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私にとって、台所に向かうこともヨーガです。
‘いただくもの=身体の糧となり力となるもの’を「拵(こしら)える。」「きちんと向き合う。」
ヨーガによってゆっくりと身体が浄化され、心が解かれていくと・・・
その後の生活を見つめる時間が生まれます。
自然とお食事にも意識が向けられていくことでしょう。
日々のサーダナの中に、食事つくりや掃除、洗濯と家事もみんな入っています。
アーサナをただまっすぐと行うように、今日も向き合っています。
ここでは、そんな『ごはんごと』を紹介しています。

vol.172 ―ヨギトモ―シヴァーナンダさんの言葉 7月

2010.07.30

Category { 食べもの }
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今日の午後はクラスがなく、読書タイムだ~^^。モグモグタイムは胚芽パンの野菜サンドとチャイ。

今日の午後はクラスがなく、読書タイムだ~^^。モグモグタイムは胚芽パンの野菜サンドとチャイ。

メールが届きました。
かつて、私が3回目のインド訪問の時、
シヴァーナンダ・アーシュラムで部屋を共にしたヨギトモであります。
語学堪能な方で、
こうして月に1回、最近はシヴァーナンダさんの言葉を
真希ちゃんさんなりの解釈で訳され送って下さいます。
ご本人のご許可を得まして
こうして、ここからも発信しますね~

Happiness is in one’s own self, and not in objects.
Happiness comes when the individual merges in God.
幸福とは自分自身の中に存在するものであり、対象である物には存在しない。
幸せは、自己が神に同化することによってもたらされるのである。

シバナンダジの他の教えから
対象物は、私達に喜びや楽しみを与える事はできません。
心の中に欲望があると、心はラジャス(激質;物事が変化するエネルギー)で満たされます。すると心は、興奮し落ち着かず不穏な状態に陥ってしまいます。この動揺した心の状態は、欲している対象物が手に入りそれで満たされるまで続く事になります。そして対象物を得てそれを楽しみ味わうと、今度は心から考える力が抜け落ちてしまいます。心の機能が一瞬消え失せてしまうのです。
もし心がサットワ(純質;光、真実、清浄)で満たされると、心は純粋なる自己であるアートマンに向かっていきます。心が外にある対象物ではなく、自分のうちに向かい始めるのです。純粋なる自己の至福が心に反射して満たし、対象物からの楽しみなどは存在しない事実に気付くのです。
至福とは、自己のうちにある魂そのものなのです。無知な人々は喜びを対象物から得ようとしますが、これは全くの間違いなのです。

Om Shantih 真希子

ありがとうございます。
観想する早野・・・・。
 そう、神との同化といってもよくわからないかもしれないですが、
それはとっても自然なことのように私はこの頃感じるのです。
例えば、先日「クラスの様子」で紹介した
富士山の8合目で景色を見ていたら
自然と感謝の念が湧いてきた
という会員さま。
全うして向き合っていると、
心のバランスはとれ、
この大自然と一体となり、
心は今に満足し、外へ向かなくなります。
すると愛に包まれ、
全てが神であることを感じるのです。

今日の私も、
この言葉を読み、
富士山の景色を思い、
そして、今、狛江での幸福の時間を噛みしめています。
今ここに神はあり、
全ての方が、
環境が、物が、神です。

ハリオーム

夕ご飯もコツコツとキッチンに迎えました。
暑いので土間でご飯じゃ~

リンリンリンリ~ン(ご飯ができると鐘のなる早野家)
「グルジ様~今日の終わりの恵みじゃよ~」

枝豆に、ひじきにキンピラ、大根、向こうには隠元の煮もの。食べきれませんね。「次はいつご飯に出会えるかか解りませんから、食べられるときにたべてくださいね~。」「えっ0。0(グルジ)」

枝豆に、ひじきにキンピラ、大根、向こうには隠元の煮もの。食べきれませんね。「次はいつご飯に出会えるかか解りませんから、食べられるときにたべてくださいね~。」「えっ0。0(グルジ)」

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