キールタン・ヨーガの会
■毎月第3週目(金)
■11:00−12:30
■喜多見地区会館
インドはリシケーシュ シヴァーナンダ・アーシュラムに訪れていたとき
マンガラン・ヨーガ・ピートの川崎あき子先生、高唱されるキールタンの響きは心地よく
数曲を教えていただいたのをいつも思い出します。
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サンキールタンはあなたの心や精神、霊性への食べものです。
サンキールタンは強壮剤のようなものでしょう。
サンキールタンは粉々のようになっているあなたの精神力に、芳香なる治癒を与える影響力があります。
サンキールタンは天上の甘露です。
ブラフマフールタ(神の時間帯)と夜にサットサンガをすることによって、あなたはいつも甘露を飲むことができるでしょう。
完全なる自己の放擲と供犠を信頼して献身的に捧げることが強い精神力と熱意になります。
たいていの人は、胸の内に希薄な喜びを得たいという願望を抱き続けているもので、それらが途方もないほど巨大な割合を占めています。
それらは献身的な行為として現れて来ないものです。欲望とエゴという二つの妨害は自己へ譲渡してしまいなさい。
Swami Sivananda
第3週目(金)は
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』ハタ・ヨーガの学習会
参加者の声
毎月の会を楽しみにしています。
ヨーガのみならず生きる知恵を古代の先人に学ぶようです。
和やかな時間です。一緒に読んでもらいませんか?ひとりで読むと自分で解釈してしまうのですが、読んでもらうとまっすぐ学べる感じです。
ハタ・ヨーガの教典は幾冊か書かれています。
単独で日本語に訳されているものは佐保田鶴治博士の原文訳のみのもの。
サンスクリット語より日本語訳をされ
解説を加えた本が出版された2014〜16年。
著者成瀬先生の解説でヨーガを深めます。
学習会の前には…
キールタンを練習しています。
キールタンを体験されてみたい方、是非覗いてみてください。
4本のロウソクが静かに灯りました。
ここはとても静かで柔らかなところです。
ロウソクらが話している声が聞こえてきます…
1本のロウソクが言いました。
「私は平和です」
「世界は怒りと戦いに満ちています。
誰も、私を灯しておくことができません。
」
そのときPeaceの炎は完全に消えました。
2本目のロウソクが言いました。
「私は信頼です!」
私はもはやこのまま灯り続けることはできません。
たとえ
どんな一瞬でも灯り続けたとて意味をなしません。
ちょうどその時、微風が3本目のロウソクに火を灯しました。
「私は愛です!
」
人々は私の重要性をあまりに当たり前のもとのして置き去りにし理解していません。
人々は最も近くにいる人々を愛しているのさえ忘れてしまいます。
そして、もはやLoveは炎を待たないこといって消えてしまいました。
そのとき
突然子供が部屋に入ってきました。
3つの消えたロウソクを見ました。
「どうして君たちは灯っていないの?まだ最後まで燃え尽きていないのにどうして消えちゃったの?
そう言って子供は泣き始めました。
そのとき4つ目のキャンドルが応えました
「怖がらないで」
「私は‘望み’です!
」
私が燃え尽きるまでの間、わたしたちはお互いの炎を再び灯すことができるのだから。
輝く目で子供は‘望み’を手にとって、他のロウソクを灯しました。
「私たちは愛です。」
…‘望み’の炎は消えますが、あなたの人生から消されることは決してないでしょう!
私たちは‘望み’とともに ‘平和’‘信頼’‘愛’それぞれをあなたの内に灯すことができます。
祈:
「どうかカミサマ。私の輝きへお救いください。
あなたさまは私の望みです。
どうか私のハートに宿ってください。そして、私のすべての罪をお許しください。人生の入口への偉大な贈り物をお与えください。
どうかわたくしをあなたの手脚にしてお救いください。あなたの愛の一部に、多くの人々やわたしの思考を照らす輝きの一部にしてください。アーメン。」
名前はサンサーラの輪廻に縛りを解き浄化する解毒剤のような影響力をもっています。それは永遠であり絶えることのない安らぎのアムリタ(甘露)のように授かったのです。ヤマ(戒めの教示)が守れず、恐れて神の名前を唱えるものですが神はあなたを戒めることはなさいません。名前をいつも勇敢に唱えなさい。
神はあなたのすべてが快活であるように導いてくださいます。人生のゴール、それは本来のあなたである神の実現です。あなたの日々は至福の繁栄で楽しい人生となるでしょう!
サンキールタンはあなたの心や精神、霊性への食べものです。サンキールタンは強壮剤のようなものでしょう。サンキールタンは粉々のようになっているあなたの精神力に、芳香なる治癒を与える影響力があります。サンキールタンは天上の甘露です。ブラフマフールタ(神の時間帯)と夜にサットサンガをすることによって、あなたはいつも甘露を飲むことができるでしょう。
完全なる自己の放擲と供犠を信頼して献身的に捧げることが強い精神力と熱意になります。たいていの人は、胸の内に希薄な喜びを得たいという願望を抱き続けているもので、それらが途方もないほど巨大な割合を占めています。それらは献身的な行為として現れて来ないものです。欲望とエゴという二つの妨害は自己へ譲渡してしまいなさい。