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―本の紹介―『シヴァーナンダ・ヨーガ』善本社 成瀬貴良氏編訳

2012.06.24

Category { サット・サンガ }
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白い大輪の花
愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
今回(毎月8日、24日)は、シヴァーナンダさんの最期「マハー・サマーディ」をお伝えします。毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。
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前回のつづきです
6 最期 ― マハー・サマーディ
死の予告
シヴァーナンダは生涯を通して休みなく働きました。そして、シヴァーナンダ・アーシュラムとディヴァイン・ライフ・ソサエティの支部がインドの国内はもとより世界各地に創られました。そこで多くの優秀な弟子たちが修行をし、世界中にその教えを広めました。
「サンニャーシンになりたい人は、今度のシヴァラティの日にイニシエーションを授けます」という宣伝がスヴァーミージーによってなされたのは、1963年最初のサット・サンガの席においてでした。
 マハー・サマーディについて言及することが多くなったことからみても―特に、彼が「シヴァラティの日に何が起こるかを知っている人はいるだろうか」とそっと付け加えたとき―多くの人が差し迫ったグルデーヴの死を予感しました。

 1963年(76歳)5月の初め、スヴァーミージーは数日間にわたるテープ録音をはじめました。毎朝、数時間かけて自分の本やプリントされた資料を読み上げました。それは力強く感激的なもので、読み上げる声は尊厳さと神聖さとに満ち、あたりに響き渡りました。スヴァーミージーは身体への負担を気にもかけないで行いました。
 そして、2,3日おきに訪ねました。
「どのくらいやったのかね」
「もうどのくらい続けたのかい」
この間、1度こう言ったことがありました。
「見えていたものがだんだん見えなくなってくるよ、今のうちにお前たちのほしいものを言ってごらん。聞こえていたものが聞こえなくなってくるよ、今のうちに言いたいことがあったら言ってごらん言葉がだんだん不明瞭になってくるよ、今のうちに聞きたいことがあったら聞いておきなさい。」

 6月24日、急にシヴァーナンダの左半身が麻痺し、何日間か意識を失い、また何日間かは意識がもうろうとした状態になりました。それでもまだ本を書くという仕事は続けられましたが、もう自分では書くことができなくなり、弟子に書きとらせていました。そして、ある日、「本当の幸せは、個人という意識が神様の中に溶け込んだときに来る…」
という言葉を書きとらせると、そのまま黙ってしまいました。
 これがシヴァーナンダの教えを書き取った最後の言葉でした。その内容は比類ないグル、シヴァーナンダの生涯の教えを要約した一言でもありました。そして、すぐにその教えを自ら実践することになりました。数週間後に、シヴァーナンダはすべて神と一つになったのです。

 7月12日、デーヴァキー・クッティという女性信者が、シヴァーナンダにペンと紙を渡しました。シヴァーナンダは書きました。「忘れてはなりません。覚えておきなさい」と。
 その言葉の続きを書こうとしてノートを持ち上げようとしたとき、シヴァーナンダは「ポルン」と小さくつぶやきました。「ポルン」とはタミル語で「もう十分です」という意味です。
 そして、シヴァーナンダは女性信者に語りました。
「忘れてはいけないよ……お前は女神であるということを……デーヴァキー・クッティではないんだよ」

 7月13日、医師がシヴァーナンダに、何日ベッドに寝ているか分かりますかと訊ねるとはっきりと20日と答えました。周りの人たちは、シヴァーナンダが半意識の状態であることなど信じられませんでした。

最後の日
 7月14日の夜、シヴァーナンダの熱が高くなりました。しばらくはわずかな水さえ飲めないような難しい状態におちいりました。弟子たちはいつものように、大麦湯を飲ませようとしました。シヴァーナンダはしかし、ガンジス河の水が飲みたいと伝え、運ばれてきたガンジスの水をコップ半分ほど飲みました。
 11時15分、*アーナンダ・クティールにおいて、偉大な聖者スヴァーミー・ジヴァーナンダは安らかに「絶対なるもの」に還っていきました。長い距離を流れてきた大河の水が静かに大海に還っていくようでした。
 シヴァーナンダが選び「絶対なるもの」に還っていったその時刻は、吉兆を示す神聖なる時刻と言われた時間帯で、太陽の進行が北から南へと移行する、たいへん貴重な天体の位置でした。
 シヴァーナンダの身体はパドマ・アーサナに組まれました。呆然とし、涙に暮れる弟子や信者たちは、アーナンダ・クティールのベランダで静かに「マハー・マントラ」を唱えました。アーシュラムの人たち一人一人が部屋に入り、何も語らなくなった最愛のグルに挨拶をしていきました。
 次の朝、世界中の人たちは新聞やラジオを通して、偉大な聖者がマハー・サマーディに入ったことを知りました。世界中から送られてくる同情やお悔やみの手紙で郵便局は大忙しでした。リシケーシの中の住人がアーシュラムにやって来ました。翌々日には、朝から一日中、シヴァーナンダの最後の*ダルシャンを受けるために、信者たちがあちこちからやって来ました。

 シヴァーナンダは今でも生きています。著書の中に、弟子たちの中に、信者たちの中に、リシケーシのアーシュラムの雰囲気の中に、今も生き続けています。

*アーナンダクティール:シヴァーナンダ・アーシュラムの施設の一つ。クティールとは「小屋、部屋」のこと
*ダルシャン:グルや聖者が弟子や信者にあうこと。師弟関係を結ぶときに行う儀式の一つで、グルが弟子の目を見つめること
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コメント:今回の章は最後の日々を映像で見ているかのようでした。シヴァーナンダ・ヨーガを知る者によってその教えが世界各国に伝えられ、その生き様や教えを学んだ者の心の中で生き続けているのですね。こうしてこの本を読む私達の心にも生き続けていますね。本の著者であります成瀬先生はシヴァーナンダさんが生前残したたくさんの貴重な言葉を日本語に訳し、毎日紹介しています。ご興味のある方はツイッターのシヴァーナンダ@sivananda.jpをツイートください。貴重な気付きを頂くことができることでしょう。
コメント:シヴァーナンダさんは、神様から授かった身体を十分に使って、愛と奉仕を惜しみなく出会った全ての者に与えて下さった。すべてのものの中に神を観るというシヴァーナンダさんのお言葉は身をもって実践され、それはとても自然で会った者は優しさに包まれたのでしょう。こうしてヨーガを通してシヴァーナンダ・ヨーガから誠実に生きる術を学びました。しかし、心はいつでも少しの変化や周りからの影響を受けて揺さぶられてしまうから何度でも繰り返して読み、刻んでゆきたいです。この人生の教科書に触れる機会が多くの方に訪れますように。 

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