愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
前回10月24日は、マレーシアでの医師シヴァーナンダさんの青年時代を紹介しました。今日11月8日(毎月8日、24日)は、出家への道までを『シヴァーナンダ・ヨーガ』よりお伝えしたいと思います。
(毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。)
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前回のつづきです。
(10/24のブログです)
3 出家――絶対的な安らぎを求めて
出家
若い医師クップスワミの中に宗教的な資質や傾向が少しずつ芽生え始め、*サンニャーシンや*サドゥーの仲間を求め、宗教や哲学の本を頻繁に読むようになるようになりました。本箱はこれらの本であふれ、夜遅く起き出して読み耽ることもしばしばでした。
サンニャーシンや*ヨーギーが近くを通ると、たくさんのお布施を持たせました。時には数日間滞在させ、彼らが汽車で次の目的地に向かうときには、ファースト・クラスの切符を渡していました。
あふれるほどの豊かな思いやり、心からの慈しみ、貧しい人たちへの奉仕は、若い医師クップスワミの精神性を高め、精神生活の支えになりました。
しかし、クップスワミはこの頃から、この世が不幸と災いに満ちていることにとても悩むようになりました。どうすればこの世に平和と安らぎが訪れるかということを真剣に考えていたのです。周りの人たちは、いつも元気なクップスワミがまったく元気を失い、何か考えこんでいる姿を眼にして心配になりました。
後に、この頃のことを次のように語っています。
「この人生の中で、毎日の事務的な仕事よりも、もっと高い使命はないのだろうか一時的な悦びや快楽よりも、もっと高度な、そして永遠の幸福はないのだろうか。なんて人生は不確かなものなのだろう。この世に存在しているものは、なんと脆いのだろう。この世は病気、心配事、不安、恐怖、失望などに満ちあふれている。名前や形あるものは絶えず変化している。時はとても早く過ぎてゆく。この世の幸福への期待は、苦痛と悲しみと絶望に終わってゆく」
実際、医師であるクップスワミの周りは、どこに行っても、肉体的にも精神的にも苦しみ悩んでいる人たちばかりでした。彼の心は、貧しさや病気で苦しんでいる人たちのために血を流し、その悲しみがクップスワミの心を引き裂きました。
このような人生における重大な時期に、彼は病気で苦しんでいるサードゥを診察するということがありました。サードゥは、クップスワミの献身的な看病を喜び、彼の中に何か高貴な霊的輝きを見、やがて世界的な指導者になるであろうことを予言します。サードゥは、彼に何冊かの本を読むように言い、彼を祝福しました。その中の1冊はヴェーダーンタ哲学の本でした。クップスワミも、神がこのような機会を下さったに深く感謝しました。貧しく、病気で苦しんでいる聖者への無私の看病が、クップスワミを最新的な道に導きいれたのです。
無私の行為を通して心が純粋になるにつれ、クップスワミは新しいヴィジョンを得るようになりました。清純な優しさと神聖な輝きに満ちた「家」があるというヴィジョンです。そこには絶対的な安らぎや、永遠の幸福感が満ちています。このような家は、自己実現を通してしか得られないということを実感したのです。
クップスワミはある聖典の言葉を思い浮かべました。それは「平静さを得た日が、この世を離れる最善の日である」という言葉です。
そして、ついに病院を去る決心をします。
決心した次の日はマレーシアを発ち、母国インドに向かい、まっすぐ生まれ故郷に戻りました。久しぶりに息子の顔を見た両親は大喜びです
クップスワミはしかし、皆があわただしく歓迎の準備をしている間にどこかにいなくなってしまいます。家族の者たちは古い友人に会いに行ったのだろうと思い、夕飯までには帰ってくるものと思っていましたが、何時になっても戻ってきません。
心配した家族が手分けをして近所中を探し回りましたがどこにもいません。見つからないのも当然です。皆が捜し回っているとき、クップスワミは駅で、北へ向かう汽車を待っていたのですから。そうとは知らない家族の人たちは何日も何週間も待ちました。しかし、クップスワミは二度と家には戻りませんでした。
1923年(36歳)、クップスワミは無一物で、神の導きだけを頼りに遊行の旅(パリブラージャカ)に出たのです。
南インドの生まれ故郷を去って数日後、クップスワミはマドラスから汽車でベナレスに向かいました。ベナレスは大勢の人たちであふれていました。彼は北インドの言葉であるヒンディー語や北インドの風習がわかりませんでした。たとえば、チャーイ(インド紅茶)を素焼きのカップで飲むということも初めての経験でした。何も知らないクップスワミがカップを洗って返そうとすると、店の店主は嫌な顔をして怒鳴りました。「一度使ったカップは捨ててくれ!」と。迷った彼は主人の言うとおりにして、その場を立ち去りながら考えました。こういう経験は、ここで生きてゆくためには払わなければならない「税金」のようなものだと。
ベナレスでは、有名なヴィシュヴァナート寺院(シヴァ派の寺院で、黄金寺院とも呼ばれる)に詣で、神に祈りを捧げていると感動でいっぱいになり、熱い涙が頬を伝わってきました。後にその時のことを次のように語っています。
「ヴィシュヴァナート神はわたしに新しい光を与えてくださりました。過ぎ去った人生のいろいろな思い出は消え去りました。そしてヴィシュヴァナート神自身が私のグルだと感じました。」
クップスワミは修行のため人里離れた場所を求めていたのですが、ベナレスは聖地とはいえ、喧噪の絶えない近代的な都会でした。そのうえ冬だったので、南インドのクップスワミにとっては、ベナレスの寒さは死ぬほど辛いものでした。
そんな様子を見ていた親切なサマリア人が彼に毛布を与えてくれました。この毛布はクップスワミが受けた最初のお布施となりました。そのサマリア人はクップスワミから事情を聴くと、パンダルプルというところ教えてくれて、切符までくれました。
パンダルプルではサンニャーシンのように托鉢をして家々を回りましたが、初めから上手にできたわけではありません。クップスワミはそれまで人にものを与えることはあっても、人にものを乞うという経験は一度もありませんでした。村に入り、静かに人に近づいてみその耳元で囁くのです。
「わたしはマドラスのバラモンですが、お腹が空いています。何か食べ物をいただけないでしょうか?」
大きな男にいきなり耳元で囁かれて驚いた人も、クップスワミの高貴な顔つきを見て何かしら与えてくれました。
このように托鉢も大変でしたが、雨に濡れて冷たくなった身体を、藁のなかで乾かしながら1夜を明かすことも、並大抵のことではなかったでしょう。
坊主頭に裸足、粗末な衣服を身につけた見習い僧は遊行を続け、ときには何マイルっも食事施しを受けられないまま歩かなくてはならないこともありました。あまりの空腹のために、野生のイチジクや、黄から落ちたアマカラの実を食べることもありました。しかし、このような遊行生活は、忍耐や平等観を学ぶとてもよい機会でした。
*サンニャーシン:放棄した人。修行者。隠遁者。仕事・地位・財産・家族など世俗的なことをすてて精神世界に生きる人。
*サドゥー:修行者、遊行者
*ヨーギー:ヨーガ行者
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『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、深めているSatomi です。
記事として書き落とすことで更なる学びを得ています。
今回は、シヴァーナンダさんがいよいよ出家の道へと歩み始めたところまでを書き写してみました。皆さんはこの状況を理解できますか?初めて読んだ時に、少々抵抗があったことを思い出します。家族や仕事すべてを捨てて出家の道を生きることなどは、到底日本の生活では無縁だからです。ですが…子供が成人し、自分自身も仕事を終え隠居生活をするようになった頃、もしかしたら…?そうしたいと考える日がやってくるのかな、と想像することもできるようになりました。
ハタ・ヨーガの現れる以前。出家した限られた者だけしか精神世界の道を歩むことはできませんでした。ブッタの出現後、その枠は取り払われてゆきます。在家でも、出家をせずとも、俗世の社会生活の中にいながら、精神の行を歩めるようになります。現に今われわれもこうしてヨーガ行を気軽に学んでいます。出家する、しないという問題よりも、どこにいても同じであるということを、出家前のシヴァーナンダさんの伝記に学びます。いつも慈悲の心で人と接し、無私の奉仕の行為を続けること自体ヨーガの行為そのものです。
一緒にこのページを担当し、学んでいる指導員の長又です。
クップスワミ(後のシヴァーナンダさん)の中に宗教的な傾向が芽生え始め、それまでの無私の行為がクップスワミの心を一層純粋にし、意(こころ)はこの世の永遠の幸福を求めていくことになるわけですね。無私の行為が心を純粋にしていく…。そうですよね~、いつも純粋でありたいと願っていても、実際に純粋にならない、落ち着かない心をコントロールする事は到底難しいですね。。。この本に書かれている内容を読むことは、日常の私達の心の在り方の状態や純粋になる経過の道を自然に与えてくれ、導いてくれるように思います。また、直感と神の導きだけを頼りに旅に出、そこで今まで味わった事のない辛い経験や出来事であっても肯定的に受け入れる姿勢はいつでも心に留めて置きたい姿です。この考えがあれば、災いが降りかかってきたとしてもそれを『私だけが・・不幸』という思いを心に抱かなくてすむようになるのですね。色々な教えが詰まったこの本を読んでいくことは自分の心と向き合うこができるヨーガと同じです。
私たちY.L.S.グループの顧問であられる成瀬貴良先生が来校してくださる月1回のサンガ。
成瀬貴良先生のことをよく知らないという方もいらっしゃるでしょう。
ヨーガによる恩恵を難しくなく、やさしいことばでわかりやすく簡単に説いてくださる先生です。
11月は、今週12日です。
移り変わる季節は秋から寒い冬へ。
自然の育む力に礼拝です。
誕生・維持・破壊・再生の清らかさを
愛おしく感じます。
サット・サンガはそんな尊い命の力に気付ける場。
善き集いは、善きを育みます。
成瀬先生の38年間のヨーガ人生の知識は、今、あふれるように日本のヨーガ界を揺るがしています。ポーズやアーサナだけのヨーガから、哲学を通してヨーガを知りたい方が増えています。したがって2012年は様々なヨーガ団体からの声がかかり、また、執筆活動もありまして狛江でのサンガを毎月実施することは不可能になりました×××。
こうして継続的に狛江でレッスンくださるのも、のこり2回です。2012年、時々は来てくださるかもしれませんが〜。
互いにとって貴重な「時」=「場」が培われましたね。
どうぞ、みなさま、のこり11月12月の2回です是非一度ご受講くださいませ。
この日はチャリティーレッスンです。
わたしたちひとりひとりをつないでいるもの、
それは、まぎれもなくヨーガであります。
プログラムは下記の通り
9:00−10:00 プラーナーヤーマ〜瞑想へ(早野)
10:10−10:30 講話「カルマについて」
※スヴァーミー・サティヤナンダ氏の講話録より(成瀬)
10:30−12:00 朝ヨーガ(成瀬)
12時からお食事を一緒にしたい方、どうぞ〜
来月が先生をお呼びすることのできる最後のサンガです。
12月17日(土)
優しい温かさ毛糸&モヘア。女性は首と付く名の体部は冷やすべからず!
トリャンバカムの会員さんを中心に、「なかなかいいわ」「あたたかい」の声をいただいている何ともカワイイ【メヘンディー調 甲あて】。被災地仕事支援活動の一環である商品 【織り織りのうた】手織りヨーガ・マットと同じように、ヨーギー、ヨーギーニーさんの心に留まり、使っていただけたらと思います。たくさんのお買い上げが直接被災地と被災者の支援金になります。(これまで支援いただきた皆様の寄付金も、この活動を力つよく支えました。心からの支援が形となったのです☆)
【織り織りのうた】とセットでご注文される方が多いので【編み編みのうた】とでも名付けましょうか(笑)?
さて、ニュースです!
男性用がでましたあ〜パチパチ。男性会員さまお待たせしましたっ。
一編み一編みの温かさに感覚が研ぎ澄まされるようです。
冬バージョンで、綿糸+モヘアのあったか【靴下タイプ】がまもなく販売スタート!
カラーはこれまで通り◇ピンクローズ
◇セージグリーン
◇シーブルー
◇サンドベージュ
足首から全身に温かさが広がり一層心地よい時となることでしょう。
さらに!
この可愛いメヘンディの「編み編み会」を開催いたします。下記の通りです。『編み方を教わりたい』『編み手として手伝いたい』と名乗りを上げて下さる方集まれ~という企画です。全くの初心者で、『本当に基本から知りたいです』という人もどうぞどうぞ。編みたい気持ちがあれば、丁寧にマンツーマンでお教えします。
早速近日なのですが、ご都合が合いましたら是非参加されてください。
日時:11/12(土)
時間:12:20頃〜昼食。その後13:00頃~14:30
※昼食をご一緒する方、昼食後に参加、いずれも自由にどうそ。
場所:プルワリ(狛江南口フレッシュネスバーガーの裏手)
持ち物:カギ編み棒(2〜3号)・糸切りバサミ
※毛糸はこちらで用意をします。
参加費:無料
講師:斎藤早苗さんや土山さんや、坂野さんです。
支援プロジェクトを長く続けることの意味を感じています。
この時代(特に2011年は大変な年でしたね)に生まれた者たちの、正しい「生きることの理解」に通じていくのではないかと感じています。
2011.3.11をいつも心の目で感じていること。感じ続けることは、私たちの瞳を、正しく、冷静に『今』を見極める目とするのではないでしょうか。
必要なこと。不必要なこと。役割…人の目指すところ…。
被災者手しごと作品【織り織りのうた】の受注説明会が泉の森会館2階で開催されました。被災地へ支援活動に足を運びながら思い綴ったことは、こうして被災者に手仕事を作ることでした。そんな時に調布の織り工房〈ニットカフェ悠遊さん〉寺崎慈子先生の支援もあり、手織りヨーガ・マットを作品にしていく流れとなりました(詳しくは被災地復興支援こころの灯をともす会ブログをご覧下さい。)
そのニットカフェ悠遊さんの手織り作品展が11/3泉の森会館2階で催され、この場を一部お借りして実際被災地の織り手さんが織った【織り織りのうた】を展示し受注説明会とさせて頂きました。来場された多くの方々は、マットを手に取り興味深く話を聞かれていきました。また、泉の森2階カフェは寺崎先生の作品や生徒さんの作品が数十点並び手織りのぬくもりを感じるアトリエと変化していました。色とりどりの糸と織り作家さん達の心が奏でる本当に素晴らしい作品ばかりです。15時半~は、シャンソン歌手でもある寺崎先生のミニ・コンサートが始まり、メッセージ性のある歌詞と心に響く歌声が会場を包み、聞いた者皆が≪今≫を考えた一時だったのではないでしょうか。【織り織りのうた】に込められた思いや纏わる話にも展開し、とても優しい空気が狛江の森に流れました。このアトリエ悠遊さん作品展と【織り織りのうた】の展示は6日まで行われていますのでお時間がありましたら是非お寄り下さい。
気付きと優しさに満ちた時を過ごした長又でした。有難うございました☆