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-本の紹介編-『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社 成瀬貴良編訳)

2011.12.26

Category { サット・サンガ }
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スヴァルガ・アーシュラム時代のシヴァーナンダ
愛と奉仕に生きた聖者の教え
『シヴァーナンダ・ヨーガ』
前回12月8日は、彼の行ったサーダナ、つまり彼自身が行った修行、実践の内容についてお伝えしました。今日12月24日(毎月8日、24日)は、スヴァルガ・アーシュラムの修行時代 について『シヴァーナンダ・ヨーガ』よりお伝えたいと思います。
(毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。)
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前回のつづきです。
(12月24日のブログです)
修行-スヴァルガ・アーシュラムの時代
スヴァルガ・アーシュラム
シヴァーナンダのリシケーシでの最初の2,3年間は、住むところも定まらない状態が続き、今日はここに、明日はあそこにというありさまでした。それを見ていた*スヴァルガ・アーシュラムの長老たちは、シヴァーナンダに小さな小屋を贈りました。
 スヴァルガ・アーシュラムの小屋に移ると、シヴァーナンダの存在はすぐにみなに知られるようになり、アーシュラムの長老も会う人ごとに、シヴァーナンダに会って教えを受けるようにと勧めました。
 シヴァーナンダは自叙伝の中で、スヴァルガ・アーシュラム時代のことを次のように語っています。
「わたしは歯を磨いたり、身体を洗ったり、服を洗濯したりすることに多くの時間を取るようなことはしませんでした。時間が惜しかったのです。それらを手早く済ませてしまうと、あまった時間を修行にあてました。かといって、身の回りのことを弟子や信者に頼るということは決してしませんでした。その頃のわたしは、修行や托鉢、手紙を書く時間など、きちんとスケジュールを決めていたのですが、徐々に多くの人たちが私に会いにくるようになり、わたしのスケジュールは少なからず影響が出てくるようになりました。そこでわたしは、アーシュラムの長老たちに許可をもらって、小屋の周りに柵をめぐらすようにしました。訪ねてくる人たちの前では、高度な哲学の話をしたり、知識を見せつけるようなことは決してせず、実践的なヒントを与え、1人5分以内で終わらせるようにしました。入口には『お会いするのは夕方4時~5時までにしてください。1人、5分以内にお願いします。』と掲示しました。
 冬の間は訪れてくる人があまり多くなかったので、瞑想に多くの時間をかけたり、散歩やキールタンにあてました。そして、2週間から1ヵ月ほど、スヴァルガ・アーシュラムを離れ、2枚の衣服と毛布を持ち、ガンジスの河原をさまよい歩くのです。家から家へと訪ね歩いては食料をもらいましたが、沈黙の行をしていたので、村人とは話もしませんでした。
 それからしばらくして、わたしは部屋からもまったく出ないで、食事もそれまでの托鉢でとっておいた堅くなったチャパティだけを食べるようにしました。そして、夜、ガンジス河のほとりや岩の上に坐って自然と1体となることが、とうじのわたしにとって名状しがたいほどの歓びでした」

 シヴァーナンダは身体を健康に保つために、*アーサナ、*プラーナーヤーマ、*ハタ・ヨーガの浄化法などを行いました。これらに加え、わずかにランニングなどの運動もしていました。
 規則的なプラーナーヤーマは、スヴァーミージーに無尽蔵のエネルギー、驚異的な記憶力、力強い声を与えてくれました。また、プラーナーヤーマによって患部にプラーナ・エネルギーを送り、素早く治すことができるようにもなりました。
 シヴァーナンダはたいへん厳しい修行を送っていました。朝4時に起きると、凍るようなガンジス河に腰まで浸かり、日が昇るまで*ジャパを唱え続けました。上ってくる太陽(神)に礼拝すると、ようやく河から上がり、急いで部屋に戻ると瞑想をし、9時になると部屋から出て、彼を待つ病人のところに行きました。彼らの世話をした後、素早く身体をあらい、あまり人の通らない道をクシュートラ(給食所)まで行き、食料をもらうと、帰りもなるべく人に会わないようにして戻りました。その間、ジャパやプラーナーヤーマをすることができました。
 食事を持ち帰ると、自分の分は部屋に残したままで、まずラクシュマン・ジューラーに行き、サードゥたちに配りました。それが終わるとまた部屋に戻ってきて、やっと自分の食事をとりました。
 午後はしばしば巡礼船でガンジス河を渡り、ラーマ・アーシュラムの図書館に行きました(雨季は船が出ないので、遠回りしてラクシュマン・ジューラーを渡りました。) 彼はいつも辞書を持っていて、解らない言葉はすぐに調べるようにしていました。たくさんの本の中でも、『ウパニシャッド』『ヴィヴェーカチュンダーマニ』『ヨーガ・ヴァシシュタ』『アヴァドゥータ・ギーター』などがお気に入りで、なかでも『ヴェーダーンタ』は、彼の好みの書物でした。
 シヴァーナンダは、1日のスケジュールに、自分の考えやアイディアや経験をまとめたり記憶したりする時間きちんと割り当てていました。しかし、わずかなお金さえも病人や困った人たちのために使ってしまっていたので、何か書きとめるにしても、捨てられていた紙くずや封筒を裏返しにしたものを使っていました。インクを使うお金もありませんでした。紙とインクがあったとしても、夕暮れになり明かりが必要になると、あきらめなくてはなりませんでした。ランプにあまり油がなかったのです。
*スヴァルガ・アーシュラム:スヴァルガとは「天国」の意味。古くからリシケーシにある大きなアーシュラム。シヴァーナンダがリシケーシで最初に住んだアーシュラム。
*アーサナ:本来は「坐、坐法」の意味であるが、さまざまなポーズをさす。『ヨーガ・スートラ』のアシュタンガ・ヨーガの1つであり、ハタ・ヨーガの重要な実習。
*プラーナーヤーマ:調気法。呼吸法。呼吸を通してプラーナを身体に取り入れる方法。『ヨーガ・スートラ』のアシュタンガ・ヨーガの1つであり、ハタ・ヨーガの重要な実習。
*ハタ・ヨーガ:タントラ系のヨーガ。身体や呼吸を使うことにより、潜在的なエネルギーを目覚めさせることを説くヨーガ。
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『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、深めているSatomi です。記事として書き落とすことで更なる学びを得ています。今回、プラーナーヤーマという言葉が出てきましたね。そして、“規則的なプラーナーヤーマは、スヴァーミージーに無尽蔵のエネルギー、驚異的な記憶力、力強い声を与えてくれました。また、プラーナーヤーマによって患部にプラーナ・エネルギーを送り、素早く治すことができるようにもなりました。”と書かれていましたね。
今月、火曜の朝ヨーガでは、ウッジャーイー・プラーナーヤーマをしました。日本に暮らす私達は、スヴァーミージーのようにとはいきませんが、どのようなペースだとしても、その人に合ったペースで規則的に継続して行くことが大切ですね。^^

一緒にこのページを担当し学びを受けている指導員の長又です。
修行に熱心なシヴァーナンダさんは、清潔さは保ちつつも決してそこに無駄に時間を掛けず規則的に日々のリズムを守っていたことが分かります。環境が変わったとしてもそれを受け入れ周りとの調和を大切にされていたのでしょう。
この項では、私達にも身近なアーサナ、プラーナヤーマ、ハタ・ヨーガの浄化法をシヴァーナンダさんも健康を保つために行っていたとありますね。アーサナで身体を柔軟にしプラーナヤーマでエネルギーを蓄え、ハタ・ヨーガの浄化法で清めることは長い歴史を経て私達の元に継がれてきました。ヨーガと皆様との出会いが素晴らしいことです☆
エゴに満ちたこの時代に優しさや慈悲深さを教えてくれるシヴァ―ナンダさんの行為に共に感化されていきましょう。
自然に戻る心地よさをココロとカラダで・・・

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