わたしが悪い手本となれば、人びとはそれに従うであろう。

 人生の手本となるべき聖者や偉大なヨーギーとお会いしたとき、わたしたちの中ではどんなことが起るのでしょうか。
 たとえば、ラーマやブッタ、*ラーマクリシュナや*ヴィヴェーカーナンダ、シヴァーナンダや*ダヤーナンダ、*グルナーナクの信奉者に何が起こったのでしょうか。彼らはみなすばらしい聖者ですが、わたしたちは彼らと一緒に何をしたのでしょうか。
 人びとは彼らの教えをまったくないがしろにして、彼らのために寺院を建てました。それどころか、もし彼らの生き方にある種の不完全さや欠点を見たとしても、人びとはその不完全さにさえついて行こうとしたでしょう。
 このことは、「わたしが悪い手本となれば、人びとはそれに従うでしょう」と、クリシュナが語ったとおりです。

 わたしたちは、自分の中にこれらの聖者たちの放つ「香り」、あるいは「雰囲気」のようなものを吸い込むように試みなくてはならないのです。吸い込まれた「香り」や「雰囲気」
は、わたしたち自身の魂に影響を与えたり、さまざまな形で表に現れるかもしれません。
 それはちょうど、食べたものが活き活きとした身体をつくるように、眼や耳を通して入って来たこれらの真実もまた、わたしたちの心に吸収され、生きた真実となるのです。

 愛の権化―スヴァーミー・シヴァーナンダ 
スヴァーミージーは愛の権化のような方でした。その愛は、センチメンタルとかロマンチックという言葉から連想されるようなものではなく、神聖なものでした。それは、わたしや皆さんが知っている愛のすべての形を含んだ、たいへんすばらしいものでした。
 グルデーヴの愛を語るとき、わたしたちはグルデーヴの「性質」と「教え」との二つを見るようにしなくてはなりません。そうしなければ、グルデーヴの愛を理解することはできません。
 性質については、グルデーヴは幼少時代から、あらゆるものの中に神を観、愛していたようです。

 あらゆる現象に神を観なさい。
 あらゆるものの中にいる神を愛しなさい。
 あらゆるものの中にいる神に奉仕しなさい。

 これは、グルデーヴのもっとも好きな言葉であり、たびたび引用されていましたが、グルデーヴにとっては、これは単なる考えや言葉ではなく、生きた真実だったのです。わたしはそのことを、グルデーヴの幼なじみだったという人から聞いたことがありました。
 彼は若いころ、グルデーヴがマレーシアにおられた当時、コックとして仕えていた人でした。
 後に、グルデーヴが出家して俗世間から姿を消してしまったとき、彼はグルデーヴを探してインド中を歩き回ろうと思ったそうです。
 これが、グルデーヴというすばらしい人が持っていた愛であり、磁石のように人をひきつける魅力でした。
 その彼が、グルデーヴとここ(アーシュラム)で再会してから、再びコックとして滞在するようになり、やがてはスヴァーミーになったのです。
ここでわたしたちが気づかなくてはいけないのは、このコックにグルデーヴへの愛情を持ち続けさせることになったのは、グルデーヴがスヴァーミーになったときでも、悟りに達したときでもなく、まだマレーシアで医師働いていたときだったということです。
 
十年ほど前、わたしはマレーシアに行き、グルデーヴが若いころに過ごされたという場所を熱心に訪ね歩いたことがありました。そして、五十年以上も前にグルデーヴが医師として働いていた場所を訪れ、医師としてグルデーヴをいまだに覚えているという老人に会うことができました。
当時は、その老人も若かったに違いありません。きっと、まだ十代だったのではないでしょうか。彼は言いました。
「はい。今でも覚えていますよ。あの方はなにか特別な人でしたから」
 グルデーヴの持っていた、特別なものとは何だったのでしょうか。
 さらに、老人は言いました。
 「それぞれの患者は、ひとりの人間として、大切に扱われました」
 その老人によれば、患者のことを番号として扱ったり、症状―たとえば肺、心臓、鼻というように―だけで扱うような他の医師たちとは違って、グルデーヴはひとりの人間として扱ってくれたということでした。
 グルデーヴにとってはすべての人が大切であり、事実、患者の一人ひとりを礼拝していたということです。グルデーヴの神への礼拝は患者という形をとっていたのです。
ごく普通の薬が使われていた時代で、それに従わない医師はやぶ医者だと考えられていましたが、グルデーヴは重い病気の患者などにはよく、薬と一緒にトゥラスティーの薬を与えていました。
 グルデーヴはマレーシアでもよくプージャーを行っていましたが、重い病気の患者には
トゥラスティーの薬を渡し、こう言っていました。
 「わたしはただの医者にすぎません。あなたをほんとうに救って下さるのは神さまです。わたしはあなたのために一生懸命お祈りをしました。これはプラサート(供物)です」と。
 グルデーヴが住んでいた当時の家の中庭にはトゥラスティーの樹がたくさん植えられていました。
 患者を神さまのように扱い、薬を与え、プラサートを与え、愛を与え、彼らのために祈るよう、この若い医師の心を動かした愛とはいったい、なんだったのでしょうか。
 先ほどのコックをしていたというスヴァーミーがわたしたちに語ってくれたところによると、グルデーヴは当時、患者の場合にはそうしていたようです。そんなとき、コックであった彼は、そういう患者にもグルデーヴ同様に奉仕したということです。
 病気がよくなっても、グルデーヴは患者がお金に困っていれば治療代は請求しませんでした。そればかりか、自分のポケットマネーを上げることさえしていました。
 おもしろいのは、医師グルデーヴはそのときはまだ別にサンニャーシンになろうとは考えておらず、ごく一般的な医師だったということです。近ごろの医師はお金に興味があるようですが、当時、グルデーヴが興味を持っていなかった唯一のものがお金でした。
 患者には貧しい人たちばかりではなくお金持ちもいましたので、自然とお金は豊かに入ってきました。しかし、お金はすぐにその手から擦り抜けていってしまったようです。

 小さいときのグルデーヴはたいへんないたずら好きでしたが、愛情あふれる優しい子でもありました。ずっと後になって、学校の仲間や友だちなど、昔の仲間がここ(アーシュラム)にやって来ました。半世紀たっても大勢の人たちの記憶に残っている、この少年からあふれていた愛情とはいったい、なんなのでしょうか。友だちばかりではありません。学校時代の先生や郵便局長も、後になってここ(アーシュラム)に滞在しています。
 グルデーヴがパッタマダイ(南インドにあるグルデーヴの生まれ故郷)に帰ったとき、すでにこの地を離れて半世紀もたっているのに、大勢の人たちに讃美され、たいへんな歓迎を受けました。わたしたちは、“預言者は自分の生まれ故郷では尊敬されない”という諺が間違っているということを目の当たりにしました。
 グルデーヴは生まれ故郷でたいへん尊敬されましたし、今日でも尊敬されています。パッタマダイ駅のプラットホームに立ったとき、彼は言いました。
 「わたしはここで生まれました。いつまでここの村人のひとりです」と。
 村でグルデーヴが古い親戚や知人に会ったとき、そこにあるのは純粋な信愛であり愛情でした。そこには、「わたしは聖者であり、お前たちはただの俗人だ」などという尊大な態度はいっさい見られませんでした。わたしたちも、グルデーヴがそのような尊大な態度をとられる姿をただの一度もみたことがありません。
 グルデーヴはまた、弟子を自分より下のものとして扱ったことは決してありませんでした。わたしたち弟子が挨拶をする前に、グルデーヴのほうからいつも手を握ってこう言われていました。
 「聖者さん!ご機嫌いかがですか!」
 その言葉には愛情があふれていました。決して単なる言葉や挨拶ではありません。単なる挨拶ならばわたしたちにだってできるかもしれませんが、グルデーヴのお言葉は、なんともいえない味わいあるものでした。

コメント:一昨年10月、シヴァーナンダ・アーシュラムよりヨーガスヴァルーパーナンダジーが来日されたとき、講話の中でおっしゃっていた言葉が印象的でした。この頁に出逢い思い出されました。「お花を見てください。花弁を見てください。なんて柔らかいのでしょう。なんていいか匂いがするでしょう。私たちの身体はそのように柔軟でないとなりません。わたしたちの身体は、本来そのようにいい匂いを出さないといけません」と。
この頁では、聖者たちの放つ「香り」「雰囲気」のようなものを吸い込むように試みなくてはならないのです。吸い込まれた「香り」「雰囲気」は、わたしたち自身の魂に影響を与えたり、さまざまな形で表に現れるかもしれません。と説いています。
自身から放つ香りや雰囲気は、周囲に影響を与えたり、また他から受け取ったりするものです。いい香りを放つ考えをできるよう、美しい言葉に触れ、身体を柔軟に保つことがこの「香り」や「雰囲気」を作り出すのかもしれません。


14.03.09

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Scheduleのみ貼紙
こんにちは。
盛岡の舞う雪に「さむーい」とまだまだ未熟でございます。
雪降る盛岡ももうすぐ春。
今、ゆっくり土地を耕しています。
ホームページやブログもまだ作成しておりません。
ちらしといった宣伝もまだでした。
体験ご希望の方、こちらを参考にご覧ください。

合掌
ヨーギ二ー:早野智子


14.03.09

Category { トリャンバカム・ヨーガ・センター盛岡 }
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第1回 サット・サンガ
トリャンバカム・ヨーガ・センター盛岡 第1回目のサット・サンガはアーティスと山崎文子氏によるHeart Artの集い。山崎氏がここトリャンバカムへ訪れ、ヨーガ体験後にその場でオファーがありました。空間の力か?!山崎氏の導きで描かれる波動はどんなArtを奏でるのでしょう。ヨーガの瞑想の後に実践するという、ヨーガとArtが奏で合います。

突然の来訪体験でも受け付けます。
ご自由にお越しください。

合掌


14.03.08

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本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』では、わたしたちをいつもあたたかく導きくださる成瀬貴良先生著、『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしお伝えしております。 月2回、8日と24日に配信。 著者よりご許可をいただいての配信。 多くの方の目に触れ、心に触れ、奉仕慈愛の心「SERVE」「LOVE」「GIVE」からはじまる愛のヨーガがひろまりますように!今回は2部19章「“愛”―それが神です」の<グルはわたしたちの手本><愛の権化―スヴァーミー・シヴァーナンダ>をお伝えします。
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 グルはわたしたちの手本
 わたしたちはこれまでに、聖なるグル、スヴァーミー・シヴァーナンダの哲学や教えを真剣に学んできましたが、終わりにグルデーヴの人柄や生き方を詳しく見ていきたいと
思います。
 なぜならば、グルデーヴの哲学や教えというのはグルデーヴの生き方から生まれたものだからです。グルデーヴの生き方がグルデーヴの教えであり、グルデーヴの教えがグルデーヴの生き方そのものであったからです。
 グルデーヴは講義されることはめったにありませんでしたが、非常に沢山の著書を残されました。その内容はほとんど、インドの伝統的な教えを伝えることに当てられていました。しかし、伝統的な教えを伝えるということの中にも、そこにはしっかりと、グルデーヴの特徴ともいうべきものが入っていました。
 その最大の特長は、もっとも難しい局面をいとも簡単なことのように見せたり、悪意に満ちた事実を魅力的なものに見せてしまうというものでした。グルデーヴの生き方と教えの中には、ユーモアのセンスと、言葉では言い表せないほどの誠実さがあったのです。

 わたしたちが「愛」について語るとき、そこには本当の愛とはほど遠い、誤った概念が存在していることがあります。そこでわたしたちは、本当の愛とはこういうものであると理解するために、グルデーヴのような方を見なくてはならなかったのです。
 同じように、本当の修行とはこうあるべきであるということを知るために、グルデーヴのような方を見なくてはならなかったのです。
 しかし、なぜグルデーヴのような方を必要とするのでしょうか。そのような聖者のまねをするためなのでしょうか。聖者のまねをすることによって、わたしたちも聖者になれるというのでしょうか。
 答えは「いいえ」です。模造ダイヤモンドはときには本物のダイヤモンドよりきらめくことがあるかもしれませんが、模造はあくまで模造です。価値がありませんし、役にも立ちません。同じように、偽の聖者というのも、その中身は空っぽなのです。
 『バガヴァット・ギーター』の中にすばらしい詩があります。

 最上の者が何かを行なえば、他の人びとも同様に行う。彼が手本を示せば、人びとはそれに従う。

 わたしはこのことについて、肯定するつもりも、否定するつもりもありません。なぜならば、さらに深い言葉がクリシュナによって語られているからです。

 わたしが自分の行為に従事しなければ、人びとはわたしの道に従うであろう。わたしが悪い手本となれば、人びとはそれに従うであろう。

 人生の手本となるべき聖者や偉大なヨーギーとお会いしたとき、わたしたちの中ではどんなことが起るのでしょうか。
 たとえば、ラーマやブッタ、*ラーマクリシュナや*ヴィヴェーカーナンダ、シヴァーナンダや*ダヤーナンダ、*グルナーナクの信奉者に何が起こったのでしょうか。彼らはみなすばらしい聖者ですが、わたしたちは彼らと一緒に何をしたのでしょうか。
 人びとは彼らの教えをまったくないがしろにして、彼らのために寺院を建てました。それどころか、もし彼らの生き方にある種の不完全さや欠点を見たとしても、人びとはその不完全さにさえついて行こうとしたでしょう。
 このことは、「わたしが悪い手本となれば、人びとはそれに従うでしょう」と、クリシュナが語ったとおりです。

 わたしたちは、自分の中にこれらの聖者たちの放つ「香り」、あるいは「雰囲気」のようなものを吸い込むように試みなくてはならないのです。吸い込まれた「香り」や「雰囲気」
は、わたしたち自身の魂に影響を与えたり、さまざまな形で表に現れるかもしれません。
 それはちょうど、食べたものが活き活きとした身体をつくるように、眼や耳を通して入って来たこれらの真実もまた、わたしたちの心に吸収され、生きた真実となるのです。

 愛の権化―スヴァーミー・シヴァーナンダ 
スヴァーミージーは愛の権化のような方でした。その愛は、センチメンタルとかロマンチックという言葉から連想されるようなものではなく、神聖なものでした。それは、わたしや皆さんが知っている愛のすべての形を含んだ、たいへんすばらしいものでした。
 グルデーヴの愛を語るとき、わたしたちはグルデーヴの「性質」と「教え」との二つを見るようにしなくてはなりません。そうしなければ、グルデーヴの愛を理解することはできません。
 性質については、グルデーヴは幼少時代から、あらゆるものの中に神を観、愛していたようです。

 あらゆる現象に神を観なさい。
 あらゆるものの中にいる神を愛しなさい。
 あらゆるものの中にいる神に奉仕しなさい。

 これは、グルデーヴのもっとも好きな言葉であり、たびたび引用されていましたが、グルデーヴにとっては、これは単なる考えや言葉ではなく、生きた真実だったのです。わたしはそのことを、グルデーヴの幼なじみだったという人から聞いたことがありました。
 彼は若いころ、グルデーヴがマレーシアにおられた当時、コックとして仕えていた人でした。
 後に、グルデーヴが出家して俗世間から姿を消してしまったとき、彼はグルデーヴを探してインド中を歩き回ろうと思ったそうです。
 これが、グルデーヴというすばらしい人が持っていた愛であり、磁石のように人をひきつける魅力でした。
 その彼が、グルデーヴとここ(アーシュラム)で再会してから、再びコックとして滞在するようになり、やがてはスヴァーミーになったのです。
ここでわたしたちが気づかなくてはいけないのは、このコックにグルデーヴへの愛情を持ち続けさせることになったのは、グルデーヴがスヴァーミーになったときでも、悟りに達したときでもなく、まだマレーシアで医師働いていたときだったということです。
 
十年ほど前、わたしはマレーシアに行き、グルデーヴが若いころに過ごされたという場所を熱心に訪ね歩いたことがありました。そして、五十年以上も前にグルデーヴが医師として働いていた場所を訪れ、医師としてグルデーヴをいまだに覚えているという老人に会うことができました。
当時は、その老人も若かったに違いありません。きっと、まだ十代だったのではないでしょうか。彼は言いました。
「はい。今でも覚えていますよ。あの方はなにか特別な人でしたから」
 グルデーヴの持っていた、特別なものとは何だったのでしょうか。
 さらに、老人は言いました。
 「それぞれの患者は、ひとりの人間として、大切に扱われました」
 その老人によれば、患者のことを番号として扱ったり、症状―たとえば肺、心臓、鼻というように―だけで扱うような他の医師たちとは違って、グルデーヴはひとりの人間として扱ってくれたということでした。
 グルデーヴにとってはすべての人が大切であり、事実、患者の一人ひとりを礼拝していたということです。グルデーヴの神への礼拝は患者という形をとっていたのです。
ごく普通の薬が使われていた時代で、それに従わない医師はやぶ医者だと考えられていましたが、グルデーヴは重い病気の患者などにはよく、薬と一緒にトゥラスティーの薬を与えていました。
 グルデーヴはマレーシアでもよくプージャーを行っていましたが、重い病気の患者には
トゥラスティーの薬を渡し、こう言っていました。
 「わたしはただの医者にすぎません。あなたをほんとうに救って下さるのは神さまです。わたしはあなたのために一生懸命お祈りをしました。これはプラサート(供物)です」と。
 グルデーヴが住んでいた当時の家の中庭にはトゥラスティーの樹がたくさん植えられていました。
 患者を神さまのように扱い、薬を与え、プラサートを与え、愛を与え、彼らのために祈るよう、この若い医師の心を動かした愛とはいったい、なんだったのでしょうか。
 先ほどのコックをしていたというスヴァーミーがわたしたちに語ってくれたところによると、グルデーヴは当時、患者の場合にはそうしていたようです。そんなとき、コックであった彼は、そういう患者にもグルデーヴ同様に奉仕したということです。
 病気がよくなっても、グルデーヴは患者がお金に困っていれば治療代は請求しませんでした。そればかりか、自分のポケットマネーを上げることさえしていました。
 おもしろいのは、医師グルデーヴはそのときはまだ別にサンニャーシンになろうとは考えておらず、ごく一般的な医師だったということです。近ごろの医師はお金に興味があるようですが、当時、グルデーヴが興味を持っていなかった唯一のものがお金でした。
 患者には貧しい人たちばかりではなくお金持ちもいましたので、自然とお金は豊かに入ってきました。しかし、お金はすぐにその手から擦り抜けていってしまったようです。

 小さいときのグルデーヴはたいへんないたずら好きでしたが、愛情あふれる優しい子でもありました。ずっと後になって、学校の仲間や友だちなど、昔の仲間がここ(アーシュラム)にやって来ました。半世紀たっても大勢の人たちの記憶に残っている、この少年からあふれていた愛情とはいったい、なんなのでしょうか。友だちばかりではありません。学校時代の先生や郵便局長も、後になってここ(アーシュラム)に滞在しています。
 グルデーヴがパッタマダイ(南インドにあるグルデーヴの生まれ故郷)に帰ったとき、すでにこの地を離れて半世紀もたっているのに、大勢の人たちに讃美され、たいへんな歓迎を受けました。わたしたちは、“預言者は自分の生まれ故郷では尊敬されない”という諺が間違っているということを目の当たりにしました。
 グルデーヴは生まれ故郷でたいへん尊敬されましたし、今日でも尊敬されています。パッタマダイ駅のプラットホームに立ったとき、彼は言いました。
 「わたしはここで生まれました。いつまでここの村人のひとりです」と。
 村でグルデーヴが古い親戚や知人に会ったとき、そこにあるのは純粋な信愛であり愛情でした。そこには、「わたしは聖者であり、お前たちはただの俗人だ」などという尊大な態度はいっさい見られませんでした。わたしたちも、グルデーヴがそのような尊大な態度をとられる姿をただの一度もみたことがありません。
 グルデーヴはまた、弟子を自分より下のものとして扱ったことは決してありませんでした。わたしたち弟子が挨拶をする前に、グルデーヴのほうからいつも手を握ってこう言われていました。
 「聖者さん!ご機嫌いかがですか!」
 その言葉には愛情があふれていました。決して単なる言葉や挨拶ではありません。単なる挨拶ならばわたしたちにだってできるかもしれませんが、グルデーヴのお言葉は、なんともいえない味わいあるものでした。
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コメント:あらゆる現象に神を観て、あらゆるものの中にいる神を愛し、あらゆるものの中にいる神に奉仕されたお方だということが本を読んでいても伝わってきます。シヴァーナンダさんの愛のバイブレーションは半世紀以上過ぎ、この世に存在しなくなった今現在でさえも響き続けているようです。こうして直接お会いしたことがない私でさえも、シヴァーナンダさんの愛をいただいたように思います。愛という名の種を私たちの心の中に蒔いてくださいました。私たちは心に豊かな大地を作り、頂いた種を大切に育て続ける努力をしなくてはなりませんね。

コメント:一昨年10月、シヴァーナンダ・アーシュラムよりヨーガスヴァルーパーナンダジーが来日されたとき、講話の中でおっしゃっていた言葉が印象的でした。この頁に出逢い思い出されました。「お花を見てください。花弁を見てください。なんて柔らかいのでしょう。なんていいか匂いがするでしょう。私たちの身体はそのように柔軟でないとなりません。わたしたちの身体は、本来そのようにいい匂いを出さないといけません」と。
この頁では、聖者たちの放つ「香り」「雰囲気」のようなものを吸い込むように試みなくてはならないのです。吸い込まれた「香り」「雰囲気」は、わたしたち自身の魂に影響を与えたり、さまざまな形で表に現れるかもしれません。と説いています。
自身から放つ香りや雰囲気は、周囲に影響を与えたり、また他から受け取ったりするものです。いい香りを放つ考えをできるよう、美しい言葉に触れ、身体を柔軟に保つことがこの「香り」や「雰囲気」を作り出すのかもしれません。

シヴァーナンダ


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