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-本の紹介編-『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社 成瀬貴良編訳)

2012.01.24

Category { サット・サンガ }
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シヴァーナンダ
愛と奉仕に生きた聖者の教え
『シヴァーナンダ・ヨーガ』
前回、前々回の2回にわたり、シヴァーナンダさんのスヴァルガ・アーシュラムの修行時代についてお伝えしました。今日1月24日(毎月8日、24日)は、修行のゴール(サマーディ)へと到達したところまでを『シヴァーナンダ・ヨーガ』よりお伝えたいと思います。
(毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。)
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前回のつづきです。
(1月24日のブログです)

サマーディ
訪ねて来る人が多くなりすぎて自分の修行に影響がでそうなとき、シヴァーナンダはよく、ガンジスの河原の岩陰に、マニコート丘の森に身を隠しました。特にお気に入りの場所は、急な流れに変わるガンジス川の中洲にある岩陰でした。夕暮れになると、シヴァーナンダはこれらの場所に行っては瞑想しました。突き出た岩のくぼみに座り、陽が沈むと、自分の小屋にこっそりと戻ってくるのです。
シヴァーナンダの瞑想の時間が徐々に長くなっていきました。1日に8時間になり、冬になるとさらに、12時間から16時間かけるようになりました。聖典の学習や医療行為はしばらく中断し、ただ深い瞑想だけに没頭するようになると、やがて真理を体験するようになりました。
この厳しい長時間の瞑想のため、クシェートラ(給食所)行きも中断し、担当者に頼んで4,5日分のローティをまとめて持ってきてもらいました。食事は、日にちがたって堅くなってしまったローティを粉々にしてガンジス河に持って行き、河の水と混ぜてペースト状にしたもので済ませ、急いで部屋に戻っていきました。
シヴァーナンダの人生には、無駄な時間は一切なかったのです。時間はとても大切です。1分でも無駄にしてはいけません。
“Sure Ways of Success in Life”の中で、スヴァーミージーは次のように語っています。
「時間はとても大切です。決して戻ってくることはありません。大変な速さで過ぎてゆきます。ベルが鳴った時には、死はもう眼の前に来ています。時計が時報を打つたびに、人生が1時間ずつ切り取られていくということを心に留めておきなさい。」
「人生は短く、時間は早く過ぎてゆきます。起き上がり、目覚め、真実の自己を悟りなさい。」
これらは、彼の教えを聞きに来た人たちに必ず語っていたスヴァミージーの簡潔な金言です。
「明日から生活を一新しますよ」と語る人たちに対して、スヴァミージーは心から論していました。
「それはいけません。明日などというのは愚かな人の言うことです。その明日はやって来ないでしょう。1日、1月、1年、1生が、あっという間に過ぎて行ってしまいます。いま、この瞬間から行うようにしなさい」と。

この厳しい修行の期間、シヴァーナンダは、多くの有名な聖者たちに祝福されるというヴィジョンを見ました。あるときシヴァーナンダは仲間との交際やおしゃべりを断ち、部屋のドアに鍵をかけると、深い瞑想の行に入りました。このような瞑想の日々が来る日も来る日も続き、ついに5年間が過ぎました。
そして、1930年(43歳)、スヴァミー・シヴァーナンダは、ついに修行のゴールであるサマーディに到達しました。この時のことを、シヴァーナンダ自身が次のように語っています。
「わたしは、質素な生活をすること、高貴な考えを持つこと、節食、深い勉強、瞑想、規則的な祈りをすることに特別の注意を払い、隠遁と沈黙の誓いを守ることに専念し、意味のない交際やくだらないおしゃべりから遠ざかりました。毎日、近くのラーマ・アーシュラムの図書館から本を借りてきては勉強しました。また、ちょっとした休憩が、厳しい修行に耐えるための精神的な強靭さをもたらしてくれました。何人かの聖者と親密になりましたが、決して形而上学的な討論で時間を費やすことはしませんでした。自己分析と自己反省がわたしのガイドとなりました。そして、多くの時間を瞑想やいろいろなヨーガを行ずることに専念しました。神秘的な知識はむやみに明かさないというのが伝統的な考えですが、少しでも求道者や修行者たちの助けになるならばと思い、わたしは自分の考えや経験したことを伝えることにしました。」

悟りを得た実際の日時や、その詳しい内容について、シヴァーナンダは何も語っていません。いろいろなことから推測すると、この深い瞑想状態の間に、ウパニシャッドの哲人やクリシュナ神のヴィジョンを見たようです。このことについて質問されると、シヴァーナンダは以下のように簡単に片づけてしまったそうです。
「スヴァルガ・アーシュラムでの瞑想や厳しい修行の結果、わたしは多くの聖者や賢人に会い祝福を受けました。神はクリシュナ神のお姿で私の目の前に現れました」と。
これがシヴァーナンダの経験したことのすべてではないでしょうが、このような悟りや解脱の境地、神秘的な経験を、人に説明することはもともと不可能です。リンゴを食べたことのない人にその味を説明するようなものだからです。
シヴァーナンダは自叙伝の中で、自分は修行につまずいたことも、迷ったことも、決してなかったと言っています。しかしそれは、修行中、いつも安楽な気持ちでいたということではありません。むしろ、慈悲深いシヴァーナンダは、普通の人たちよりも実に多くの苦悩を味わっていました。しかし、彼のうちから湧いてくる歓びや至福が、それら試練や苦悩に対する強い抵抗力となりました。
シヴァーナンダの心から輝く神聖なる知識は周りにいる人たちの無知を焼き尽くし、彼の口から出た言葉や書物は特別の輝きを放ちました。人びとは魅了され、彼の周りに集まりました。集まってきた人たちの多くは英語が理解できなかったにもかかわらず、彼はいつも英語で語りかけました。それでも彼らはシヴァーナンダの話に夢中になりました。シヴァーナンダのなかに「特別な何か」を見ていたからです。
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『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、深めているSatomi です。記事として書き落とすことで更なる学びを得ています。この本をに出会ったのは2007年11月。今回書き落とし紹介させていただいているスヴァミージーのお言葉にその当時、私が強く印象をうけた〝時間″という言葉があります。再びこの内容に触れる機会がこうしてめぐってきたことは、再認識しなさいよというシヴァーナンダさんからのメッセージなのかなという気もします。日常の生活の中で、私たちは、あとでやろう、もう少ししてからしよう、明日から!ということが多いのではないでしょうか?一新したいとそう心に決めたことは、まさにその瞬間からですよね。この気づきを再び与えてくださったシヴァーナンダさんに感謝したいとおもいます。

一緒にこのページを担当し学びを受けている指導員の長又です。
この項では時間の大切さを簡潔におっしゃっています。「時間はとても大切です。決して戻ってくることはありません」無駄な時間を一切作らず、慈悲深い行為と精神を高めるための厳しい修行によって、あらゆる苦悩に対する強い抵抗力を得たシヴァーナンダさんから出た言葉だからこそ皆の心に響くのでしょう。本当にそうです。情報や物に溢れるこの時代に、欲望を満たすために起こる感情にどれだけの時間を費やしているのでしょうか?しかし、時代も土地も違います。感じたままにシヴァーナンダさんの言葉を心に留め<今>を大切にすることで瞬間、空間、人との触れ合いに慈しみのココロが生れる気がします。共に心の中で繰り返し唱えてみませんか☆

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