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―本の紹介―『シヴァーナンダ・ヨーガ』善本社 成瀬貴良氏編訳

2012.05.08

Category { サット・サンガ }
Comments  { 1 }

シヴァーナンダ③
愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、「弟子の教育」の後半を紹介します。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
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前回のつづきです
弟子の教育 
 シヴァーナンダはしばしば、瞑想には、奇跡的な近道や魔法のように簡単にできる方法などはないと語っていました。また、だらだら行なったり、注意を欠いて行っていたのでは、うまくいきません。
 ゴールは、細心の注意をはらい、興味をいだいて実践している人に自然に訪れるのです。
 シアーナンダは大声を発したり、怒りをあらわにしたり、人に嫌な思いをさせるようなことは決してしませんでした。たとえ、厳しい言葉が必要なときでさえも、叱った後は、すぐにおもしろいジョークやキャンディが与えられました。
 シヴァーナンダはときどき、精神的目覚めのために、愚かさを気づかせるために、ショックを与えることがありました。それは、弟子が正しい道を歩めるようにと、どんなことに対しても情熱的なシヴァーナンダがとられた苦渋の選択だったのです。しかし、一度でもこの試練を通った人はとても純粋になるのです。
 かつて、アーシュラムにヘビー・スモーカーのスヴァーミーがいました。ある日、彼はタバコを切らしていたため、注意力が散漫になっていました。シヴァーナンダはそのことに気がつくと、近くにいた弟子にタバコを買いに行かせました。タバコを買って来ると、そのスヴァーミーがいない間に彼の枕の下に置いておくように指示しました。
 たまたまそれを見ていた弟子たちは、いつもの教えとは異なり、シヴァーナンダがどうしてそのスヴァーミーにタバコを買ってあげたのかと不思議に思いました。
 しかし後で、シヴァーナンダがどうして自分が欲していたタバコをわざわざ買ってくれたのか、そのわけを知ったとき、そのスヴァーミーは自分を恥じ、自らタバコを断ちました。
 そのとき、そのスヴァーミーははっきりと、精神求道者にとって、自己をコントロールするということがいかに大切で必要なことであるかということを悟ったのです。

 シヴァーナンダが弟子に対して取った方法は、時には甘く、時には苦く、時には怒り、時には強烈に、時には心配させるというものでした。しかし、シヴァーナンダはグル自身が実際に行いということがいちばん良い指導方法であると分かっていたのです。ディヴァイン・ライフ・ソサエティの記念すべき第一回の報告で、たいへんおもしろい弟子への指導方法が述べられています。

「俗世間を離れた七人の弟子がいました。彼らは1936年に完全な出家者として認められた弟子たちでした。彼らは、シヴァーミージー自身によって、あらゆるヨーガの行法で指導されました。このアーシュラムには、サンニャーシンやサードウ、病人や他人に奉仕することによって修行者みずからが純粋になれる環境が整っています。慈愛、宇宙的愛、忍耐、適応、アートマン、その他さまざまなことを学べるたいへんすばらしい場です。若い人たちは奉仕と瞑想を一緒に行うべきです。さまざまな修行がありますが、無私の奉仕を通して得られる実践的な知識が、求道者にとっては欠かすことができない財産になります。クダリニー・ヨーガを学んだり、クンダリニーを覚醒させようと思ってシヴァーナンダのところにやってきた求道者たちがいましたが、彼らが病気の人や年老いた人の世話をしなさいと言われたとき、唖然としてしましました。最初、彼らはそれを聞いたとき顔をしかめましたが、後にはそのような奉仕が大切であることを悟りました。」
「決められた方法によって心が純粋になったとき、クンダリニーは目覚めるのです。修行者は、アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラー、バンダ、集中、瞑想を学び、実践します。スヴァーミージーは彼らの疑問を明確にし、ヨーガやヴェーダーンタ哲学における難しい問題点を説明します。しかも、わずかな言葉でその要点を示してくれるのです。
 スヴァーミージーは修行者たちを、その気質や才能や個性に沿って指導しました。シヴァーミージーは他のグルがするように、すべての人に同じ薬を投与するようなことはしませんでした。ヴェーダーンタの学生にはヴェーダーンタを講義しました。ラージャ・ヨーガを学びたいと思っている弟子にはラージャ・ヨーガを教えました。信仰の道を歩もうと思っている弟子にはバクティー・ヨーガを指導しました。瞑想の深い段階に達した弟子にはまったく他の作業をさせることはせず、ただ深い瞑想に入らせておきました。」
「すべての弟子は、介護の仕方、病人の世話、薬の調合などを最初に学ばされました。四時にはラーマ・アーシュムの建物内でみな一緒に瞑想を行いました。ギータやウパニシャットの短い話があり、最後にスヴァーミージー自身によるサーダナや瞑想の指導がありました。そして、外部の人たちもこの学習には自由に参加することができたのです」

 シヴァーナンダは実に多くの人たちをサンニャーシンに導きました。インドの宗教史上、これほどたくさんの人たちをサンニャーシンに導いた聖者は他にいないのではないでしょうか。男性も女性も、余命いくばくもない老人も、ようやく大人になりかけた十代の子どもも同じようにサンニャーシンに導き、オレンジ色の衣を授けました。インド人はもちろん、外国人もサンニャーシンに導きました。世俗的な地位や責任を担っている人には、郵便や目には見えない精神的な支援でサンニャーシンに導きました。
 シヴァーナンダはこれらの人びとの心を変え、世俗間で暮らしてもよいが、それに染まってはいけないことを教えました。
 
 シヴァーミージーによってサンニャーシンに導かれた人たちの中には、時に道から外れ、不名誉な振る舞いをする人もいました。またあるときは、サンニャーシンの衣装を脱ぎ捨てて世俗間に戻り、結婚する人も現れました。
 人びとは、シヴァーナンダが若い人たちを大勢サンニャーシンに導きすぎたと批判しました。
 ある在家の人がシヴァーナンダに訊ねました。
「スヴァーミージーはほんとうに、こんなに若い連中がアーシュラムの意義を理解し、アーシュラムのやり方についていけると思っているのですか」
 さらにこの男は、若いサンニャーシンが墜落するであろう例を挙げました。
 シヴァーナンダは優しく笑って言いました。
「どうしてそう思うのですか?わたしはいくらでも成功した例を挙げることができますよ」
 そして、真剣な顔つきで付け加えました。
「すでに彼らはあなたの尊敬に値するまでになっていますよ。少なくとも一日はサンニ
ャーシンになったのです。彼らは勇気を持って両手を挙げて言ったのです、『わたしは三界の快楽を放棄します』と」
 ある若者がサンニャーシンになって失敗したからといって、若いうちにサンヤーシンになることが適切ではないと考えるべきではありません。事実、立派なサンヤーシンはみな、若いころに出家しているということが分かるでしょう。どうして年老いてからサンヤーシンになどなることができるでしょう。

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時に甘く、時には苦く、時には祝福し、時には怒り、時には強烈に、時には心配させる。自らが実際に行うことがいちばん良い方法だということ。全てを受け入れ、よく観察し、一人一人にあった効果的な方法を与えるシヴァーナンダさんはこうして大勢の人たちをサンニャーシンとして導きました。子供一人をこの様に育てることすら難しいと感じます。人生が修行の場だと理解すれば、シヴァーナンダさんの「無私の奉仕を通して心は純粋になる」という教えを通して得られる実践的な知識を意識的に見つけられるのではないでしょうか。ここに真実に生きてゆく術がありますね。学び続けましょう☆

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コメント / トラックバック1件

  1. Satomi より:

    シヴァーナンダさんは修行者たちを、その気質や才能や個性に沿って指導をし、すべての人に同じ薬を投与するようなことはしなかったとありました。一人一人を愛し、一人一人を信じるからこそ、一人一人に合った接し方ができるのでしょうね。家族や社会、さまざまな場面においてもスヴァーミジーのような人とのかかわり方をして行きたいですね。

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