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―本の紹介―『シヴァーナンダ・ヨーガ』善本社 成瀬貴良氏編訳

2012.05.24

Category { お知らせsingle サット・サンガ }
Comments  { 2 }

シヴァーナンダ愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、シヴァーナンダジーの章を2回に分けて紹介します。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
**********************
前回のつづきです
シヴァーナンダという人
スヴァーミー・シヴァーナンダの身長は6フィート(約180センチ)で、顔色は赤く、広い肩幅と長い腕を持っていました。頭や顔はいつもきれいにそっていました。顔つきは子供のようで、狡さや図々しさというものは全く見られず、眼も輝いていました。
 多くの聖者たちの中でも、シヴァーナンダは他を圧倒するような存在でした。安らかさと若さの化身のようでした。声はとても力強く響き渡りました。会議などでは、マイクを近づけようとすると「必要ありません」と断ることがしばしばでした。その声の大きさは、何千という聴衆がいてもマイクなしに十分に届くものでした。
 歩くときには全く物音を立てませんでした。すべての行為が調和のとれたものでした。何かを語る時も、その言葉は安定していて自然で、飾りたてないために、かえって目立ちました。
 シヴァーナンダの外見はとても質素なもので、額に派手な印をつけることもなく、もつれた髪の毛も顎鬚もありません。首に数珠を巻くこともなく、耳飾りも付けません。着ているものも、天候から身体をまもるに十分なだけの衣服で、一般社会においても通じるごく常識的なものでした。
 1956年のある日、一人の年配の女性がシヴァーナンダに会うためにアーシュラムの事務所に入って来ました。スヴァーミー・シヴァーナンダは彼女に合掌をし、「オーム」を唱えて挨拶をしました。さらに席をすすめると、彼女の健康やここまでの旅の様子を訊ねました。
 しばらく話をした後、シヴァーナンダは再び仕事に取り掛かり、彼女のほうも静かに事務所を出ていきました。そして近くの薬局に入ると、彼女はそこにいたアーシュラムの人に訪ねました。
「スヴァーミー・シヴァーナンダはどこにいるのですか?」
彼は驚いて言いました。
「スヴァーミージーは事務所にいらっしゃいますよ。あなたはいま、事務所から出てきたのではないですか?」
「あそこに坐っていた、コートを着てメガネをかけていた人かい?あの人がスヴァーミージーかい?わたしはアーシュラムのマネージャーかと思ったよ!」
 彼女は目にいっぱい涙を滲ませると、再び事務所に入ってゆき、シヴァーナンダの足元にひれ伏しました。
 スヴァーミー・シヴァーナンダは、決して偉ぶったり気取ったりすることはなく、どんなひととも気さくに話をしました。敬意のこもった言葉でだれにでも話しかけました。シヴァーナンダはタミル語はもちろんのこと、英語、ヒンディー語、マレーシア語など、実に多くの言葉を学んでいて、いつも相手の母国語で話すように心がけ、挨拶、ことわざ、詩、歌などを引いて、人びとを喜ばせたり、気持ちを和らげることに努めました。相手と同じ言葉をあやつってとても上手に会話することができたのです。
 シヴァーナンダは、どこかへ行くときにはいつも3つの袋を持って出かけました。1つ目の袋には精神的な本、もう一つの袋にはフルーツやお菓子、そして3つ目の袋には薬とハサミ、糸と針、ロウソクとマッチなどの実用品が入っていました。

 シヴァーナンダは驚くほど気前のよい人でした。自分自身に与えるように他の人たちにも与えました。お金、衣服、食べ物、本、花など、実に多くのものを与えました。―― 信者が布施してくれたものはすべて他の人たちに分かち与えました。
 シヴァーナンダはまるで「収集・分配センター」のようでした。だれが何を必要としているかをよく知っていて、いつもふさわしい人にふさわしい贈り物が届くようにしていました。
 1度、「スヴァーミー・シヴァーナンダ」と呼ぶ代わりに「スヴァーミー・ギャヴァーナンダ(Give-ananda)」と呼ぶことにしようと決められたことがありました。―シヴァーナンダは与えることに本当に喜びを感じていたのです。
 シヴァーナンダは、供給というものは大いなる根源から来て、大いなるものに還っていくだけであるということを知っていたのです。物質的なことに悩むということはまったくありませんでした。彼は自分の生涯を通して、人に気前よく寛大にしたからと言って破産することはない、ということを証明したのです。シヴァーナンダはいつも言っていました。「与えることで貧乏になってしまうことなど絶対にありえないよ」と。
 シヴァーナンダはよく、道端で物を売っている人からフルーツやピーナッツ、アイスクリームなどを買ってあげていました。サイフをなくした巡礼者、刑務所からでてきた刑余者、毛布を必要としているサードゥ、学費を必要としている貧乏学生などは、シヴァーナンダが分かち与えることを心から喜ぶ人であるということを身をもって知りました。シヴァーナンダは援助した人に負担をかけたり、困らせることはありませんでした。
 シヴァーナンダは、人生というのは困難に満ちた忍耐の場であると考えていました。ツアーにおいても、汽車が停まるとすぐに、クーリーや信者が荷物持ちをしたりすることがないように、自分の頭の上にトランクや寝具を載せて駅を出てきました。シヴァーナンダはよく、「自分でできることは自分でしなさい。謙遜さを持ちなさい。自分はグルであると思いあがったりしてはいけません」と言っていました。
 シヴァーナンダは、しばしば弟子たちに、自分は“SB40”(shoe beating 40)という行をしていると語りました。「人から讃美された時や、誕生日などで祝福されたとき、部屋に戻ってから靴で自分を打つんだよ『お前はいったい何さまだ?あさましい肉と血と排泄物でつくられているではないか。首飾りがほしいのか?破れた衣装を着られるか?自分のことを偉いなどと思っていないか?人びとにひれ伏してもらいたいのか?』と問いかけながら」
 
 経験そのものがシヴァーナンダの偉大なグルでした。過去に体験したことや、今までにあった大勢の人たちを通して様々なことを学んだのです。
「放棄」はシヴァーナンダの特長を知るための一つのキーワードです。シヴァーナンダにとって「放棄」とは、“エゴ” “わたし” “わたしのもの”という想いをなくすことでした。それは執着することの放棄です。
 シヴァーナンダの「放棄」に対する考えは、身体に苦痛を与えることではありません。シヴァーナンダはそれどころか、神の子としての人類に十分に奉仕できるようにと、いつも健康な身体でいられるように努めていました。
 アーシュラムが活動しはじめたばかりのころ、シヴァーナンダは夜になるとよく、長い散歩に出かけていました。また冬になると、アーシュラムの中でバドミントンをしていました。しかし、仕事の量が次第に増えてきて、そのような時間が十分に取れなくなってきました。そこでシヴァーナンダは、テニスボールとラケットを買ってくると、リラックスしたい時などは、壁に向かって数分間ボール打ちをして一人で楽しんでいました。その後で、他の仕事の準備に取りかかっていたのです。
 年老いてからも、ベットの上で簡単な運動をしていました。アーサナーやプラーナーヤーマを欠かすことは決してありませんでした。こうして仕事のために、いつも健康を保っていたのです。
**********************

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コメント / トラックバック2件

  1. Satomi より:

    シヴァーナンダさん自身が、いつでも健康な身体でいる為に毎日欠かすことのなかったアーサナー、プラーナヤーマ、そしてちょっと意外に感じましたが現代の私達も好んでするような運動もしていたことを知り、少し親近感を覚えます。しかし、私達と大きく違うのはそれらの行為が自分の楽しみや健康を維持するためのものではなかったことです。いつでも十分に人に奉仕する為には健康でなくてはならないという考えからでした。この本の中で紹介されるさまざまな実話を聞くたびにグルデーヴの深い深い愛が私に気付きを与えてくださいます。ヨーガは気づきの積み重ねですね。

  2. 長又 より:

    コメント:シヴァーナンダさんの意識はいつでも明確です。供給というものは大いなる源泉から来て、大いなるものに還っていくだけであること。人生は困難に満ちた忍耐の場であること。謙虚さを持ち思い上がることなく、経験したことを軽く受け止めずそこから何かを学ぶこと。そしてすべてに執着せず行為は神への捧げものであるということ。シヴァーナンダ・ヨーガから学んだ教えを心の中で繰り返し唱えることで、楽な方へと流されてしまう自身やエゴで染まりやすい心を救ってくれるのではないでしょうか。共に読み進めていける学びの場がここにありますね☆

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シヴァーナンダ愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、シヴァーナンダジーの章を2回に分けて紹介します。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
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前回のつづきです
シヴァーナンダという人
スヴァーミー・シヴァーナンダの身長は6フィート(約180センチ)で、顔色は赤く、広い肩幅と長い腕を持っていました。頭や顔はいつもきれいにそっていました。顔つきは子供のようで、狡さや図々しさというものは全く見られず、眼も輝いていました。
 多くの聖者たちの中でも、シヴァーナンダは他を圧倒するような存在でした。安らかさと若さの化身のようでした。声はとても力強く響き渡りました。会議などでは、マイクを近づけようとすると「必要ありません」と断ることがしばしばでした。その声の大きさは、何千という聴衆がいてもマイクなしに十分に届くものでした。
 歩くときには全く物音を立てませんでした。すべての行為が調和のとれたものでした。何かを語る時も、その言葉は安定していて自然で、飾りたてないために、かえって目立ちました。
 シヴァーナンダの外見はとても質素なもので、額に派手な印をつけることもなく、もつれた髪の毛も顎鬚もありません。首に数珠を巻くこともなく、耳飾りも付けません。着ているものも、天候から身体をまもるに十分なだけの衣服で、一般社会においても通じるごく常識的なものでした。
 1956年のある日、一人の年配の女性がシヴァーナンダに会うためにアーシュラムの事務所に入って来ました。スヴァーミー・シヴァーナンダは彼女に合掌をし、「オーム」を唱えて挨拶をしました。さらに席をすすめると、彼女の健康やここまでの旅の様子を訊ねました。
 しばらく話をした後、シヴァーナンダは再び仕事に取り掛かり、彼女のほうも静かに事務所を出ていきました。そして近くの薬局に入ると、彼女はそこにいたアーシュラムの人に訪ねました。
「スヴァーミー・シヴァーナンダはどこにいるのですか?」
彼は驚いて言いました。
「スヴァーミージーは事務所にいらっしゃいますよ。あなたはいま、事務所から出てきたのではないですか?」
「あそこに坐っていた、コートを着てメガネをかけていた人かい?あの人がスヴァーミージーかい?わたしはアーシュラムのマネージャーかと思ったよ!」
 彼女は目にいっぱい涙を滲ませると、再び事務所に入ってゆき、シヴァーナンダの足元にひれ伏しました。
 スヴァーミー・シヴァーナンダは、決して偉ぶったり気取ったりすることはなく、どんなひととも気さくに話をしました。敬意のこもった言葉でだれにでも話しかけました。シヴァーナンダはタミル語はもちろんのこと、英語、ヒンディー語、マレーシア語など、実に多くの言葉を学んでいて、いつも相手の母国語で話すように心がけ、挨拶、ことわざ、詩、歌などを引いて、人びとを喜ばせたり、気持ちを和らげることに努めました。相手と同じ言葉をあやつってとても上手に会話することができたのです。
 シヴァーナンダは、どこかへ行くときにはいつも3つの袋を持って出かけました。1つ目の袋には精神的な本、もう一つの袋にはフルーツやお菓子、そして3つ目の袋には薬とハサミ、糸と針、ロウソクとマッチなどの実用品が入っていました。

 シヴァーナンダは驚くほど気前のよい人でした。自分自身に与えるように他の人たちにも与えました。お金、衣服、食べ物、本、花など、実に多くのものを与えました。―― 信者が布施してくれたものはすべて他の人たちに分かち与えました。
 シヴァーナンダはまるで「収集・分配センター」のようでした。だれが何を必要としているかをよく知っていて、いつもふさわしい人にふさわしい贈り物が届くようにしていました。
 1度、「スヴァーミー・シヴァーナンダ」と呼ぶ代わりに「スヴァーミー・ギャヴァーナンダ(Give-ananda)」と呼ぶことにしようと決められたことがありました。―シヴァーナンダは与えることに本当に喜びを感じていたのです。
 シヴァーナンダは、供給というものは大いなる根源から来て、大いなるものに還っていくだけであるということを知っていたのです。物質的なことに悩むということはまったくありませんでした。彼は自分の生涯を通して、人に気前よく寛大にしたからと言って破産することはない、ということを証明したのです。シヴァーナンダはいつも言っていました。「与えることで貧乏になってしまうことなど絶対にありえないよ」と。
 シヴァーナンダはよく、道端で物を売っている人からフルーツやピーナッツ、アイスクリームなどを買ってあげていました。サイフをなくした巡礼者、刑務所からでてきた刑余者、毛布を必要としているサードゥ、学費を必要としている貧乏学生などは、シヴァーナンダが分かち与えることを心から喜ぶ人であるということを身をもって知りました。シヴァーナンダは援助した人に負担をかけたり、困らせることはありませんでした。
 シヴァーナンダは、人生というのは困難に満ちた忍耐の場であると考えていました。ツアーにおいても、汽車が停まるとすぐに、クーリーや信者が荷物持ちをしたりすることがないように、自分の頭の上にトランクや寝具を載せて駅を出てきました。シヴァーナンダはよく、「自分でできることは自分でしなさい。謙遜さを持ちなさい。自分はグルであると思いあがったりしてはいけません」と言っていました。
 シヴァーナンダは、しばしば弟子たちに、自分は“SB40”(shoe beating 40)という行をしていると語りました。「人から讃美された時や、誕生日などで祝福されたとき、部屋に戻ってから靴で自分を打つんだよ『お前はいったい何さまだ?あさましい肉と血と排泄物でつくられているではないか。首飾りがほしいのか?破れた衣装を着られるか?自分のことを偉いなどと思っていないか?人びとにひれ伏してもらいたいのか?』と問いかけながら」
 
 経験そのものがシヴァーナンダの偉大なグルでした。過去に体験したことや、今までにあった大勢の人たちを通して様々なことを学んだのです。
「放棄」はシヴァーナンダの特長を知るための一つのキーワードです。シヴァーナンダにとって「放棄」とは、“エゴ” “わたし” “わたしのもの”という想いをなくすことでした。それは執着することの放棄です。
 シヴァーナンダの「放棄」に対する考えは、身体に苦痛を与えることではありません。シヴァーナンダはそれどころか、神の子としての人類に十分に奉仕できるようにと、いつも健康な身体でいられるように努めていました。
 アーシュラムが活動しはじめたばかりのころ、シヴァーナンダは夜になるとよく、長い散歩に出かけていました。また冬になると、アーシュラムの中でバドミントンをしていました。しかし、仕事の量が次第に増えてきて、そのような時間が十分に取れなくなってきました。そこでシヴァーナンダは、テニスボールとラケットを買ってくると、リラックスしたい時などは、壁に向かって数分間ボール打ちをして一人で楽しんでいました。その後で、他の仕事の準備に取りかかっていたのです。
 年老いてからも、ベットの上で簡単な運動をしていました。アーサナーやプラーナーヤーマを欠かすことは決してありませんでした。こうして仕事のために、いつも健康を保っていたのです。
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  1. Satomi より:

    シヴァーナンダさん自身が、いつでも健康な身体でいる為に毎日欠かすことのなかったアーサナー、プラーナヤーマ、そしてちょっと意外に感じましたが現代の私達も好んでするような運動もしていたことを知り、少し親近感を覚えます。しかし、私達と大きく違うのはそれらの行為が自分の楽しみや健康を維持するためのものではなかったことです。いつでも十分に人に奉仕する為には健康でなくてはならないという考えからでした。この本の中で紹介されるさまざまな実話を聞くたびにグルデーヴの深い深い愛が私に気付きを与えてくださいます。ヨーガは気づきの積み重ねですね。

  2. 長又 より:

    コメント:シヴァーナンダさんの意識はいつでも明確です。供給というものは大いなる源泉から来て、大いなるものに還っていくだけであること。人生は困難に満ちた忍耐の場であること。謙虚さを持ち思い上がることなく、経験したことを軽く受け止めずそこから何かを学ぶこと。そしてすべてに執着せず行為は神への捧げものであるということ。シヴァーナンダ・ヨーガから学んだ教えを心の中で繰り返し唱えることで、楽な方へと流されてしまう自身やエゴで染まりやすい心を救ってくれるのではないでしょうか。共に読み進めていける学びの場がここにありますね☆

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