トリャンバカム・ヨーガ・センターについて ヨーガ クラススケジュール 料金について よくあるご質問と体験者の声 アクセス/コンタクト 講師プロフィール
news/blog
お知らせ
YOGA生活
支援活動
レッスン前の話
クラスの様子

Warning: strip_tags() expects parameter 1 to be string, object given in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 20

Warning: include(/home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/.inc) [function.include]: failed to open stream: No such file or directory in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 21

Warning: include(/home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/.inc) [function.include]: failed to open stream: No such file or directory in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 21

Warning: include() [function.include]: Failed opening '/home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/.inc' for inclusion (include_path='.:/usr/local/php/5.3/lib/php') in /home/users/1/moo.jp-tryambakam/web/cms/wp-content/themes/tyc/archive.php on line 21
12.03.24

Category { サット・サンガ }
Comments  { 0 }

シヴァーナンダ③
愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、前回に引きつづき「シヴァーナンダの教え」を紹介します。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
**********************
前回のつづきです。

シヴァーナンダは、著書と月刊誌を発行するため、アーシュラムに印刷機を購入しました。弟子のうちの一人がシヴァーナンダに訊ねました。
「アーシュラムは瞑想をするところなのに、グルジーはなぜアーシュラムに印刷機を入れたのですか」
シヴァーナンダは答えました。
「それは無私の行為を通してお前たちが早く進歩するようにだよ。しかも、世界中の大勢の求道者たちにたくさんの本を配られるからね」
シヴァーナンダはアーシュラムに来た人たちみんなに著書を無料で配りました。弟子たちは、読み書きのできない人たちまでになぜ著書を配るのか理解できませんでしたが、「無学の者に配ることによって、彼らは読書のできる自分の子供たちに何が書いてあるのかを聞くことになります。そうすれば両方の勉強になるでしょう。あるいは、彼らは本を読める人や興味を持っているの人にあげるでしょう」というのがシヴァーナンダのねらいでした。
シヴァーナンダはできるだけ多くの人たちに精神的な智慧を伝えたいと思い、 1963年にマハー・サマーディに入るまで、 300冊以上の本をエネルギッシュに書きあげました。
忙しい毎日なのに、どうやってそんなに本を書く時間を見つけることができるのですかと言う弟子の質問に対して、次のように答えています。
「毎日、あるいは2日に一度でもいいからそのために一時間を割り当てるようにするんだよ。六ヶ月も経ったら、こんなにもできたかと驚くだろうよ」
「まず最初に、心のうちにそのための計画と方法を考えておき、それから実際に進めるんだよ」
アーシュラムの出版担当者は、タイプするようにとノートを預けられても、なかなかすぐには戻せませんでした。このためシヴァーナンダはたくさんのノートを持たなければなりませんでした。また、書きたいと思った時にはいつでも書けるようにと、書斎に何冊かのノートを置き、オフィスにもまた何冊かを置いていました。ペンも何本かもっていました。メガネも、書斎に、棚に、オフィスにと、いくつも置いていました。これらを探すのに無駄な時間を使うことがないようにです。
ライトも、ベットのすぐ側に、書斎の机の上に、くつろぐときに使う椅子の上にと何本かありました。たとえ真夜中であっても、良い考えが浮かんだらすぐに書き留められるようにしてあったのです。
かつて弟子の一人にこう言ったことがありました。
「わたしは書くことを止めることはないよ。眼が見えなくなるまで書き続けるよ。たとえ眼が見えなくなったとしても、きっと誰かに書き取らせるだろう。死ぬまで精神的な教えを広め続けたいと思っているよ」
シヴァーナンダは、文法に気を使ったり、高度な文体で書き上げると言うようなことは全く考えていませんでした。彼の主な関心は、できるだけ早く精神的な知慧を広めるということにあったからです。
「私はお前たちが、短時間で最高の精神性を見いだしてくれることを信じているよ」とマドラスの弟子に書いています。
シヴァーナンダは、書くという行為を通して奉仕をしていたのです。ペンは彼の武器ですが、それを優しく使いました。彼は激しく批判したり、強引に説き伏せるということをせず、自らの精神的な深さと知的な説得力によって書いたのです。自分の教えを読者に伝えるためには、あらゆる文学的方法をとりました。詩、劇、手紙、エッセイ、物語、え話、金言、講演録など、神聖なる知慧を広めるために、あらゆる手段がとられたのです。使われる言葉も大変簡潔なもので、明快でわかりやすく、生き生きとしています。
熱心な求道者がシヴァーナンダに訊ねたととしましょう、「今、私は何をしたらよいのでしょう?明日の朝は何時に起きたら良いのでしょう?スヴァーミージーは私が何をするのをお望みなのですか?」と。
このような修業者にとって、 シヴァーナンダの本は天からの恵みのようなものです。なぜならば、 100%実践的なものだからです。
**********************


12.03.18

Category { サット・サンガ }
Comments  { 0 }

菜の花と木と空 Photo by Sachiko Kawamura

菜の花と木と空 Photo by Sachiko Kawamura


日毎に和(のど)み、春の日差しが水面を照らし、水温む時を水底に隠れていた魚や水草が感じています。水辺に集う鳥、梢の息吹、漲る活力が満る春。大自然は全てが関わり合って「今」となって現れています。
それが私たちの瞳に映ります。頬に触れます。耳に響きます。香ります。…五感からの伝導が私の心を動かし、感動させる…そのように見えてくるのでしょう。見え方は人それぞれの感じ方。
ヨーガの時間は穏やかでゆるやか、まるで生命の源水が滔滔(とうとう)と流るようです…本来持ち備えている生命の力が湧き起こるようです。
…しかし、これも人それぞれの感じ方。その時の心のあり方で変化するのでしょう。時々で変化し続けるものですから本当は語ることができません。リアルに感じている「今」だけが事実。身体が存在しているから「ほんと」を、生命の力を感じることができるのですね〜。ああ、ありがたい!日々の変化を、瞬間瞬間の変化を見つめ、見護り、慈しみ、常に気付きましょう。その時「疲れ」は消え失せ、幸福と歓びと感謝だけになるかと思います。生かされている瞬間の連続だからです。「疲れ」を感じる時、自分自身が「やっている」とした時です。せねばならぬ連続の時もあります。その時は、それら全てを捧げていきましょう。やはり、慈しみの心で、社会に貢献することを捧げましょう。だれかの力となれば、それでいい・・・。

「滔滔(とうとう)」は、弛むことなくさかんに水が流るさま。甚だしいほどの水量を「ふんだん」といいますが、これは絶え間ないという意味の「不断」から転じた言葉です。「不断」であることが絶え間ない「滔滔」へ通じるのです。絶え間ない滔滔を続けることが唯一の架け橋、道程ということになります。その時「それ」が日々そのもの、時そのものとなるでしょう。合掌

まもなく、これまでの不動の場として毎日、毎日を過ごしたトリャンバカム・ヨーガ・センターを皆さんの感じるままの中へ委ね、私の身体は場を変え、新しい環境との育み合いをスタートさせます。
思うままにしばらく書いてようと思います。早野智子


12.03.17

Category { トリャンバカム・ヨーガ・センター盛岡 }
Comments  { 0 }

早朝の清水川(Photo by Satoko Yaegashi)

早朝の清水川(Photo by Satoko Yaegashi)


まもなく【織り織りのうた】の工房となる横には清水川が流れています。
この話を【織り織りのうた】ブログに掲載しております。こちらをご覧ください。


12.03.16

Category { サット・サンガ }
Comments  { 0 }

木はらっぱ水仙と友達 Photo by  Sachiko Kawamura

木はらっぱ水仙と友達 Photo by Sachiko Kawamura


ご報告があります。
春のきざし薫る3月11日、思い出せばこの世の出来事とは思えない、神話を見ているような光景から1年が経過し、先日3/8-11は三陸地方、岩泉町小本地区の慰霊祭に参列して参りました。
午後2時46分 1分間の黙祷のあとに慰霊祭が始まりました。冒頭の挨拶で司会者より次のような紹介がありました。
「この一年、被災後多くのボランティア団体がここ小本に訪れ我々を支え支援し、力添えくださいました。中でも、東京都狛江市より支援有志会『三陸のともしび』の皆様には、毎月皆様で訪問いただきヨーガの指導や支援物資、寄り添いをいただきました。本日も参加くださっています。ありがとうございます。」
と。発起人である早野夫婦は、被災後「できることをしていこう。できる力とカラダがあるのだから」と、被災地と共に歩くことを意(こころ)とし、できることを出来る範囲内でしていただけです。ここでお伝えしたいのは、その活動の実質に機能していた支援は、トリャンバカム・ヨーガ・センターの会員さまからの、また、その様子を知って心動かしてくださった暖かい皆様の心の支援物資や寄付金のお見舞いであったということです。私たちは単なる器にすぎず、被災地と皆様からの見舞いを運んでいたにすぎません。にもかかわらず、慰霊祭で冒頭にこのように紹介いただいていしまい、場にいられない思いでした。このことを、そのまま皆様にお礼を申し上げたく、一番に報告いたします。

私たちは何もしていません。原動力となりました皆様の現れがこの早野の身体であります。そういった意味で拡大解釈しますと、「皆様は私です」。皆様の慈愛の心が私の行為となりました。いつも原動力でした。これからもそうです。トリャンバカムは、いつも私の中でその様が響くのです。

この写真のように、「木」はラッパ水仙に囲まれてとてもうれしそうです。またラッパ水仙も、何か「木」さんの下でとても心地よさそうで安心して咲いています。相互依存関係がやさしい微笑合いになっています。もはや、ヨーガで繋がる皆様とは互いに生かし合う仲?!・・・そう思っている幸せ者です。

合掌

まもなく、これまでの不動の場として毎日、毎日を過ごしたトリャンバカム・ヨーガ・センターを皆さんの感じるままの中へ委ね、私の身体は場を変え、新しい環境との育み合いをスタートさせます。
思うままにしばらく書いてようと思います。早野智子


Page 2 of 5« prev12345next »